Alle Amrhein or Alf. Amrhein (??-??)
1889年5月25日、エジソン社の録音技師A. Theo. E. Wangemannは、ベルリンで一連の録音実験を行いました。この実験の詳細は『The First Book of Phonograph Records』に記録されており、当日の演奏者の一人として「Alle Amrhein(violin)」あるいは「Alf. Amrhein」という名前が複数の曲に登場しています。この人物は、録音簿ではヴァイオリン演奏者として記録されていますが、現存する楽譜や追加資料に、このAmrheinの詳細な経歴を確認できる手がかりは残されていません。主要な音楽事典であるGrove Music OnlineやMGG Online、Baker’s Biographical Dictionaryなどを調べても、この名前のヴァイオリニストがプロの独奏家として活動していたという証拠は見つかっていません。
具体的な人物像は不明だが背景から読み取れること
名前の「Alle」または「Alf.」は、手書きの読み間違いか、当時の略記かの可能性があります。ドイツ語圏ではAlfons、Alfred、Albertなどがこのように略されることがあり、実際にWangemannの録音簿には筆跡のばらつきや略字が散見されます。また、「Amrhein(アムライン)」という姓は、ドイツ語圏、とくにライン川沿い地域に多い一般的な姓であり、特定の一族に限定されるものではありません。当時のベルリンでは、宮廷楽団や劇場オーケストラ、オペレッタ劇場、さらには音楽学校の教師など、多くの職業奏者が活動しており、録音に参加したAmrheinもその一人であった可能性が高いです。この時代、フォノグラフの録音実験は技術デモンストレーションの意味合いが強く、有名なソリストだけでなく、地元の優秀な楽団員が短期契約で協力するケースが多く見られました。録音簿にはAmrheinがヴァイオリンで複数曲を担当した形跡があり、単発のゲストではなく、Wangemannの録音に数日間継続して関わっていたと考えられます。ただし、これ以上の演奏歴、教育歴、劇場での在籍記録などは、現存する録音簿だけでは判別できません。
録音実験での役割と研究的価値
Amrheinという名前が残されたこと自体が、当時の録音実験がどのように行われたかを示す小さな証拠です。Wangemannはベルリンの録音において、軍楽隊、ピッコロ独奏、ワルツやポルカなど多様なジャンルの演奏を記録しており、ヴァイオリン独奏は音色の多様性を示す重要な要素でした。エジソン社の蝋円筒録音は低音域の録音が難しく、弦楽器の明瞭な高音域を活かせるヴァイオリンはデモンストレーションに適していたといえます。当時の録音は商業用販売ではなく、王侯貴族や科学者への実演を目的としたため、演奏者の名前は演奏後に特別に大きく宣伝されることもなく、録音メディアも繰り返し再利用されました。そのため、Amrheinの名前と役割を裏付ける一次資料は、この録音簿だけが現存している状況です。こうした無名の職業奏者が初期録音実験にどのように貢献していたかを示す一例として、Amrheinの名前は録音史研究において小さいながらも貴重な手がかりとなっています。生没年や在籍劇場を特定するためには、当時のベルリンの劇場年鑑や宮廷楽団名簿、音楽学校の職員録などをさらに追跡調査する必要があります。
