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1889年10月の録音・音声記録

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1889年10月の録音・音声記録

1889年10月は、ワシントンで第1回米州国際会議(First International Conference of American States)が開かれ、米州諸国の通商と外交をめぐる協議が始まった月でした。パリではパリ万国博覧会(Exposition Universelle de 1889)が会期終盤を迎え、6日にはムーラン・ルージュ(Moulin Rouge)が開業しました。11日には物理学者ジェームズ・プレスコット・ジュール(James Prescott Joule, 1818–1889)が死去し、29日には英国南アフリカ会社(British South Africa Company)が勅許を受けました。国際会議、植民地経営、都市娯楽、科学技術の記憶が同時に動いた月でした。

録音史では、エジソン研究所(Edison Laboratory)の録音台帳『ザ・ファースト・ブック・オブ・フォノグラフ・レコーズ(The First Book of Phonograph Records)』に、10月1日から31日まで広い範囲で音楽シリンダーの制作が記録されています。この月の台帳には、ウィル・ライル(Will Lyle, 生没年不明)のバンジョー録音、ダナ&イスラー(Dana & Issler, 生没年不明)のコルネット録音、ウィリアム・トゥーソン(William Tuson, 生没年不明)のクラリネットとジョージ・シュウェインフェスト(George F. Schweinfest, 約1862–1949)の録音、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンド(Duffy and Imgrund’s Fifth Regiment Band)の録音が多く残されています。

同じ月、欧州ではテオ・ヴァンゲマン(Adelbert Theodor Edward Wangemann, 1855–1906)がエジソン式フォノグラフ(Edison phonograph)の実演と録音を続けていました。7日にはフリードリヒスルーでオットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck, 1815–1898)の声が録音され、21日にはクライザウ(Kreisau)でヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ(Helmuth Karl Bernhard von Moltke, 1800–1891)の録音が作られました。月末にはウィーン(Vienna)でも録音活動が始まり、28日にはエドゥアルト・シュトラウス・エリート・カペレ(Eduard Strauss’s Elite-Kapelle)の音楽家による録音が行われました。

1889年10月に日付と内容を確認できる録音は、エジソン研究所の台帳分267件と、テオ・ヴァンゲマンの欧州巡回で確認できる6件を合わせて273件です。ウィーンで始まった月末の録音活動は、実施そのものは伝わるものの、曲名・録音本数・演奏者個人名が確定できないため、この件数には含めていません。

この月の確認されている録音:273件

1日(10件)

1889年10月1日には、ウィル・ライルによるバンジョー録音が10件記録されています。この日の台帳には、65本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Cat SongWill Lyle
Daddy’s SongWill Lyle
When Daddy Picked The Old BanjoWill Lyle
Banjo Solo MedleyWill Lyle
JawboneWill Lyle
Roster SongWill Lyle
Lulu Lyle SongWill Lyle
Phonograph MedleyWill Lyle
Miller’s BabyWill Lyle
And The Phongraph Is Listenings Will Lyle

【1889年10月1日の出来事】
ノース・ダコタ州憲法の批准
この日、後にアメリカ合衆国の州となるノース・ダコタでは、ノース・ダコタ州憲法(Constitution of the State of North Dakota)が住民投票で批准されました。憲法は27,441票対8,107票で承認され、禁酒条項も別投票で僅差ながら承認されました。この手続きは、翌11月の州昇格につながる重要な過程でした。

2日(10件)

1889年10月2日には、ウィル・ライルによるバンジョー録音が10件記録されています。この日の台帳には、72本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Going To Rain Any MoreWill Lyle
Miller’s BabyWill Lyle
Gospel EngineWill Lyle
Rain A LittleWill Lyle
Gospel HarpWill Lyle
Old KentuckyWill Lyle
Stop That KnockingWill Lyle
MedleyWill Lyle
N/AWill Lyle
Barnyard SongWill Lyle

【1889年10月2日の出来事】
第1回米州国際会議の開幕
この日、ワシントンで第1回米州国際会議(First International Conference of American States)が開幕しました。この会議は1890年4月19日まで続き、米州諸国の通商、仲裁、交通、通信などをめぐる協議の場となりました。後の米州国際機構(Organization of American States)につながる米州間協力の出発点として位置づけられます。

4日(11件)

1889年10月4日には、D・B・ダナ(D. B. Dana, 生没年不明)のコルネットとエドワード・イスラー(Edward Issler, 1855–1922)のピアノによる録音が11件記録されています。この日の台帳には、55本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Concert Polka – DanaD. B. Dana
Ed Issler
Concert Polka – DanaD. B. Dana
Ed Issler
Welcome Pretty Primrose – PinsutiD. B. Dana
Ed Issler
Song – Farewell MargueriteD. B. Dana
Ed Issler
Swiss Boy & VariationsD. B. Dana
Ed Issler
Swiss Boy & VariationsD. B. Dana
Ed Issler
Amusement PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Amusement PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Song – Twickenham FerryD. B. Dana
Ed Issler
Sea Flower PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Sea Flower PolkaD. B. Dana
Ed Issler

【1889年10月4日の出来事】
ジョン・ブレンダン・ケリー・シニアの誕生
この日、後にボート競技のオリンピック金メダリストとなるジョン・ブレンダン・ケリー・シニア(John Brendan Kelly Sr., 1889–1960)がフィラデルフィアで生まれました。ジョン・ブレンダン・ケリー・シニアは1920年アントワープオリンピックと1924年パリオリンピックで金メダルを獲得し、アメリカ合衆国のボート競技史に大きな足跡を残しました。

7日(2件)

1889年10月7日には、テオ・ヴァンゲマンによる欧州巡回録音として、フリードリヒスルーでオットー・フォン・ビスマルクの声が記録されました。この日には、現存するビスマルク本人のシリンダーに加え、ヨハンナ・フォン・ビスマルク(Johanna von Bismarck, 1824–1894)が話し、ビスマルク本人が最後に一文を加えた第2シリンダーも作られました。第2シリンダーの整理番号は資料上確認できません。

TitleArtistMatrixCatalog No.
[Otto von Bismarck]Otto von BismarckEDIS 93952
N/AJohanna von Bismarck
Otto von Bismarck

【1889年10月7日の出来事】
カリントン・ボンザー・ウィリアムズの誕生
この日、後に英国の昆虫学者・生態学者となるカリントン・ボンザー・ウィリアムズ(Carrington Bonsor Williams, 1889–1981)が生まれました。カリントン・ボンザー・ウィリアムズは昆虫の移動、個体群の数量分析、生物地理学に関する研究で知られ、1954年に王立協会(Royal Society)のフェローに選出されました。

8日(14件)

1889年10月8日には、ウィリアム・トゥーソンのクラリネットとジョージ・シュウェインフェストの伴奏による録音が14件記録されています。この日の台帳には、97本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Sylvia York DanceWm Tuson
G. Schweinfest
Medley Waltz Don’t Leave Your Mother TomWm Tuson
G. Schweinfest
Song & Dance – My Black Eyed MayWm Tuson
G. Schweinfest
Polka – Clover LeafWm Tuson
G. Schweinfest
Air VarieWm Tuson
G. Schweinfest
Song & Dance – Dream Of LoveWm Tuson
G. Schweinfest
Hungarian CzardasWm Tuson
G. Schweinfest
Hungarian CzardasWm Tuson
G. Schweinfest
Galop – PhonographWm Tuson
G. Schweinfest
Galop – PhonographWm Tuson
G. Schweinfest
Brilliante Scene & Arie – Luisa Di MontfortWm Tuson
G. Schweinfest
Coming Thro The Rye – VariationWm Tuson
G. Schweinfest
Lovely Angeline SchottischeWm Tuson
G. Schweinfest
Santiago WaltzWm Tuson
G. Schweinfest

【1889年10月8日の出来事】
アンナ=リサ・ウーストの誕生
この日、後に「ラップ=リサ(Lapp-Lisa)」の名で知られるスウェーデンの歌手アンナ=リサ・ウースト(Anna-Lisa Öst, 1889–1974)が生まれました。アンナ=リサ・ウーストは救世軍(The Salvation Army)での活動を経て、宗教歌や民謡系の歌を広く歌い、後年には多数のグラモフォン録音を残しました。

9日(15件)

1889年10月9日には、ウィリアム・トゥーソンのクラリネットとジョージ・シュウェインフェストのピアノによる録音が15件記録されています。この日の台帳には、101本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Medley Waltz – Don’t Leave Your Mother TomWm Tuson
G. Schweinfest
Hoboken Pioneer’s SchottischeWm Tuson
G. Schweinfest
Hoboken Pioneer’s SchottischeWm Tuson
G. Schweinfest
Serenade EspagnoleWm Tuson
G. Schweinfest
Grand FantasiaWm Tuson
G. Schweinfest
Song – In The GloamingWm Tuson
G. Schweinfest
Santiago WaltzWm Tuson
G. Schweinfest
Impromptu PolkaWm Tuson
G. Schweinfest
Hungarian DanceWm Tuson
G. Schweinfest
Love’s Dreamland – WaltzWm Tuson
G. Schweinfest
Air VarieWm Tuson
G. Schweinfest
Dream Of Love – Song & DanceWm Tuson
G. Schweinfest
Rockabye BabyWm Tuson
G. Schweinfest
Nichols MarchWm Tuson
G. Schweinfest
National AirsWm Tuson
G. Schweinfest

【1889年10月9日の出来事】
シリル・ジェンキンスの誕生
この日、後に作曲家としてブラスバンド作品を残したシリル・ジェンキンス(Cyril Jenkins, 1889–1978)がウェールズのスウォンジーで生まれました。シリル・ジェンキンスはブラスバンド界と関わりが深く、複数の主要作品が英国のブラスバンド競技会で課題曲として用いられました。

10日(17件)

1889年10月10日には、ウィリアム・トゥーソンのクラリネットとジョージ・シュウェインフェストのピアノによる録音が17件記録されています。この日の台帳には、119本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
March – NicholsWm Tuson
G. Schweinfest
Hoboken PioneerWm Tuson
G. Schweinfest
Galop – PhonographWm Tuson
G. Schweinfest
March – On The Right Inman LineWm Tuson
G. Schweinfest
Hungarian DanceWm Tuson
G. Schweinfest
Song – In The GloamingWm Tuson
G. Schweinfest
Medley Waltz – Don’t Leave Your Mother TomWm Tuson
G. Schweinfest
Polka – Johnny Get Your GunWm Tuson
G. Schweinfest
Schottische – Dancing In The BarnWm Tuson
G. Schweinfest
Schottische – Dancing In The BarnWm Tuson
G. Schweinfest
Mazurka – SylviaWm Tuson
G. Schweinfest
FantasiaWm Tuson
G. Schweinfest
Waltz – SantiagoWm Tuson
G. Schweinfest
FantasiaWm Tuson
G. Schweinfest
Serenade EspagnoleWm Tuson
G. Schweinfest
March – NicholsWm Tuson
G. Schweinfest

【1889年10月10日の出来事】
アドルフ・フォン・ヘンゼルトの死去
ドイツ出身のピアニスト・作曲家アドルフ・フォン・ヘンゼルト(Adolf von Henselt, 1814–1889)が死去しました。アドルフ・フォン・ヘンゼルトはロシア帝国で長く活動し、ピアノ教育にも関わりました。作品では技巧的なピアノ曲が知られ、19世紀ロマン派ピアノ音楽の流れの中に位置づけられる人物です。

11日(16件)

1889年10月11日には、D・B・ダナのコルネットとエドワード・イスラーのピアノによる録音が16件記録されています。この日の台帳には、117本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Polka – L’EleganteD. B. Dana
Ed Issler
Polka – L’EleganteD. B. Dana
Ed Issler
Song – Annie O’ The Moy – WiegandD. B. Dana
Ed Issler
Song – Annie O’ The Moy – WiegandD. B. Dana
Ed Issler
The Favorite – HartmanD. B. Dana
Ed Issler
The Favorite – HartmanD. B. Dana
Ed Issler
Pizzicati Polka – Ballet Sylvia – DelibesD. B. Dana
Ed Issler
Pizzicati Polka – Ballet Sylvia – DelibesD. B. Dana
Ed Issler
Song – Take me Jamie DearD. B. Dana
Ed Issler
Song – Take me Jamie DearD. B. Dana
Ed Issler
Waltz With VatiationsD. B. Dana
Ed Issler
Waltz With VatiationsD. B. Dana
Ed Issler
Anna PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Anna PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Russian Fantasie With Var.D. B. Dana
Ed Issler
Russian Fantasie With Var.D. B. Dana
Ed Issler

【1889年10月11日の出来事】
ジェームズ・プレスコット・ジュールの死去
この日、イギリスの物理学者ジェームズ・プレスコット・ジュール(James Prescott Joule, 1818–1889)が死去しました。ジェームズ・プレスコット・ジュールは、熱と仕事の関係を示す研究で知られ、エネルギー保存則の形成に大きく関わりました。国際単位系のエネルギー単位「ジュール」に名を残す人物です。

12日(12件)

1889年10月12日には、D・B・ダナのコルネットとエドワード・イスラーのピアノによる録音が12件記録されています。この日の台帳には、74本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Dancing In The BarnD. B. Dana
Ed Issler
Dancing In The BarnD. B. Dana
Ed Issler
Surf PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Snow Drop PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Snow Drop PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Facilita & Var.D. B. Dana
Ed Issler
Waltz – Love’s DreamlandD. B. Dana
Ed Issler
[Waltz] Sweet 16thD. B. Dana
Ed Issler
Come Along Sinners – SongD. B. Dana
Ed Issler
Way Over Yonder [Song]D. B. Dana
Ed Issler
Lizzie PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Pearls Of Euchien PolkaD. B. Dana
Ed Issler

【1889年10月12日の出来事】
アルマ・カーリンの誕生
この日、後に作家・旅行家として知られるアルマ・カーリン(Alma Karlin, 1889–1950)が、オーストリア=ハンガリー帝国のツェリェで生まれました。アルマ・カーリンは第一次世界大戦後に世界各地を旅し、その体験をもとに旅行記や小説を発表しました。

14日(14件)

1889年10月14日には、D・B・ダナのコルネットとエドワード・イスラーのピアノによる録音が14件記録されています。この日の台帳には、99本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Emily PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Emily PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Washington Guard PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Washington Guard PolkaD. B. Dana
Ed Issler
The Lucky Hit [Polka]D. B. Dana
Ed Issler
The Lucky Hit [Polka]D. B. Dana
Ed Issler
Robin Adair SongDD. B. Dana
Ed Issler
The Comet PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Boston Belle I [Polka]D. B. Dana
Ed Issler
Dancing In The BarnD. B. Dana
Ed Issler
Song – Jamie DearD. B. Dana
Ed Issler
Snow Drop PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Come Along SinnersD. B. Dana
Ed Issler
Waltz – Sweet SixteenD. B. Dana
Ed Issler

【1889年10月14日の出来事】
スペンサー・ウィリアムズの誕生
この日、後にアメリカ合衆国の作曲家・ピアニストとして活動したスペンサー・ウィリアムズ(Spencer Williams, 1889–1965)がニューオーリンズで生まれました。スペンサー・ウィリアムズは20世紀前半のジャズとポピュラー音楽の分野で知られ、「ベイスン・ストリート・ブルース(Basin Street Blues)」などの作品を残しました。

15日(15件)

1889年10月15日には、D・B・ダナのコルネットとエドワード・イスラーのピアノによる録音が15件記録されています。この日の台帳には、100本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Jamie DearD. B. Dana
Ed Issler
The Favorite – HartmanD. B. Dana
Ed Issler
Waltz White RoseD. B. Dana
Ed Issler
Waltz White RoseD. B. Dana
Ed Issler
Come Along SinnerD. B. Dana
Ed Issler
Anna PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Love’s Dreamland WaltzD. B. Dana
Ed Issler
Russian Fantasie & Var.D. B. Dana
Ed Issler
Emily PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Felicia Waltz (Liberati)D. B. Dana
Ed Issler
Felicia Waltz (Liberati)D. B. Dana
Ed Issler
Silverstream PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Silverstream PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Enchantment PolkaD. B. Dana
Ed Issler
Amazon PolkaD. B. Dana
Ed Issler

【1889年10月15日の出来事】
マーガレット・バーク・シェリダンの誕生
この日、後にアイルランドのソプラノ歌手として活動したマーガレット・バーク・シェリダン(Margaret Burke Sheridan, 1889–1958)が、アイルランドのメイヨー県キャッスルバーで生まれました。マーガレット・バーク・シェリダンはイタリア・オペラの舞台で活動し、プッチーニ作品の歌唱で評価されました。

18日(12件)

1889年10月18日には、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドによる録音が12件記録されています。この日の台帳には、12番までの項目と76本の記録が残されていますが、10番目の曲名は資料上確認できません。

TitleArtistMatrixCatalog No.
White Rose, WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
The Diamond MarchDuffy & Imgrund’s Band
Sounds From Home WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
Dancing In The Barn Military ShottischeDuffy & Imgrund’s Band
Kentucky Jubilee SingersDuffy & Imgrund’s Band
Golden Hours Song & DanceDuffy & Imgrund’s Band
Southern Roses WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
Secret Love MarchDuffy & Imgrund’s Band
Golden Shower WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
N/ADuffy & Imgrund’s Band
Ellenoren WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
Jubilee MarchDuffy & Imgrund’s Band

【1889年10月18日の出来事】
アントニオ・メウッチの死去
この日、イタリア出身の発明家アントニオ・メウッチ(Antonio Meucci, 1808–1889)が、ニューヨークのスタテンアイランドで死去しました。アントニオ・メウッチは音声通信装置の開発で知られ、19世紀の通信技術史においてしばしば言及される人物です。

19日(14件)

1889年10月19日には、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドによる録音が14件記録されています。この日の台帳には、92本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
The Gladiator MarchDuffy & Imgrund’s Band
The Crown Prince MarchDuffy & Imgrund’s Band
Southern Roses WatlzDuffy & Imgrund’s Band
Always Hapy SchottischeDuffy & Imgrund’s Band
Golden Hours SchottischeDuffy & Imgrund’s Band
The Night Alarm Desriptive PieceDuffy & Imgrund’s Band
The Night Alarm Desriptive PieceDuffy & Imgrund’s Band
Pretty As A Pansy Song & DanceDuffy & Imgrund’s Band
The Night Alarm DescriptiveDuffy & Imgrund’s Band
Everybody’s DarlingDuffy & Imgrund’s Band
Canary PolkaDuffy & Imgrund’s Band
Everybody’s Darling (by Request)Duffy & Imgrund’s Band
Nadjy MarchDuffy & Imgrund’s Band
Louisen [Louisien?] MazurkaDuffy & Imgrund’s Band

【1889年10月19日の出来事】
・ポルトガル王ルイス1世の死去
この日、ポルトガル王ルイス1世(Luís I of Portugal, 1838–1889)がカスカイスで死去しました。ルイス1世は1861年からポルトガル王国の国王として在位し、海洋学や科学に関心を持った君主としても知られます。王位はカルロス1世(Carlos I of Portugal, 1863–1908)に継承されました。

21日(17件)

1889年10月21日には、エジソン研究所の台帳にダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドによる録音が13件記録されています。この日の台帳には、92本の記録が残されています。また、欧州ではクライザウでヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケの声が少なくとも4本のシリンダーに記録されました。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Defiance – MarchDuffy & Imgrund’s Band
Mamie – PolkaDuffy & Imgrund’s Band
The Beggar StudentDuffy & Imgrund’s Band
Fedora WaltzDuffy & Imgrund’s Band
The Admirals Favotite – MarchDuffy & Imgrund’s Band
Oneida Parade MarchDuffy & Imgrund’s Band
Billington PromenadeDuffy & Imgrund’s Band
Fantasia From StradellaDuffy & Imgrund’s Band
Beggar Student WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
The Gladiator March 1stDuffy & Imgrund’s Band
The Gladiator March 2ndDuffy & Imgrund’s Band
To Thee WaltzDuffy & Imgrund’s Band
Society YorkDuffy & Imgrund’s Band
[Helmuth Karl Bernhard von Moltke]Helmuth Karl Bernhard von MoltkeEDIS 93951
[Helmuth Karl Bernhard von Moltke]Helmuth Karl Bernhard von MoltkeEDIS 93950
N/AHelmuth Karl Bernhard von Moltke
N/AHelmuth Karl Bernhard von Moltke
N/A

【1889年10月21日の出来事】
『皇帝円舞曲』の初演
この日、ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss II, 1825–1899)の『皇帝円舞曲(Kaiser-Walzer, Op. 437)』がベルリンで初演されました。この作品は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I, 1830–1916)とドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(Wilhelm II, 1859–1941)を意識した作品として知られ、19世紀末のウィーン風ワルツを代表する作品の一つとなりました。

22日(16件)

1889年10月22日には、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドによる録音が16件記録されています。この日の台帳には、109本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Escort Of The Color – MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Pretty Katie Ryan Song & DanceDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Puritan – MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Our Naval OfficersDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Mrs. Brady’s Daughter SchottischeDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
I Think Of Thee WatlzDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Happiness Of Youth WaltzesDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Strangers Yet – MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Approach Of Spring WaltzDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Approach Of Spring WaltzDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Pretty As A Pansy Song & DanceDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Parole Waltzes By PeteDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Metropolitan WaltzesDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Orange Club Schottische 1Duffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Orange Club Schottische 2Duffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Invitation MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band

【1889年10月22日の出来事】
オリヴィエ・メトラの死去
この日、フランスの作曲家・指揮者オリヴィエ・メトラ(Olivier Métra, 1830–1889)がパリで死去しました。オリヴィエ・メトラは舞踏音楽や劇場音楽の分野で活動し、ワルツ、ポルカ、マズルカ、カドリーユなどで知られました。19世紀後半のフランスにおける社交音楽と劇場娯楽の広がりを示す人物です。

23日(16件)

1889年10月23日には、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドによる録音が16件記録されています。この日の台帳には、108本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Onward – MarchDuffy & Imgrund’s Band
Wanda – YorkDuffy & Imgrund’s Band
Dancing In The Barn (By Request)Duffy & Imgrund’s Band
Susy SchottischeDuffy & Imgrund’s Band
Angella WaltzDuffy & Imgrund’s Band
Good Humor PolkaDuffy & Imgrund’s Band
“Welcome” – March, SousaDuffy & Imgrund’s Band
White Rose WaltzDuffy & Imgrund’s Band
Welcome – March 2. SousaDuffy & Imgrund’s Band
On Sail Waltz In Sparrow BrookDuffy & Imgrund’s Band
Don’t Be In A Hurry – GalopDuffy & Imgrund’s Band
Bicycle GalopDuffy & Imgrund’s Band
Sunny Days – SchottischeDuffy & Imgrund’s Band
The Vagabond – MarchDuffy & Imgrund’s Band

【1889年10月23日の出来事】
ジャン・ロワゼルの誕生
この日、後にフランスの作曲家・作詞家として活動したジャン・ロワゼル(Jean Loysel, 1889–1962)が、ブレストで生まれました。ジャン・ロワゼルは本名をオーギュスト・ジョルジュ・シュムッツ(Auguste Georges Schmutz, 1889–1962)といい、20世紀のフランス歌曲やオペレッタの分野で活動しました。

24日(12件)

1889年10月24日には、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドによる録音が12件記録されています。この日の台帳には、112本の記録が残されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Gladiator MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Resolute MarchDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Song And Dance } 1 D. V.Duffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Song And Dance } 2 D. V.Duffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
See Saw WaltzDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Put On The Golden ShoeDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Sea Saw Waltz By RequestDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Oneida – March 1Duffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Oneida – March 2Duffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
St. Albans Commandery MchDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Monarch Line – MchDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band
Climbing Up The Golden StairsDuffy & Imgrunds 5th Regmt. Band

【1889年10月24日の出来事】
ソフトボールの源流となる室内野球ルールの採択
この日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴの「ミッドウィンター・インドア・ベースボール・リーグ(Mid-Winter Indoor Baseball League of Chicago)」が、室内ベースボールの特別ルールを正式に採択しました。
この規則は、16インチのボールを用いるシカゴ独特のソフトボールの起源とされており、投手板までの距離やベース間距離、直球のみとする投げ方など、後のソフトボールにも受け継がれる細かな条件が定められていました。

25日(14件)

1889年10月25日には、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドによる録音が14件記録されています。この日の台帳には、128本の記録が残されています。

TitleArtist
Defiance – MarchDuffy & Imgrund’s Band
Elenoren WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
Sounds From Home – WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
Mrs. Brady’s Daughter SchottischeDuffy & Imgrund’s Band
Sounds From Home – WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
The Gladiator MarchDuffy & Imgrund’s Band
Susy SchottischeDuffy & Imgrund’s Band
Southern Roses WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
Nellie’s Blue Eyes WaltzesDuffy & Imgrund’s Band
Southern Roses WaltzDuffy & Imgrund’s Band
Pretty Pond Lillies } 1Duffy & Imgrund’s Band
Pretty Pond Lillies } 2Duffy & Imgrund’s Band
Happiness Of Youth } 1Duffy & Imgrund’s Band
Happiness Of Youth } 2Duffy & Imgrund’s Band

【1889年10月25日の出来事】
アベル・ガンスの誕生
この日、後にフランスの映画監督・脚本家として活動したアベル・ガンス(Abel Gance, 1889–1981)がパリで生まれました。アベル・ガンスは無声映画期から映画表現の拡張に取り組み、編集、画面構成、上映形式の面で20世紀映画史に大きな影響を残しました。

28日(9件)

1889年10月28日には、ウィル・ライルによるバンジョー録音が9件記録されています。この日の台帳には、64本の記録が残されています。

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Barnyard SongWill Lyle
Barnyard SongWill Lyle
Barnyard SongWill Lyle
Rattle On The Old BanjoWill Lyle
Cat SongWill Lyle
Banjo SoloWill Lyle
Cat SongWill Lyle
Bull Frogs BallWill Lyle
Hunky Dory DarkeyWill Lyle

【1889年10月28日の出来事】
ヘンリー・ジョージ・ラッシュベリーの誕生
この日、後にイギリスの画家・版画家として活動したヘンリー・ジョージ・ラッシュベリー(Henry George Rushbury, 1889–1968)が、イングランドのハーボーンで生まれました。ヘンリー・ジョージ・ラッシュベリーはエッチングや建築風景を得意とし、第一次世界大戦と第二次世界大戦では公式戦争画家としても活動しました。

29日(10件)

1889年10月29日には、ウィル・ライルによるバンジョー録音が10件記録されています。この日の台帳には、57本の記録が残されていますが、10番目の曲名は資料上確認できません。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Cat SongWill Lyle
Barn Yard SongWill Lyle
Stop That KnockingWill Lyle
Nidder Every Day [?]Will Lyle
Ain’t Going To Rain No MoreWill Lyle
Miller’s BabyWill Lyle
Barn Yard SongWill Lyle
When Daddy Picked The Old BanjoWill Lyle
Chicka Dee DeeWill Lyle
N/AWill Lyle

【1889年10月29日の出来事】
英国南アフリカ会社への勅許
この日、英国南アフリカ会社はヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819–1901)から勅許を受けました。セシル・ローズ(Cecil Rhodes, 1853–1902)らが主導したこの会社は、南部アフリカでの鉱業、通商、植民地経営に大きな影響を及ぼしました。

30日(10件)

1889年10月30日には、ウィル・ライルによるバンジョー録音が10件記録されています。この日の台帳には、62本の記録が残されていますが、10番目の曲名は資料上確認できません。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Jingle BellsWill Lyle
Rattle On A BanjoWill Lyle
Stop That KnockingWill Lyle
Cat SongWill Lyle
Gospel RaftWill Lyle
Cat SongWill Lyle
Nigger, Nigger, Nigger Never DieWill Lyle
Gospel TrainWill Lyle
Barn Yard SongWill Lyle
N/AWill Lyle

【1889年10月30日の出来事】
エリック・バウマンの誕生
この日、後にスウェーデンの作曲家・ピアニストとして活動したエリック・バウマン(Erik Baumann, 1889–1955)が、ヴィンメルビューで生まれました。エリック・バウマンはオルガンを学び、後に映画音楽の分野でも活動しました。

31日(7件)

1889年10月31日には、ジョージ・シュウェインフェストによるピアノ録音が7件記録されています。この日の台帳には、2時間の録音作業と31本の記録が残されています。

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MarchGeo. Schweinfest
Mazurka – MelodieGeo. Schweinfest
Polka – BouquetGeo. Schweinfest
Waltz “The Oolah”Geo. Schweinfest
Dreams Of The ForestGeo. Schweinfest
Fantastic GalopGeo. Schweinfest
Polka – G. P. I. [?]Geo. Schweinfest

【1889年10月31日の出来事】
パリ万国博覧会の閉幕
この日、パリ万国博覧会が閉幕しました。フランス革命100周年を記念して開かれたこの博覧会では、エッフェル塔や機械館が近代技術の象徴として注目を集め、エジソン式フォノグラフも新しい音声記録技術として展示されました。

1889年10月の録音に関する情報のまとめ

1889年10月は、エジソン研究所の音楽シリンダー制作と、ヴァンゲマンの欧州巡回録音が並行して進んだ月でした。エジソン研究所の録音台帳には、ウィル・ライルによるバンジョー録音、D・B・ダナとエドワード・イスラーによるコルネット録音、ウィリアム・トゥーソンとジョージ・シュウェインフェストによるクラリネット録音、ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドによるバンド録音、ジョージ・シュウェインフェストによるピアノ録音が記録されています。録音対象は独奏、伴奏付き独奏、バンド演奏に広がり、同じ曲目を複数回録音する制作方法も多く見られます。

この月の資料は、エジソン研究所内の音楽シリンダー制作を記録した台帳と、欧州巡回での実演・発話録音を伝える資料に分かれます。台帳には日付ごとの演奏者、曲名、記録本数が残されており、研究所内で再生用シリンダーを継続的に作っていた様子がわかります。欧州巡回資料では、ベルリン、フリードリヒスルー、クライザウ、ブレスラウ、ウィーンでの実演や著名人録音が中心となり、音楽録音とは異なる発話記録の性格が強く表れています。

欧州では、ヴァンゲマンがベルリンを拠点にフォノグラフの実演を続け、10月7日にはフリードリヒスルーでビスマルクの声を録音し、10月21日にはクライザウでモルトケの声を録音しました。ベルリンでの有料再生実演、アレクサンドル3世(Alexander III, 1845–1894)への実演、ブレスラウ(Breslau)での実演、エドゥアルト・シュトラウス・エリート・カペレ関係者の録音開始も、この月のフォノグラフ普及を示す出来事でした。

同時期には、コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)の録音販売開始前夜の動きや、ベルリナー式グラモフォン(Berliner gramophone)の展開も進んでいました。1889年10月の日付・曲名・演奏者まで確認できる録音は、エジソン研究所の台帳とヴァンゲマンの欧州巡回資料を中心に伝わっています。音楽録音の量的な拡大と、公開実演・宣伝活動を通じた録音技術の国際的な広がりが、同じ月の中に並んで見られます。

ウィル・ライルのバンジョー録音

ウィル・ライルのバンジョー録音は、1889年10月のエジソン研究所の録音台帳で大きなまとまりを持つ独奏系の録音です。10月1日と2日に連続して記録され、月末の10月28日、29日、30日にも再びまとまった録音が行われました。日付別の録音件数は、1日10件、2日10件、28日9件、29日10件、30日10件で、合計49件です。

曲目には、「Cat Song」「Miller’s Baby」「Barn Yard Song」「Stop That Knocking」「When Daddy Picked The Old Banjo」など、歌、バンジョー独奏、メドレー系の題名が並んでいます。同じ曲目が複数日にわたって記録される例もあり、再生用シリンダーを一定数そろえるために、反復して録音されていたことがわかります。

記録本数は、10月1日が65本、2日が72本、28日が64本、29日が57本、30日が62本です。ウィル・ライルの録音は、曲目数だけでなく記録本数の面でも大きな比重を占めています。1889年10月のエジソン研究所では、バンドや管楽器の録音と並んで、バンジョーを中心とする軽演芸的なレパートリーも重要な録音対象になっていました。

ダナとイスラーのコルネット録音

D・B・ダナとエドワード・イスラーの録音は、1889年10月のエジソン研究所の録音台帳で大きなまとまりを占めるコルネット録音です。10月4日、11日、12日、14日、15日に記録されており、確認できる録音は合計68件です。D・B・ダナのコルネットとエドワード・イスラーのピアノによる録音として、独奏楽器と伴奏楽器を組み合わせた初期音楽シリンダー制作の様子をよく示しています。

曲目には、「Concert Polka」「Welcome Pretty Primrose」「Swiss Boy & Variations」「Pizzicati Polka」「Russian Fantasie」「Snow Drop Polka」「Love’s Dreamland Waltz」など、ポルカ、ワルツ、変奏曲、歌曲系の題名が並んでいます。同じ曲目を同じ日に複数回記録する例も多く、再生用シリンダーを一定数そろえるために、反復して録音されていたことがわかります。

記録本数は、10月4日が55本、11日が117本、12日が74本、14日が99本、15日が100本です。D・B・ダナとエドワード・イスラーの録音は、10月前半から中旬にかけて集中しており、1889年10月のエジソン研究所において、コルネットとピアノによる器楽録音が主要な制作対象の一つであったことを示しています。

ウィリアム・トゥーソンとジョージ・シュウェインフェストのクラリネット録音

ウィリアム・トゥーソンとジョージ・シュウェインフェストの録音は、1889年10月8日から10日にかけてエジソン研究所の録音台帳にまとまって現れるクラリネット録音です。10月8日には14件、9日には15件、10日には17件が記録され、3日間で合計46件にのぼります。ウィリアム・トゥーソンのクラリネットとジョージ・シュウェインフェストのピアノを組み合わせた録音で、10月前半の器楽録音の中心的なまとまりの一つになっています。

曲目には、「Santiago Waltz」「Hungarian Czardas」「Galop – Phonograph」「Serenade Espagnole」「Hoboken Pioneer’s Schottische」「Dancing In The Barn」など、ワルツ、ポルカ、ショティッシュ、ギャロップ、幻想曲系の題名が並んでいます。同じ曲目が複数日にわたって記録される例もあり、レパートリーを変えながら、再生用シリンダーを一定数そろえるための反復録音が行われていました。

記録本数は、10月8日が97本、9日が101本、10日が119本です。ウィリアム・トゥーソンとジョージ・シュウェインフェストの録音は、バンジョー録音やコルネット録音と並び、1889年10月のエジソン研究所における主要な器楽録音の一つでした。

ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドの連続録音

ダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドの録音は、1889年10月18日、19日、21日、22日、23日、24日、25日に集中して記録されています。録音は合計97件にのぼり、10月後半のエジソン研究所の録音台帳では、最も大きなまとまりを持つバンド録音です。

曲目には、「The Gladiator March」「Southern Roses Waltz」「Dancing In The Barn」「Defiance – March」「Beggar Student Waltzes」「Escort Of The Color – March」「Welcome – March」「Oneida – March」など、行進曲、ワルツ、ショティッシュ、ポルカ、舞曲系の題名が多く見られます。軍楽隊的なレパートリーと舞踏音楽が混在しており、フォノグラフで再生する器楽録音として、音量や曲調の変化を生かしやすい内容になっています。

記録本数は、10月18日が76本、19日が92本、21日が92本、22日が109本、23日が108本、24日が112本、25日が128本です。台帳上では団体名の書き方に揺れが見られますが、いずれも同じ録音群に属するものとして扱えます。1889年10月のエジソン研究所では、月後半にダフィー・アンド・イムグランド・フィフス・レジメント・バンドの録音が大きな比重を占めていました。

ヴァンゲマンの欧州派遣とベルリン滞在

ヴァンゲマンの欧州派遣は、パリ万国博覧会で展示されていたフォノグラフの調整と運用支援から始まりました。当初の任務は、展示機の保守、改良部品の供給、操作員の訓練でしたが、滞在は長期化し、展示用シリンダーの録音や各地での実演へ広がっていきました。録音用のブランクシリンダーは、エジソン・フォノグラフ・ワークス(Edison Phonograph Works)から送られ、パリを経由してヴァンゲマンの滞在先へ転送されていました。

9月以降のベルリン滞在では、シーメンス・ウント・ハルスケ社(Siemens & Halske & Co.)の協力を受けながら、フォノグラフの実演と録音が続けられました。ヴァンゲマンはホテル・カイザーホーフ(Hotel Kaiserhof)を拠点の一つとし、科学者、政府関係者、芸術家、クラブ関係者などに向けてフォノグラフを披露しました。録音済みシリンダーを別の場所で再生する実演も行われ、フォノグラフは録音装置であると同時に、音声を移動させて聴かせる装置として紹介されていました。

同じ時期には、アメリカン・グラフォフォン社(American Graphophone Company)系のグラフォフォンをめぐる競合意識も強まっていました。ヴァンゲマンはベルリンでフォノグラフの成功を報告する一方、グラフォフォンに関する噂への対応も求められていました。1889年10月のベルリン滞在は、録音活動だけでなく、フォノグラフをめぐる技術的・商業的な競争の場でもありました。

ホテル・カイザーホーフでの有料再生実演

1889年10月20日、ヴァンゲマンはベルリンのホテル・カイザーホーフでフォノグラフの有料再生実演を行いました。この実演はベルリン滞在の区切りとなる催しで、来場者は20マルクの入場料を支払い、録音済みシリンダーの再生を聴きました。

この場では、ヴィルヘルム2世の子どもたちの声を記録したシリンダーや、ビスマルクの声を記録したシリンダーが再生されました。フォノグラフは、音をその場で記録する機械であるだけでなく、別の場所で録音された声を運び、聴衆の前で再生する装置としても扱われていました。

ホテル・カイザーホーフでの実演は、著名人の声を録音し、それを公開の場で再生するという利用方法を具体的に示しています。1889年10月のベルリンでは、録音済みシリンダーそのものが、実演会の中心に置かれる音声資料として価値を持ち始めていました。

ビスマルク録音と政治演説回避の背景

1889年10月7日、ヴァンゲマンはフリードリヒスルー(Friedrichsruh)のビスマルク邸で、ビスマルクの声を録音しました。ビスマルクには、ドイツ人やアメリカ人に向けた短い演説を録音することも期待されていましたが、政治的な発言が政敵に曲解されることを警戒し、政治演説としての録音は避けました。

現存するシリンダーでは、ビスマルクは歌や詩の一部を口にし、最後に息子ヘルベルト・フォン・ビスマルク(Herbert von Bismarck, 1849–1904)への短い言葉を残しています。その内容は公的な演説ではなく、私的な発話や朗唱に近いものです。この録音には、政治家の肉声を残した早い記録としての重要性と、録音された声が本人の意図を離れて広がることへの警戒が同時に表れています。

この日には、ヨハンナ・フォン・ビスマルクが話し、ビスマルクが最後に一文を加えた別のシリンダーも作られました。この第2シリンダーの整理番号や現存状況は資料上確認できません。ビスマルク録音は、フォノグラフが著名人の声を保存する装置として注目される一方、その声が政治的な意味を持ちうることを早くから示した録音でもありました。

アレクサンドル3世への実演と録音不成立

1889年10月12日、ベルリン滞在中のアレクサンドル3世に対して、ヴァンゲマンはフォノグラフの実演を行いました。この実演は、ビスマルクやモルトケの録音と同じ欧州巡回の中で行われましたが、アレクサンドル3世自身の声がシリンダーに記録されたことは確認できません。

アレクサンドル3世は装置の仕組みに関心を示し、フォノグラフの動力について質問しました。ヴァンゲマンは、装置が小型のダイナモで動いていることを説明しましたが、実演は録音を伴わない形で終わりました。王侯や政治家の前でフォノグラフが披露されていても、相手が必ず録音に応じたわけではありません。

この出来事は、1889年10月の欧州巡回において、実演と録音が別の段階にあったことを示しています。ビスマルクやモルトケのように声が残された例がある一方で、アレクサンドル3世への実演は、フォノグラフが欧州の宮廷・外交空間に紹介された出来事として位置づけられます。

モルトケ録音と同席者の発話録音

1889年10月21日、ヴァンゲマンはクライザウでモルトケの声を録音しました。モルトケの声は少なくとも4本のシリンダーに記録され、そのうち2本が現存しています。現存する2本には、フォノグラフへの言及、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749–1832)の『ファウスト(Faust)』からの引用、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare, 1564–1616)の『ハムレット(Hamlet)』に由来する句をきっかけにした発話などが含まれています。

モルトケは1800年生まれであり、その声を伝えるシリンダーは、18世紀生まれの人物の肉声が現在まで聴取可能な形で残った非常に早い例です。音楽録音ではありませんが、録音史上の意義は大きく、1889年10月の欧州巡回録音を代表する記録の一つです。

この訪問では、モルトケ本人だけでなく、同席していた親族約20人も順にフォノグラフへ話したとされています。親族の個別氏名、録音本数、各録音の内容、現存状況は資料上確認できません。モルトケ録音は、個人の発話を保存した記録であると同時に、フォノグラフが家庭内や私的な集まりの場でも強い関心を集めていたことを示しています。

ブレスラウでのフォノグラフ実演

モルトケ訪問の後、ヴァンゲマンはウィーンへ向かう途中でブレスラウ(Breslau)に滞在し、1889年10月23日–24日にフォノグラフの実演を行いました。ブレスラウは当時のドイツ帝国(German Empire)東部の主要都市であり、クライザウからウィーンへ向かう経路上に位置していました。

この実演は、ビスマルク録音やモルトケ録音のような著名人の発話録音とは性格が異なります。録音内容や演奏者名が確認できる個別シリンダーとしてではなく、欧州巡回の途中で行われたフォノグラフ実演として伝わっています。

ブレスラウでの実演は、ヴァンゲマンの欧州巡回が著名人訪問だけでなく、都市ごとの公開・紹介活動としても進んでいたことを示しています。ベルリン、フリードリヒスルー、クライザウ、ブレスラウを経てウィーンへ向かう流れから、フォノグラフがドイツ語圏の複数都市で連続的に披露されていたことがわかります。

ウィーン到着と10月末の録音・宣伝活動

ヴァンゲマンは1889年10月25日にウィーンへ到着しました。ウィーンではグランド・ホテル(Grand Hotel)に滞在し、朝には著名人向けの実演を行い、夜には市内のクラブや団体に向けてフォノグラフを披露しました。ベルリンのホテル・カイザーホーフでの有料再生実演とは異なり、ウィーンでは入場料を取らない形で実演が行われました。

1889年10月28日には、エドゥアルト・シュトラウス・エリート・カペレの音楽家による録音が始まりました。この録音は、ヴァンゲマンの欧州巡回におけるウィーンでの音楽録音開始を示す重要な出来事です。曲名、録音本数、演奏者個人名は資料上確認できません。

ウィーン滞在の目的には、フランツ・ヨーゼフ1世へのフォノグラフ実演も含まれていましたが、10月中には実現しませんでした。その待機期間中、ヴァンゲマンは新聞記者への取材対応を重ね、フォノグラフを録音・再生装置としてだけでなく、報道や宣伝の手段としても示しました。10月末のウィーンでは、録音、実演、新聞報道が結びつきながら、フォノグラフの公開活動が進んでいました。

10月録音として確定できない欧州巡回録音

ヴァンゲマンの欧州巡回録音には、1889年10月の録音として日付を確定できないものも含まれています。エマヌエル・モール(Emánuel Moór, 1863–1931)による「Hungarian Melody」は、1889年の欧州巡回録音として伝わりますが、録音日は9月–12月頃とされるにとどまり、10月録音とは断定できません。

また、「Spoken letter in English」と整理されるシリンダーには、ウィーンでの録音を思わせる要素がありますが、録音日、話者、録音状況は確定していません。10月末のウィーン滞在と関係する可能性はありますが、資料上は日付を10月29日などに固定できません。

これらの録音は、ヴァンゲマンの欧州巡回が10月だけで完結するものではなく、1889年秋から1890年初めにかけて続いた広い活動の中に位置づけられます。日付と内容が確定している録音とは別に、時期が広く推定される欧州巡回録音として伝わっています。

コロンビア・フォノグラフ社の録音販売開始前夜

コロンビア・フォノグラフ社は、1889年1月にノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Company)の地域会社として設立されました。当初はワシントンD.C.(Washington, D.C.)周辺を営業地域とする会社でしたが、1889年11月15日付の広告パンフレットでは、娯楽用の音楽シリンダーも販売対象として掲げられていました。

この広告パンフレットからは、フォノグラフが事務用・実演用の機械にとどまらず、家庭や興行で聴かれる録音商品へ広がりつつあったことがわかります。エジソン研究所で音楽シリンダー制作が続く一方、地域会社の側でも録音販売を事業化する動きが近づいていました。

1889年10月にコロンビア・フォノグラフ社が録音した個別タイトル、演奏者、録音日、録音本数は資料上確認できません。同月の時点では、同社の録音販売が表面化する直前の段階にありました。

ベルリナー式グラモフォンの1889年展開と10月録音未確認

エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)のベルリナー式グラモフォン(Berliner gramophone)は、シリンダーではなく平円盤に音を記録する方式を特徴としていました。1887年にアメリカ合衆国(United States of America)で特許が認められ、1888年には技術内容が紹介されていました。1889年の時点で、フォノグラフやグラフォフォン(Graphophone)とは異なる録音・再生方式として知られ始めていました。

ベルリナー式グラモフォンは、後のディスクレコード産業につながる重要な技術でした。一方で、1889年10月に録音されたベルリナー式グラモフォンの個別録音については、曲名、演奏者、録音日、現存媒体を確定できる資料は確認できません。

1889年10月の録音史では、エジソン研究所の音楽シリンダー制作と、ヴァンゲマンの欧州巡回録音が具体的な録音記録として確認できます。ベルリナー式グラモフォンは、同時期に存在していた別方式の録音技術として重要ですが、1889年10月の個別録音として確定できる記録は資料上確認できません。

References