1888年に録音された音楽

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1888年に録音された音楽

1888年は、帝国と国民国家の再編が進む一方で、通信・記録技術が日常へ降りてきて、情報と娯楽の流通が加速し始めた年でした。ヨーロッパではドイツ帝国でいわゆる三皇年(Year of the Three Emperors)が生じ、ヴィルヘルム1世(William I, 1797–1888)の死去(1888年3月9日)によりフリードリヒ3世(Frederick III, 1831–1888)が即位しますが、在位は約99日で終わり、1888年6月15日にヴィルヘルム2世(William II, 1859–1941)が皇帝となります。政体の継承が短期間に重なった事実は、近代国家が個人の健康や偶発に左右され得ることを示しつつ、次の国際関係の緊張へ向かう空気を濃くしました。イギリスでは近代スポーツの制度化が進み、ウィリアム・マクレガー(William McGregor, 1846–1911)らがイングランドでフットボールリーグ(The Football League)を創設し、定期開催の競技が都市生活の娯楽として組織化されていきます。

アメリカ大陸では社会制度の転換と政治の緊張が目立ちました。ブラジル帝国ではブラジル帝国皇太子妃イザベル(Isabel, Princess Imperial of Brazil, 1846–1921)が1888年5月13日に黄金法(Lei Áurea)に署名し、同国の奴隷制が法的に廃止されます。アメリカ合衆国ではアメリカ合衆国大統領選挙(1888年)が実施され、現職のグロバー・クリーブランド(Grover Cleveland, 1837–1908)とベンジャミン・ハリソン(Benjamin Harrison, 1833–1901)の対決が関税政策などを軸に争われました。同年3月11日–14日にはアメリカ合衆国北東部を大吹雪(Great Blizzard of 1888)が襲い、都市の交通・通信が天候によって麻痺し得る現実が可視化され、インフラと生活の結びつきが強まる時代の脆弱性も露わになります。

都市の近代化は不安も増幅させました。ロンドンではホワイトチャペル連続殺人事件(Whitechapel murders)が1888年に相次ぎ、犯人像が不明なまま「切り裂きジャック(Jack the Ripper, 生没年不明)」の名で語られ、新聞報道が都市の恐怖と好奇心を同時に拡散させました。一方で労働現場でも声が上がり、1888年7月のマッチ工場争議として知られるブライアント・アンド・メイ(Bryant and May)の女性労働者によるストライキは、アニー・ベサント(Annie Besant, 1847–1933)らの支援も得て、労働条件と公衆衛生の問題を社会に突きつけました。

科学技術の側面では、「見えないもの」を扱う発見と、日常へ入り込む媒体が同時に伸びました。物理学ではハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz, 1857–1894)が1887年–1888年の実験で電磁波の存在を示し、理論が実験で支えられていく近代科学の姿勢を強めます。電力技術ではニコラ・テスラ(Nikola Tesla, 1856–1943)が1888年5月1日に交流電動機などに関する特許を取得し、回転磁界を用いる方式が工業化へ向かう礎になりました。画像の大量複製ではジョージ・イーストマン(George Eastman, 1854–1932)が「コダック(Kodak)」の名でロールフィルム式カメラを普及させ、写真が専門技術から消費文化へ接続されていきます。さらに1888年にはナショナルジオグラフィック協会(National Geographic Society)が創設され、出版と会員組織を通じて世界像を更新する回路が整えられました。

音の領域でも、後世の大衆音楽を支える「録って複製する」技術が形を変えながら前進します。エミール・ベルリナー(Emil Berliner, 1851–1929)は1888年5月16日にフランクリン研究所(Franklin Institute)でグラモフォン(gramophone)を公開実演し、円筒ではなく円盤を用いる発想が記録媒体の未来像として提示されました。同年7月14日にはジェシー・H・リピンコット(Jesse H. Lippincott, 1842–1894)がノース・アメリカン・フォノグラフ会社(North American Phonograph Company)を法人化し、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)の蓄音機と、アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847–1922)、チャールズ・サムナー・テインター(Charles Sumner Tainter, 1854–1940)、チチェスター・ベル(Chichester Bell, 1848–1924)らのグラフォフォン(graphophone)系技術を、地域会社を介して貸与・運用する商業構想が進みました。日本でも1888年に市制・町村制が公布され、枢密院が創設されて伊藤博文(1841–1909)が初代枢密院議長に就任するなど、制度整備が進展します。政治の継承、権利の再定義、災害が映す都市の脆さ、そして映像・地理・音のメディア化が同じ年に並走したことは、のちに文化が「出来事」として記録され、反復視聴・反復聴取される社会へ向かう地ならしでもありました。

この年の確認されている録音:4曲

6月

1888年6月(明治21年)、日本では憲法制定に向けた準備が進み、立憲国家の形が徐々に整えられていました。同月、欧米では産業革命後の技術革新が進み、エミール・ベルリナーがディスク式録音技術の改良を進めていました。この年の技術発展により、録音が家庭や商業の場へ普及する可能性が広がり、音楽文化の大衆化が始まりました。

6月29日

【1888年6月29日の出来事】
ボビー・ヴィーチ(Bobby Veach, 1888–1945)
アメリカ合衆国ケンタッキー州で後にデトロイト・タイガースの主力打者となるボビー・ヴィーチ(Bobby Veach, 1888–1945)が誕生しました。
スィジー・テイラー(Squizzy Taylor, 1888–1927)
オーストラリアではギャングとして知られるスィジー・テイラー(Squizzy Taylor, 1888–1927)が生まれ、後にメルボルン犯罪史の象徴的人物となりました。

8月

1888年8月は、ドイツでカール・ベンツ(Carl Benz, 1844–1929)がバーデン大公国から世界初の運転免許を与えられ、ベルタ・ベンツ(Bertha Benz, 1849–1944)がマンハイム〜プフォルツハイム間の長距離ドライブを敢行し、さらにフリードリヒ・ヘルマン・ヴェルファート(Friedrich Hermann Wölfert, 1850–1897)の動力飛行船が初のエンジン駆動飛行に成功するなど、自動車と航空の黎明を告げる出来事が集中的に起こった月でした。
一方、ロンドンではホワイトチャペル地区で「ジャック・ザ・リッパー」事件の最初の犠牲者とされるメアリー・アン・ニコルズ(Mary Ann Nichols, 1845–1888)殺害が起こり、エストニアのタリンでは初の路面電車が走りはじめ、日本では学習院が8月に麹町区三年町へ移転するなど、近代都市社会の成長と不安が世界各地で同時進行していた時期でもありました。

8月14日

TitleArtist
The Lost Chordn/a
WhistlingAlice J. Shaw

【1888年8月14日の出来事】
ロンドンでのエジソン蓄音機デモと「The Lost Chord」再生
1888年8月14日、ロンドン近郊ビュラ・ヒルのジョージ・グローラウド邸「リトル・メンロー」で、トーマス・エジソンの改良型蓄音機(Perfected Phonograph)が記者会見で初披露されました。この場でアーサー・サリヴァン作曲「The Lost Chord(The Lost Chord)」のコルネットとピアノによる録音が再生され、現存する最古級の音楽録音の一つとして録音史・音響史で重要視されています。
エッフェル塔第二階の完成
1888年8月14日、パリのエッフェル塔(Tour Eiffel)建設で第二階部分が完成し、高さ約115メートルの位置まで鉄骨が組み上がりました。これは1889年のパリ万国博覧会(Exposition universelle de 1889)に向けた工事工程の重要なマイルストーンで、その後1889年3月31日の塔全体の完成へとつながる節目の日とされています。
1888年ルイジアナ・ハリケーンの発生
1888年8月14日、タークス・カイコス諸島北東沖で熱帯低気圧が観測され、のちに「1888年ルイジアナ・ハリケーン(1888 Louisiana hurricane)」と呼ばれる熱帯低気圧第3号が形成されたと解析されています。嵐はその後バハマやフロリダ半島南部を通過してメキシコ湾に入り、8月19日にルイジアナ州へ上陸してミシシッピ川流域に広範な洪水と暴風被害をもたらしました。

8月17日

TitleArtist
Piano soloMrs. Eyre

【1888年8月17日の出来事】
エジソン・フォノグラフ・ワークス社株券の発行(Edison Phonograph Works)
ニュージャージー州発行の日付が1888年8月17日となっている株券が現存しており、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)が社長として署名したエジソン・フォノグラフ・ワークス社(Edison Phonograph Works)の持分証券としてオークションに出品されています。この株券は「20 150/1,000th Shares, New Jersey, 17 August 1888」と明記されており、円筒型フォノグラフ量産初期における録音事業会社の資本構成と、エジソン本人の経営関与を具体的に示す一次史料です。
アメリカ地方紙に見る「完全フォノグラフ」報道とジョーク
ジョージア州サバンナの新聞『ザ・モーニング・ニュース』(The Morning News)は1888年8月17日号で、「エジソンの完全フォノグラフがロンドン市民を驚かせ続けている」と題し、詩や歌、口笛などを録音した実演の様子を詳しく紹介しました。
同じ日付のノースカロライナ州フェイエットビルの週刊紙『メッセンジャー』(The Messenger)には、エジソンの代理人がフォノグラフを売り込むユーモア小話が掲載されており、新しい録音技術が短期間で地方都市の日常的な笑いの題材になっていたことがわかります。

1888年の「音楽以外」の録音で日付が確定しているもの

6月16日:The Phonograph’s Salutation

牧師ホレイショ・ネルソン・パワーズ(Horatio Nelson Powers, 1826–1901)が、詩「The Phonograph’s Salutation」をニュージャージー州のエジソン研究所で自作朗読として録音し、この円筒が6月26日にロンドン・リトルメンロへ送られて「最初のフォノグラム交換」の場で再生されたとされています。録音日はメモ用紙と後年の研究で「June 16, 1888」と明記されており、1888年の「音楽以外」の録音として最も早期で日付が確定している例といえます。

8月14日:リトル・メンロ晩餐会トースト録音群

1888年8月14日のロンドン・リトルメンロでのプレス向けデモでは、「Letter to Mr. Edison from Col. Gouraud, August 14, Little Menlo」(E-2440-12)をはじめ、「London Press congratulations to Mr. Edison」(E-2440-08)、「London Press congratulations to Mr. Edison, Mr. Broadley continued」(E-2440-05)、「Cheers to Mr. Edison by London Press, Aug. 14, Little Menlo」(E-2440-24)、「Mr. Manns to Mr. Edison & Theo. Thomas」(E-2440-18)といった、ロンドンの新聞記者や招待客による祝辞・挨拶が連続して録音されています。これらのタイトルと箱番号はニューヨーク公共図書館「Edison white wax “Perfected” era cylinders, Nos. 1–22」およびWFMU「Thomas Edison’s Attic」のプレイリストにまとめて示されており、いずれも1888年8月14日リトルメンロでのプレス・レセプションの一部として位置付けられています。

8月17日:グローラウド大佐からエジソンへの書簡

1888年8月17日、ロンドンのリトル・メンロでジョージ・エドワード・グローラウド(George Edward Gouraud, 1842–1912)が「Letter from Col. Gouraud to Mr. Edison, August 17, 1888」と題したエジソン宛のメッセージをフォノグラフに口述した円筒が録音されたとされます。これはニューヨーク公共図書館の「Edison white wax “Perfected” era cylinders, Nos. 1–22」に記載される E-2440 系列の一部として、「Gouraud, August 14, Little Menlo」「Phonograph talks with Mr. Edison」などと並んで紹介されており、1888年の「音楽以外」の録音の中で録音日が「August 17, 1888」と明記されている数少ない例です。

10月5日:リトル・メンロ晩餐会トースト録音群

1888年10月5日夜のリトルメンロ晩餐会では、ホストのジョージ・グローラウド(George Edward Gouraud, 1842–1912)をトーストマスターとして、郵政長官セシル・レイクス(Cecil Raikes, 1841–1896)の「Mr. Raikes, Postmaster General to Mr. Edison」(E-2439-08)や、A.M.ブロードリーとJ.C.パーキンソンによる「Mr. Broadley and Mr. Parkinson to Mr. Edison」(E-2439-18)、さらに複数本の「After dinner toast at Little Menlo」(E-2439-07, 11, 13, 14)および「After dinner speech – Col. Gouraud – loud」(E-2439-16)など、ゲストのスピーチとトーストが次々と録音されました。Patrick Feaster による詳細な分析「The Phonograph as Toastmaster (October 5, 1888)」とWFMUプレイリストの双方で、これらの円筒が1888年10月5日付けでリトルメンロ晩餐会の一連の録音として整理されており、録音日と場面が明確に特定されています。

12月18日:ウィリアム・グラッドストンの挨拶録音

イギリス首相ウィリアム・グラッドストン(William Ewart Gladstone, 1809–1898)は1888年12月18日、ロンドンでジョージ・グローラウドのフォノグラフに向かってエジソンへの挨拶「The Phonograph’s Salutation」を録音し、グローラウドの導入メッセージとともに「To Edison from Colonel Gouraud, introducing Mr. Gladstone」として送られました。米国国立公園局の「Documentary Recordings and Political Speeches」およびProject Gutenberg版テキストは、この録音の録音日を「December 18, 1888, London, England」と明記しており、1888年の政治的スピーチ録音として最も確実に日付が判明している音源とされています。

1888年前後に録音された可能性のある音源(録音年・日付不確定)

ここでは、一次資料や研究論文で1888年に録音された可能性がある音源を参考情報としてまとめます。年や録音日は諸説あるため、月別ページや年間曲数(4曲)には含めず、「1888年前後の候補」として別枠で扱います。

Around the World on the Phonograph(Thomas A. Edison)

トーマス・エジソンが自分の声を録音した最古級の音源で、米国ニュージャージー州ウェスト・オレンジにおいて「c. late October 1888(1888年10月末ごろ)」に録音されたスピーチとされています。

クイーン・ヴィクトリアとされるグラフォフォン・シリンダー(c.1888)

サイエンス・ミュージアムに所蔵されているグラフォフォン用ワックス・コート紙シリンダーは「c. 1888」の録音とされ、男性の語りと口笛、さらに短い女性の声が記録されており、この女性声がヴィクトリア女王である可能性が指摘されています。録音年は1888年前後と推定されるものの正確な日付や話者の同定には決定打がなく、1888年周辺の録音文化をめぐるトピックとして本節に補足しておくのが適切だと考えられます。

Henry Irving の朗読シリンダー(Little Menlo, 1888年)

米国議会図書館の “1888 London Cylinder Recordings of Col. George Gouraud” では、リトル・メンロで録音された1888年ロンドン・シリンダーの中に 俳優ヘンリー・アーヴィング(Henry Irving, 1838–1905)の朗読シリンダー が存在することが述べられています。

詳細なラベル転写を扱った研究(JSTOR の “Browning’s Edison Cylinder” など)では、ラベルに「Declamation / by / Henry Irving / ‘Little Menlo’ / August 30. 1888」と記されていることが報告されており、1888年8月30日録音である可能性が高い と考えられます(ただし一次画像が一般公開されておらず、最終的な日付はなお研究途上です)。

“Phonograph Talks with Mr. Edison”(George Edward Gouraud)

Patrick Feaster らの研究や、Griffonage のエッセイ「Edison’s phonographic voice and the aural culture of imitation」では、「Phonograph Talks with Mr. Edison」というタイトルの滑稽なモノローグが、1888年の録音として言及 されています。内容は、ジョージ・エドワード・グローラウド(George Edward Gouraud, 1842–1912)がエジソンの声を真似ながらフォノグラフの効用を語る、というものです。

NYPL の「Edison white wax “Perfected” era cylinders, Nos. 1–22」でも、E-2440 系列に “Phonograph talks with Mr. Edison” のタイトルが見えますが、ラベルに具体的な日付は書かれていないようです。

グルーオーの “phonogramic album”(1888–1891頃)

グルーオーの “phonogramic album”(1888–1891頃)は、ジョージ・エドワード・グルーオー(George Edward Gouraud, 1842–1912)がロンドンやヨーロッパ各地で行った最初期の蝋管録音群と、「世界の偉人たちの声」を集めるアルバム構想をまとめて指す呼称です。MOPMでは1888〜1891年頃の関連録音をこの枠組みで整理し、録音一覧と背景解説を専用ページに掲載しています。