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Patrick Sarsfield Gilmore

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Patrick Sarsfield Gilmore (1829–1892)

Patrick Sarsfield Gilmore(1829–1892)は、19世紀アメリカで吹奏楽を市民文化として発展させた最重要人物の一人とされています(New Grove, Hansen 2005)。彼はアイルランド西部のガルウェイ近郊に生まれ、若くして地元の軍楽隊で音楽の基礎を学びました。アメリカへ移住した後、まずボストンを拠点に活動を広げ、当時盛んだった市民軍楽隊の需要を捉えて頭角を現しました。南北戦争中には自らの楽団を率いて軍の士気高揚のための演奏旅行を行い、特に北軍のために数多くのマーチや祝典音楽を指揮・編曲しました。この時期の彼の活動は「音楽で兵士と市民をつなぐ」という新しい役割を吹奏楽に与えたと評されます(Hansen, The American Wind Band)。

Patrick S. Gilmore

Forms part of: George Grantham Bain Collection (Library of Congress)., Public domain, via Wikimedia Commons

平和祝賀音楽祭と大規模コンサートの先駆け

Gilmore が特に有名なのは、1869年の「National Peace Jubilee」に代表される巨大音楽祭を成功させた点です(New Grove)。このイベントでは1万人規模の合唱団と1000人超の奏者がボストン・ミュージックホールに集結し、当時としては前代未聞の規模での祝典音楽会となりました。戦争終結後の国民融和と平和を祝う場として、音楽がどれほど大きな社会的役割を果たせるかを示す象徴的な出来事であったと多くの音楽史家が指摘しています(Corry, Patrick S. Gilmore: Father of the American Band)。この後も Gilmore は「World Peace Jubilee」などさらに大規模な催しを企画し、吹奏楽を祝典文化の中心に据えました。これにより、軍楽隊の枠を超えた市民楽団としてのバンドの存在がアメリカ各地に根付くきっかけを作ったといわれます。

「22nd Regiment Band」と吹奏楽の遺産

ニューヨークに移った Gilmore は、ニューヨーク州国民警備隊第22連隊付属のバンドを率いました。これが有名な「Gilmore’s 22nd Regiment Band」です。この楽団はパレードや式典だけでなく、一般市民向けの公園コンサートなどでも盛んに演奏を行いました(Grove)。Gilmore 自身が作曲した「The 22nd Regiment March」は、このバンドの看板レパートリーとなり、アメリカの典型的な軍楽行進曲のスタイルを確立した作品として評価されています。後にジョン・フィリップ・スーザが同様のスタイルで多くのマーチを生み出しますが、その基盤を築いたのが Gilmore だとされています(Hansen 2005, Corry 1983)。また Gilmore’s Band は録音黎明期にも登場し、エジソン社の録音実験において 22nd Regiment March はピッコロ演奏で録音され、初期録音史にその名を残しています。Gilmore は1892年に死去しましたが、彼が残したバンド文化は現在も多くの市民吹奏楽団のモデルとなっています。

Patrick Sarsfield Gilmore

  • 1829年12月25日 – 1892年9月24日
  • Ireland – US
  • 作曲家、バンドマスター

録音された作品

References