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1890年の録音・音声記録

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1890年の録音・音声記録

1890年は、録音が研究室内の技術実験から、地域会社の事業、展示用の娯楽、コイン投入式機器、販売用カタログ、民族誌調査、初期円盤録音へと広がっていった年です。トーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)のエジソン研究所(Edison Laboratory)では、1889年に始まった音楽シリンダー制作の流れが続き、ノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Company)の地域会社制度のもとで、各地のフォノグラフ会社が録音の利用方法を模索しました。コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は1890年に複数の広告・カタログ資料を出し、音楽シリンダーを商品として提示する動きを強めました。

同じ年には、録音を聴く場所と方法も変わり始めました。ルイス・グラス(Louis Glass, 生没年不明)とウィリアム・S・アーノルド(William S. Arnold, 生没年不明)によるコイン投入式フォノグラフの特許は、硬貨の投入と聴取管、電気モーター、音路の開閉を結びつけ、録音を有料で聴かせる仕組みを具体化しました。エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)のグラモフォン(Gramophone)は、蝋管とは異なる円盤形式と横振動溝を用いる方式として、1889年–1890年頃の小型円盤録音につながっていきます。ジョージ・ワシントン・ジョンソン(George Washington Johnson, 1846–1914)は1890年春に商業録音を行い、のちに初期録音産業を代表する黒人録音アーティストとして知られるようになりました。

また、ジェシー・ウォルター・フュークス(Jesse Walter Fewkes, 1850–1930)は、メイン州カレー(Calais, Maine)でパサマクォディ族の歌、物語、語彙を蝋管に記録しました。商業録音とは異なる領域でも、録音技術は民族誌調査や言語・文化の記録に使われ始めていました。1890年の録音史では、音楽を商品として販売する動きと、音声を調査・保存の対象として扱う動きが並行して進みました。

世界では、アメリカ合衆国(United States of America)でシャーマン反トラスト法(Sherman Antitrust Act)が成立し、ワイオミング州(State of Wyoming)が女性参政権を保ったまま州に昇格しました。ドイツ帝国(German Empire)ではオットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck, 1815–1898)が宰相を辞任し、日本では大日本帝国憲法(Constitution of the Empire of Japan)のもとで第一回帝国議会が開かれました。科学技術の面では、ハーマン・ホレリス(Herman Hollerith, 1860–1929)のホレリス式集計機(Hollerith Machines)が1890年アメリカ合衆国国勢調査(1890 United States Census)で用いられ、情報処理史の重要な一歩となりました。文化面では、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840–1893)のバレエ『眠れる森の美女(The Sleeping Beauty)』が初演され、アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle, 1859–1930)の『四つの署名(The Sign of Four)』が書籍として刊行されました。録音技術が音声を固定し始めた一方で、政治、産業、科学、文学、舞台芸術も大きく動いた年でした。

この年の確認されている録音:129件

1890年の録音史

1890年には、フォノグラフが発明品の実演や事務機械としての用途を越え、音楽、展示、娯楽、販売、調査、保存へと使われる場を広げていきました。ノース・アメリカン・フォノグラフ社の地域会社制度のもとでは、各地のフォノグラフ会社が録音済みシリンダーの供給や公開展示の方法を探り、コロンビア・フォノグラフ社は音楽シリンダーを商品として示すカタログ展開を進めました。

同じ年には、コイン投入式フォノグラフが録音を有料で聴かせる娯楽装置として具体化し、ベルリナーのグラモフォンは、シリンダーとは異なるグラモフォン円盤の可能性を示しました。ジョンソンの初期テスト録音や、フュークスによるパサマクォディ族の録音もこの年の動きに重なります。1890年の録音は、商業録音、展示、民族誌調査、初期円盤録音へと用途を分けながら、録音技術が社会の中で使われる範囲を広げていきました。

ノース・アメリカン・フォノグラフ社と地方会社制度

ノース・アメリカン・フォノグラフ社は、エジソン式フォノグラフとグラフォフォン(Graphophone)を地方会社に貸与し、各社がそれぞれの営業地域で機械を扱う仕組みを作りました。この制度は、当初は口述記録や事務用途を中心に想定されていましたが、実際には音楽、話芸、演説、公開展示などの娯楽利用にも広がっていきました。

1888年のノース・アメリカン・フォノグラフ社設立後、各地に地方会社が設けられ、それぞれが地域ごとの営業権をもってフォノグラフ事業を進めました。しかし、機械の供給不足、操作の難しさ、故障、資金不足などが重なり、事務機械としての普及は容易ではありませんでした。こうした状況の中で、録音済みシリンダーを公開展示で聴かせる事業は、地方会社にとって重要な収益手段の一つになっていきました。

1890年の録音史では、この地方会社制度が重要な前提になります。録音は研究所や製造元だけで完結するものではなく、各地の地方会社が機械を動かし、聴衆を集め、録音済みシリンダーの需要を作ることで広がっていきました。地方会社制度は、録音を事業として扱うための初期の流通、展示、販売の枠組みを形づくりました。

アメリカ合衆国地方フォノグラフ会社第1回年次大会

1890年5月28日–29日、イリノイ州シカゴのオーディトリアム・ホテル(Auditorium Hotel)で、アメリカ合衆国地方フォノグラフ会社第1回年次大会(First Annual Convention of Local Phonograph Companies of the United States)が開かれました。大会の議事録は、フォノグラフ・プリンティング社(Phonograph Printing Co.)から『アメリカ合衆国地方フォノグラフ会社第1回年次大会議事録(Proceedings of First Annual Convention of Local Phonograph Companies of the United States Held at Chicago, May 28 and 29, 1890)』として刊行されました。

大会には各地の地方フォノグラフ会社の関係者が集まり、各社の営業状況、フォノグラフとグラフォフォン、機械やシリンダーの供給、営業地域、契約条件、機器の改良など、事業運営に関わる幅広い問題について意見が交わされました。機器の供給や不具合、事務用途での利用方法なども具体的に報告されており、地方会社がそれぞれの地域で事業を成立させるために試行錯誤していた状況が記録されています。

この大会は、1890年時点の録音・再生技術が、発明者や製造会社だけでなく、実際に機械を利用者へ提供する地方会社の事業によって支えられていたことを示しています。フォノグラフが事務用機械として期待される一方で、音楽や音声を再生する用途も意識されるようになり、機器やシリンダーの供給、利用方法、収益化をめぐる実務上の課題が業界全体で検討される段階に入っていました。

地方会社による原録音と複製シリンダー

1890年末、地方のフォノグラフ会社による原録音の制作と、録音済みシリンダーを複製して供給する仕組みが、それぞれ別の課題として扱われるようになりました。エジソンは、地方会社が演奏者を使って独自に原録音を制作すること自体には異議を示さず、自らが担いたいのは、その原録音から複製品を製造することであるとの考えを示しています。

12月11日には、それまでの音楽シリンダーについて、1890年1月までエジソン研究所(Edison Laboratory)でエジソン自身の責任のもとに制作してきたものであり、エジソン・フォノグラフ・ワークス(Edison Phonograph Works)が正式な事業として制作していたものではないと説明しました。地方会社が各地で原録音を制作し、その録音から複製シリンダーを集中的に製造するという役割分担が、この時期に検討されていました。

同じ演奏を繰り返し直接録音する方法に代わって、原録音から複製品を安定して供給できれば、録音物をより効率的に流通させることができます。1890年末には、地方会社による録音制作とともに、複製シリンダーをどこで製造し、どのように各地へ供給するかが、録音事業の重要な課題となっていました。

コイン作動式フォノグラフと地方会社の娯楽市場

1890年5月27日、ルイス・グラスとウィリアム・S・アーノルドによるアメリカ合衆国特許第428,750号(United States Patent No. 428,750)と第428,751号(United States Patent No. 428,751)が付与されました。前者は「フォノグラフ用コイン作動式付属装置(Coin-Actuated Attachment for Phonographs)」、後者は「フォノグラフ用コイン作動付属装置(Coin-Actuating Attachment for Phonographs)」に関する特許です。

これらの装置は、硬貨の投入とフォノグラフの動作や聴取管を連動させ、利用者が料金を支払うことで録音を聞ける仕組みを具体化したものでした。複数の聴取管を備えた構造では、それぞれの利用者が個別に硬貨を投入しなければ音を聞けないよう設計されていました。

コイン作動式フォノグラフは、録音済みシリンダーそのものを販売する方法とは別に、フォノグラフを設置した場所で録音を有料で聞かせる事業を可能にしました。事務用途を中心に展開されていたフォノグラフに、公開展示や有料聴取という娯楽用途が加わり、地方会社にとっても新たな収益方法の一つとなっていきました。

コロンビア・フォノグラフ社の1890年カタログ展開

コロンビア・フォノグラフ社は、1890年に広告パンフレットやカタログ、案内資料を発行し、音楽シリンダーを商品として紹介しました。確認できる資料には、2月7日付のカタログ付き広告パンフレット、6月15日付の広告パンフレット、10月1日付のアメリカ海兵隊軍楽隊(United States Marine Band)に関する案内、11月24日付と12月22日付のカタログがあります。

これらの日付は資料の発行日であり、掲載された各シリンダーの録音日を示すものではありません。11月24日付のカタログでは、アメリカ海兵隊軍楽隊による録音が曲種別に整理され、音量と明瞭さを基準に選んだ録音であることが案内されています。12月22日付のカタログでは掲載内容がさらに拡大し、軍楽隊による演奏のほか、口笛、歌唱、器楽独奏などを含む158件の番号付き項目が掲載されました。

こうした資料から、コロンビア・フォノグラフ社が1890年の段階で、録音済みシリンダーを継続的に紹介し、演奏者や曲目、演奏形態などによって整理された商品として販売していたことがわかります。録音音声をその場で聞かせるだけでなく、選択して購入できる音楽商品として提示する仕組みが形づくられつつありました。

初期音楽シリンダーの制作と複製

1890年のエジソン研究所では、1889年5月に始まった音楽シリンダーの制作が続けられていました。『The First Book of Phonograph Records』には、演奏者を研究所に招き、同じ曲を繰り返し録音した記録や、同じ日に多数のシリンダーを制作した記録が残されています。

この時期のシリンダーは、後年の成型シリンダーのように一つの原録音から大量生産できるものではありませんでした。初期には、複数の録音機を使って一度の演奏を複数本の蝋管に直接記録する方法が用いられました。また、原録音から複製を作る技術も試みられていましたが、一つの原録音から作れる複製数には限りがあり、需要のある曲を継続して供給するには同じ曲を改めて録音する必要がありました。

1890年末には、地方会社が独自に原録音を制作し、その原録音から複製品を製造するという役割分担も検討されるようになりました。音楽シリンダーが商品として扱われ始める一方で、一定の品質を保ちながら必要な数量を制作し、各地へ供給する方法は、まだ発展の途上にありました。

エジソン・トーキング・ドールと玩具用録音

エジソン・トーキング・ドール(Edison Talking Doll)は、小型の録音再生機構を人形の内部に組み込み、録音された声を再生する玩具として開発されました。1890年には、ニュージャージー州ウェスト・オレンジのエジソン・フォノグラフ・ワークスで製造が行われ、主に同年2月から5月にかけて、童謡や子ども向けの詩を収録したシリンダーが制作されました。録音は同社に雇われた少女たちによって行われました。

アメリカ合衆国国立公園局(National Park Service)が公開しているデジタル化済みのエジソン・トーキング・ドール録音8件のうち、6件は1890年2月–5月頃に録音された茶色ワックス製の量産型シリンダーです。これらには「Twinkle, twinkle little star」「Little Jack Horner」「There was a little girl」「Now I lay me down to sleep」「Jack and Jill」などが残されています。個々の録音を担当した少女の氏名は確認されていません。

エジソン・トーキング・ドールの録音は、劇場や公開展示で聴かせる音楽シリンダーとは異なり、録音された声を家庭用の商品に組み込むために制作されたものでした。録音技術が音楽や口述記録だけでなく、玩具という新しい用途にも利用され始めたことを示しています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Twinkle, twinkle little star (Example 2)N/A
Little Jack HornerN/A
There was a little girlN/A
Twinkle, twinkle little star (Example 3)N/A
Now I lay me down to sleepN/A
Jack and JillN/A

ベルリナーのグラモフォンと初期円盤録音

ベルリナーのグラモフォンは、エジソン式フォノグラフのシリンダーとは異なり、平らな円盤に横振動の溝を記録する方式を採用していました。ベルリナーは亜鉛円盤の表面に塗膜を施し、録音針によって線を描いた後、酸でその線をエッチングして溝を形成する方法を開発しました。また、原盤を電鋳して複製用の型を作り、そこから円盤を複製する方法についても実験を重ねました。

1889年にドイツでグラモフォンを実演したベルリナーは、テューリンゲン州ヴァルタースハウゼンの玩具メーカー、カンメラー・ウント・ラインハルト社(Kämmer & Reinhardt)と協力し、小型の手回し式グラモフォンと5インチ円盤を製造しました。初期の円盤にはセルロイドが使われ、その後は硬質ゴム製の円盤も作られました。生産規模はまだ小さかったものの、1890年には円盤式録音が実際の商品として製造される段階に入っていました。

12月16日には、ベルリナーがアメリカ電気学会(American Institute of Electrical Engineers)の会合で「改良型グラモフォン(The Improved Gramophone)」を発表し、亜鉛円盤への録音方法、再生装置、円盤を複製するために試みていた各種の方法を説明しました。1890年のグラモフォンはまだ発展途上の技術でしたが、円盤への録音と、その記録を複製して利用するという仕組みが具体的に示されていました。

ジョージ・ワシントン・ジョンソンの初期録音

ジョージ・ワシントン・ジョンソンは、1890年春にニューヨークで商業録音を始めました。アメリカ議会図書館(Library of Congress)によると、ジョンソンはメトロポリタン・フォノグラフ社(Metropolitan Phonograph Company)とニュージャージー・フォノグラフ社(New Jersey Phonograph Company)で初期の商業録音を行い、「ザ・ラフィング・ソング」と「ザ・ホイッスリング・クーン」を録音しました。ジョンソンは、商業録音を行った最初のアフリカ系アメリカ人として知られています。

当時は、一つの原録音から同じ品質の録音物を大量に複製する技術がまだ確立されていませんでした。そのため、人気のある録音を供給するには、演奏者が同じ曲を何度も録音する必要がありました。ジョンソンも1890年代を通じて繰り返し録音を行い、とりわけ「ザ・ラフィング・ソング」は広く知られる録音となりました。

1890年春のジョンソンの録音は、録音産業が形成され始めた時期に行われた初期の商業録音であり、その後の長期にわたる録音活動の出発点となりました。

ジェシー・ウォルター・フュークスの民族誌録音

フュークスは1890年3月15日から18日にかけて、メイン州カレーでパサマクォディ族の歌、物語、伝承、語彙などを蝋管シリンダーに記録しました。この調査では36本のシリンダーが録音され、主な話者・歌い手としてピーター・セルモア(Peter Selmore, 生没年不明)とニューウェル・ジョセフス(Newell Josephs, 生没年不明)が記録されています。ニューウェル・ジョセフスの名は、資料によって「Noel Joseph」「Noel Josephs」とも表記されています。

録音された内容には、物語や創世伝承、語彙や数の一覧、歌などが含まれています。当時の蝋管シリンダーに録音できる時間は短かったため、長い物語は複数のシリンダーに分けて記録されました。現在残されている記録には、1890年3月15日や16日など、録音日を特定できるシリンダーも含まれています。

アメリカ議会図書館は、これらを蝋管シリンダーに残された先住民の歌や物語の最初期のフィールド録音として位置づけています。フォノグラフが音楽や娯楽、事務用途だけでなく、人の声、言語、歌、伝承を記録し保存する手段として利用され始めたことを示す重要な記録です。

初期シリンダーに残された音声アナウンス

初期の音楽シリンダーには、演奏が始まる前に、曲名や演奏者、録音を制作した会社などを声で告げるアナウンスが収録されることがありました。シリンダーそのものから内容を視覚的に識別することが難しかった時期には、こうした音声アナウンスが録音内容を知らせる役割を果たしていました。

コロンビア・フォノグラフ社による初期録音にも、この形式のアナウンスが残されています。1890年頃に録音されたアメリカ海兵隊軍楽隊の「ラ・メディア・ノーチェ(La Media Noche)」では、メキシコ舞曲であること、曲名、演奏者、コロンビア・フォノグラフ社のために録音されたことが音声で告げられています。

こうしたアナウンスは、曲名や演奏者を知らせるだけでなく、録音を制作した会社を示す役割も担っていました。初期のシリンダー録音では、演奏そのものだけでなく、その録音が何であるかを説明する声も記録の一部として残されていました。

1890年に関わる録音

1890年に関わる録音には、録音日を特定できるものだけでなく、録音年のみが1890年とされているものや、「1890年頃」「1889年–1890年」「1890年–1895年」のように推定年代で伝わるものがあります。初期の録音資料では、録音日、録音場所、演奏者、マトリックス番号、カタログ番号などがすべて揃っているとは限らず、資料によって年代の示し方にも違いがあります。

本ページでは、録音日や録音月を確認できる音源を各月の録音として整理しています。一方、録音年が1890年とされていても月日を特定できない音源や、1890年を含む年代幅で伝わる音源については、録音年代の確実性を区別して扱っています。家庭録音や私的録音など、録音産業史上の位置づけや年代を確認できないものは、1890年の録音としては扱いません。

1890年に関わる資料には、エジソン式フォノグラフのシリンダー、初期グラモフォン円盤、公開展示や販売用の音楽シリンダー、民族誌録音など、性格の異なる録音が含まれています。録音日を確認できるものと推定年代で伝わるものを分けることで、1890年前後の録音史を整理しています。

1890年頃とされる初期グラモフォン録音

初期グラモフォン円盤には、録音月日を特定できないものの、1890年頃の録音とされる音源が残されています。アメリカ議会図書館は、ベルリナーによる「The Lord’s Prayer」を1890年頃の録音としており、初期の円盤録音の一つとして保存しています。

また、アーキオフォン・レコーズ(Archeophone Records)の『Waxing the Gospel: Mass Evangelism and the Phonograph, 1890–1900』では、「The Lord’s Prayer」と「In the Sweet By and By」を1890年のグラモフォン録音として収録しています。「The Lord’s Prayer」の演者はベルリナー、「In the Sweet By and By」の演者は不明とされています。いずれも初期の5インチ円盤に残された無伴奏の録音です。

録音月日を確定できないため、これらは月別の録音件数には含めず、1890年頃の初期円盤録音として区別して掲載しています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
The Lord’s PrayerEmile Berliner
In the Sweet By and ByN/A

1890年春のジョージ・ワシントン・ジョンソン初期録音

ジョージ・ワシントン・ジョンソンは、1890年春にニューヨークの初期録音会社で「ザ・ラフィング・ソング」と「ザ・ホイッスリング・クーン」を録音しました。この時期の録音については、後年の市販録音のように録音日、録音場所、マトリックス番号、カタログ番号などが整理されて残されているわけではありません。

ジョンソンは1890年に商業録音活動を始め、その後も同じ2曲を繰り返し録音しました。ここでは、後年に制作された同曲の録音とは区別し、1890年春に行われた初期録音として掲載しています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
The Laughing SongGeorge W. Johnson
The Whistling CoonGeorge W. Johnson

1890年頃とされる初期グラモフォン録音

初期グラモフォン円盤には、録音月日を特定できないものの、1890年頃の録音とされる音源が残されています。アメリカ議会図書館は、ベルリナーによる「The Lord’s Prayer」と「Twinkle, Twinkle, Little Star」を1890年頃の録音として保存しています。

また、アーキオフォン・レコーズ(Archeophone Records)の『Waxing the Gospel: Mass Evangelism and the Phonograph, 1890–1900』には、「The Lord’s Prayer」と「In the Sweet By and By」が1890年のグラモフォン録音として収録されています。「The Lord’s Prayer」の演者はベルリナー、「In the Sweet By and By」の演者は不明とされています。

これらは録音月日を確定できないため、月別の録音件数には含めず、1890年頃の初期円盤録音として掲載しています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
The Lord’s PrayerEmile Berliner
In the Sweet By and ByN/A
Twinkle, Twinkle, Little StarEmile Berliner

1889年–1890年とされる初期グラモフォン円盤(56件)

1889年–1890年頃に制作されたと推定される初期グラモフォン円盤が残されています。アーキオフォン・レコーズの『Etching the Voice: Emile Berliner and the First Commercial Gramophone Discs, 1889-1895』では、この年代を「1889–90」とする56件の録音が確認できます。個々の録音について1890年に制作されたことを確定できないため、1890年の月別録音件数には含めていません。

これらの録音には、歌、器楽演奏、詩や文章の朗読、童謡、祈り、言葉や数字の読み上げなど、さまざまな内容が含まれています。同じ題名でも別の録音として収録されているものがあり、「Loreley」は合唱、テノール、器楽五重奏による3種類、「Thierstimmen」は2件、「Vater unser」には別ヴァージョンが残されています。

この時期のグラモフォン円盤は、後年のレコードのように録音日や演奏者、マトリックス番号、カタログ番号などの情報が体系的に残されているとは限りません。以下では、資料上「1889–90」とされている録音を、確認できる表記に従って掲載しています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Die Wacht am RheinN/A
PostN/A
GasparoneN/A
Loreley [choir]N/A
Der Kampf mit dem DrachenN/A
HandschuhN/A
Bier WalzerN/A
Loreley [tenor]N/A
Vater unserN/A
BürgschaftN/A
Thou Knowst My Pretty DamselN/A
VariationenN/A
Loreley [instrumental quintet]N/A
Lord’s PrayerN/A
Numbers, Days of the WeekN/A
We Don’t Want to FightN/A
For YouN/A
Heil Dir (God Save the Queen)N/A
Des Deutschen VaterlandN/A
CrambambuliN/A
SoldatenliedN/A
Twinkle, Twinkle, Little StarN/A
Mary Had a Little Lamb / Humpty DumptyN/A
Alfred JonesN/A
Der alte DessauerN/A
BoccaccioN/A
FreischützN/A
GlockeN/A
Glocke IIN/A
ThierstimmenN/A
Gaudeamus igiturN/A
Österreichische KaiserhymneN/A
Ach, wie ist’s möglich dann?N/A
PosauneN/A
Jack and Jill / Tom, Tom, the Piper’s SonN/A
Simple SimonN/A
Old Uncle NedN/A
Grandfather’s ClockN/A
Gigerl MarschN/A
HohenfriedbergerN/A
TrommelN/A
ProphetN/A
So wie duN/A
Je regardais en l’air, from “Les Cloches de Corneville”N/A
Morning HymnN/A
Lobe den HerrenN/A
ThierstimmenN/A
SignalN/A
DeutschlandN/A
Stille Nacht (Silent Night)N/A
SprücheN/A
Weißt du, wie viel Sternlein stehenN/A
Vater unser [version 2]N/A
Marsch No. 1N/A
VarianteN/A
Es ist bestimmtN/A

1890年–1891年とされる初期録音(4件)

1890年–1891年頃に制作されたとされる初期録音には、録音月日や正確な録音年を特定できない音源が残されています。資料によって年代の示し方に違いがあり、1890年とするもの、1890年–1891年とするもの、1890年代初頭とするものがあるため、ここでは1890年を含む年代幅で伝わる録音として掲載しています。

「Di quella pira」は、ロシアのテノール歌手ドミトリー・アンドレーエヴィチ・ウサトフ(Dmitry Andreevich Usatov, 1847–1913)によるシリンダー録音で、1890年–1891年の録音とされています。「An Irishman’s Perplexity」も1890年–1891年頃の録音として伝わっています。「La Media Noche」と「The Third Verse of Mary and John, or, The Lovers’ Quarrel」については1890年とする資料もありますが、正確な録音月日は確認できません。

これらはいずれも1890年前後の初期録音の実態を伝える音源ですが、録音日を確定できないため、月別の録音件数には含めていません。

TitleArtist
Di quella piraDmitry Andreevich Usatov
La Media NocheUnited States Marine Band
An Irishman’s PerplexityMrs. McCormick
The Third Verse of Mary and John, or, The Lovers’ QuarrelWill White

1890年–1895年とされる初期グラモフォン円盤(45件)

1890年–1895年頃に制作されたとされる初期グラモフォン円盤が残されています。アーキオフォン・レコーズの『Etching the Voice: Emile Berliner and the First Commercial Gramophone Discs, 1889-1895』では、この年代を「1890–95」とする45件の録音が確認できます。個々の録音について1890年に制作されたことを確定できないため、1890年の月別録音件数には含めていません。

これらの録音には、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語による歌や朗読、童謡、祈り、器楽曲など、さまざまな内容が含まれています。「We don’t want to fight [version 2]」や「Alfred Jones [version 2]」のように、1889年–1890年とされる録音とは別のヴァージョンも残されています。また、「Sing a Song of Sixpence [3-in doll disc]」は、3インチの人形用円盤として収録されています。

これらの円盤は、ベルリナーのグラモフォンがヨーロッパで展開され始めた時期に制作された初期録音です。録音日や演奏者などの情報が明らかでないものも多く、資料では演者をすべて匿名として扱っています。以下では、資料上「1890–95」とされている45件を、確認できるタイトル表記に従って掲載しています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
A Little Ship Was on the SeaN/A
The North WindN/A
Father WilliamN/A
Old King CoalN/A
By thy cold breast (Byron’s “Manfred”)N/A
Rule, Britannia!N/A
Blue Bells of ScotlandN/A
Auld Lang SyneN/A
Who Killed Cock Robin?N/A
Sing a Song of Sixpence / Oh, Carry Me BackN/A
Old Mother HubbardN/A
We don’t want to fight [version 2]N/A
Wot Cher!N/A
Ta-ra-ra Boom-de-ay!N/A
Jägers AbschiedN/A
Le Corbeau et le RenardN/A
La MarseillaiseN/A
Le Père la VictoireN/A
La BoiteuseN/A
ProverbsN/A
Home! Sweet Home!N/A
Long, Long AgoN/A
In the Sweet By-and-ByN/A
Hark! The Herald Angels SingN/A
Pilgrims’ Chorus, from “Tannhäuser”N/A
HobelliedN/A
Numeri, La Settimana, Le MesiN/A
Lena, la bella LenaN/A
Fra DiavoloN/A
I Due Ladri e l’AsinoN/A
La RondinellaN/A
Willow Tit-Willow, “from The Mikado”N/A
The Flowers that Bloom, from “The Mikado”N/A
Whist! The Bogie ManN/A
Numeros, Dias, MesesN/A
El CredoN/A
Versos y CantoN/A
Me Gustan Todas / Aroro Mi NenaN/A
God Save the Queen!N/A
God Bless the Prince of WalesN/A
GramophoneN/A
Alfred Jones [version 2]N/A
GesängeN/A
Czarenlied, from “Czar und Zimmermann”N/A
Sing a Song of Sixpence [3-in doll disc]N/A

1890年代とされる録音(年不明・30件)

1890年代に制作されたと推定されるものの、録音年を特定できないシリンダー録音が残されています。資料の年代表示には「[189-]」や「[189-?]」が用いられており、1890年から1899年までのいずれかの時期に制作されたと考えられるものの、それ以上の年代を確定できません。

これらには、イスラーズ・オーケストラ(Issler’s Orchestra)やバンタズ・ポピュラー・オーケストラ(Banta’s Popular Orchestra)などによる器楽演奏のほか、独唱、合唱、バンジョー演奏など、さまざまな録音が含まれています。演奏者が記録されているものがある一方、演奏者を特定できない録音も残されています。

年代の範囲に1890年を含んでいますが、1890年に録音されたことを確認できないため、これら30件は1890年の確認録音数には含めていません。1890年代の初期シリンダー録音として、年代を確定できる録音とは区別して掲載しています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
“Thoughts of home” polka played by Issler’s OrchestraIssler’s Orchestra
Baritone vocal solo by Carmi VaughnCarmi Vaughn
Choral musicVaughn family
members
Mandolin and guitar duet: Dixie and Yankee DoodlePaul Kline
Arthur Vaughn
Gems of Ireland quadrilleBanta’s Popular Orchestra
Dancing in the kitchenBanta’s Orchestra
Angel’s serenata(Serenata)Metropolitan Orchestra
St. Patrick’s dayJ.W. Gulley
La fille de Madame Ohngo(Fille de Madame Angot)
[quadrille]
N/A
[Waltz music]N/A
Sambre et Meuse(Régiment de Sambre et Meuse)N/A
Fille du régiment[Selections; arranged]N/A
Deacon went astrayDan W. Quinn
Just say goodbye againGeorge Gaskin
Cross roads of lifeHerbert Holcomb
PalmsHerbert Holcomb
La-didily-idily-umti-umti-ayDan W. Quinn
Gayest Manhattan marchRuby Brooks
Carnival of VeniceCharles P. Lowe
Whisper your mother’s nameDan W. Quinn
And the parrot saidDan W. Quinn
Salley in our alley(Sally in our alley)N/A
[Vocal solo, with organ accompaniment]Grace Marvin
[Vocal solo: “Tyrolienne comedie”]Messieur Bravo
Victor Lejal
[Unidentified male vocal solo]N/A
[Banjo solo by unidentified performer of unidentified selection]n/a
[Banjo solo(曲名不詳)]n/a
[Trovatore. Miserere]Cornet and euphonium duet
My silly old tuneEdison Male Quartet
Playing on the golden harpLen Spencer

グーローの “Phonogramic Album”

ジョージ・エドワード・グーロー(George Edward Gouraud, 1842–1912)は、1888年にエジソンの改良型フォノグラフをイギリスで紹介し、ロンドンのアッパー・ノーウッドにあった自邸リトル・メンロ(Little Menlo)を拠点として、録音や再生の実演を行いました。リトル・メンロでは、音楽や演説、エジソンへの音声メッセージなど、さまざまな内容がシリンダーに記録されました。

グーローは、各国の著名人の声を集めた “Phonogramic Album” を作る構想を掲げ、存命人物だけでなく、将来は過去の人物の声も含めた声の記録を残すことを思い描いていました。実際に残された録音には、人物の声や演説、音楽、私的なメッセージなどが含まれており、フォノグラフを娯楽や通信のためだけでなく、人の声を保存する媒体として利用しようとする考えが表れています。

1888年から1891年頃にかけてグーローの活動に関連して残された録音には、録音日や制作経緯を確認できるものがある一方、年代や詳細が十分に判明していないものもあります。1890年に関わる録音についても、録音年を確定できるものと推定年代で伝わるものを区別しながら、この一連の活動の中で位置づけることができます。

グーローの “phonogramic album”(1888年–1891年頃)
グーローの “phonogramic album” を初期録音史の視点で解説。リトル・メンロのフォノグラフ録音群、1888年–1891年頃の音声メッセージ、朗読、演説、音楽録音、著名人の声を整理。

ルーベン・コレクション(Ruben-samlingen)

ルーベン・コレクション(Ruben-samlingen)は、ゴットフリート・モーゼス・ルーベン(Gottfried Moses Ruben, 1837–1897)が中心となって、1889年から1897年にかけてデンマークで制作した蝋管シリンダー録音のコレクションです。デンマーク王立図書館(Royal Danish Library)は、これらをデンマーク最古の録音として所蔵・公開しています。

ルーベンは1889年秋、パリ万国博覧会で目にしたエジソンの改良型フォノグラフをデンマークへ持ち込み、その後スカンジナビアにおけるフォノグラフの総代理人となりました。公開実演に合わせて現地で新しい録音が継続的に制作され、コレクションには当時の歌手や俳優による歌唱や台詞、器楽演奏などが残されています。

これらの録音は、販売用の音楽シリンダーだけを集めたものではなく、フォノグラフがデンマークに導入された初期段階で、実演や娯楽のために現地で制作された録音を含んでいます。録音年代には1890年を含むものがありますが、すべてのシリンダーが1890年に録音されたわけではないため、録音日や年代を確認できるものと推定年代で伝わるものを区別して扱います。

ルーベン・コレクション(Ruben-samlingen)
ルーベン・コレクション(Ruben-samlingen)は、1889年–1897年にデンマークで制作された初期ワックスシリンダー録音群です。デンマーク王立図書館所蔵資料に基づき、録音一覧・年代幅・公開状態を整理します。

1890年前後の録音史を確認できる現存コレクション

1890年前後の録音史は、当時の録音そのものだけでなく、録音機器、技術開発、実演、保存に関する資料を収めた複数の現存コレクションから確認できます。アメリカ議会図書館の「エミール・ベルリナーと録音産業の誕生(Emile Berliner and the Birth of the Recording Industry)」には、ベルリナーのグラモフォン開発に関する文書、写真、特許資料、カタログ、録音などが収められています。また、「アンサストラル・ヴォイシズ(Ancestral Voices)」では、1890年3月にフュークスがパサマクォディ族の人々から記録した民族誌録音が保存・公開されています。

ニューヨーク公共図書館(The New York Public Library)のエジソン白蝋シリンダー・コレクション(Edison white wax cylinders collection)には、1888年を中心とする初期フォノグラフ録音が残されています。これらは1890年の録音そのものではありませんが、1890年の音楽シリンダー制作や公開実演へつながる直前の録音活動を知る資料となっています。

こうしたコレクションを横断して見ることで、録音された音だけでなく、その録音がどのような技術や活動の中で制作され、どのように保存されて現在まで伝えられたのかを確認できます。

アメリカ議会図書館のベルリナー資料

アメリカ議会図書館の「エミール・ベルリナーと録音産業の誕生」には、ベルリナーの技術開発や事業活動に関する文書、書簡、ノート、特許資料、写真、カタログ、録音などが収められています。オンライン・コレクションには多数の文書資料と録音が公開されており、ベルリナーが円盤式録音を改良し、後の商業的なレコード事業へ発展させていく過程をたどることができます。

同館には、亜鉛製の実験円盤や、ワシントンとドイツのハノーファーとの間で郵送されたと考えられる円盤、初期のセルロイド製円盤や硬質ゴム製円盤なども保存されています。これらの資料から、ベルリナーが円盤への録音だけでなく、複製や保存、音声の伝達を含めた技術としてグラモフォンを発展させていたことがわかります。

同コレクションの録音資料の中心は1890年代半ば以降ですが、文書資料には1890年前後の技術開発を確認できるものも含まれています。1890年の録音史では、エジソン式フォノグラフのシリンダーと並行して発展していた円盤式録音の技術的な流れを確認するための重要な資料群です。

アメリカ議会図書館のアンサストラル・ヴォイシズ

アメリカ議会図書館の「アンサストラル・ヴォイシズ」には、フュークスが1890年3月にメイン州カレーで記録したパサマクォディ族の蝋管シリンダー録音が収められています。フュークスは3日間に36本のシリンダーを録音し、歌、伝承、創世物語、言語資料などを記録しました。このうち5本は損傷し、31本が現存しています。

これらの録音は、後にハーバード大学ピーボディ考古学・民族学博物館(Peabody Museum of Archaeology and Ethnology, Harvard University)へ収蔵され、その後アメリカ議会図書館へ移されました。2015年には、国立視聴覚保存センター(National Audio-Visual Conservation Center)でシリンダーからデジタル音源への変換と修復が行われました。

「アンサストラル・ヴォイシズ」は、アメリカ民俗センター(American Folklife Center)とパサマクォディ族などの協力によって構築され、パサマクォディ族の長老たちによる文化的な解説や伝統知も加えられています。1890年に記録された音声を保存するだけでなく、その録音を現在のコミュニティの文化的記憶と結びつけながら公開するコレクションとなっています。

エジソン白蝋シリンダー・コレクション

ニューヨーク公共図書館が公開するエジソン白蝋シリンダー・コレクションには、エジソンの改良型フォノグラフが導入され始めた時期の白蝋シリンダー録音が保存されています。コレクションには51本のシリンダーがまとまって残されており、グーロー、エジソン、エドワード・イスラー(Edward Issler, 生没年不明)、イスラーズ・オーケストラなどに関係する録音や音声が含まれています。

これらの録音の中心は1888年で、1890年の録音そのものをまとめたコレクションではありません。しかし、音声メッセージ、演説、歌唱、器楽演奏など、1890年の音楽シリンダー制作や公開実演へつながる時期の多様な利用方法を確認できます。

原シリンダーは後にエジソン国立史跡(Edison National Historic Site)からニューヨーク公共図書館のロジャース・アンド・ハマースタイン録音資料館(Rodgers and Hammerstein Archives of Recorded Sound)へ貸し出され、1995年にオープンリール・テープへ転写されました。現在のデジタル・コレクションは、初期の蝋管録音が保存され、後世に音源として伝えられてきた過程を知る資料にもなっています。

1890年の録音に関する情報のまとめ

1890年の録音は、単一の会社や方式だけで説明できるものではありません。エジソン式フォノグラフによるシリンダー録音、ベルリナーのグラモフォンによる円盤録音、地方会社による録音や公開実演、民族誌調査のための録音など、性格の異なる活動が並行して進んでいました。録音はまだ安定した大量複製を前提とする商品ではなく、実演、展示、販売、調査、保存など、さまざまな目的で利用されていました。

ノース・アメリカン・フォノグラフ社の地方会社制度、コロンビア・フォノグラフ社による録音済みシリンダーのカタログ展開、コイン作動式フォノグラフによる有料聴取、エジソン研究所での音楽シリンダー制作などは、録音を事業として成立させるための仕組みが形づくられつつあったことを示しています。一方、ベルリナーは円盤への録音と複製の可能性を追究し、シリンダーとは異なる方法で録音物を複製・流通させる方向を示していました。

ジョージ・ワシントン・ジョンソンの初期商業録音や、フュークスによるパサマクォディ族の民族誌録音は、1890年の録音が商業音楽だけに限られていなかったことを示しています。人の声、歌、物語、言語、演説、器楽演奏などが記録され、録音技術は商品、娯楽、記録、研究、保存のための媒体として利用範囲を広げていました。1890年は、録音技術が複数の用途へ分かれながら、後の録音産業と録音文化につながる基盤を形成していた時期でした。

References