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1890年8月の録音・音声記録

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1890年8月の録音・音声記録

1890年8月6日、アメリカ合衆国ニューヨーク州オーバーンの州刑務所で、ウィリアム・ケムラー(William Kemmler, 1860–1890)に対する死刑が執行され、電気椅子が初めて死刑執行に使用されました。8月15日にはワシントンD.C.で、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(Louis-Jacques-Mandé Daguerre, 1787–1851)を顕彰するダゲール記念碑(Daguerre Memorial)が除幕されました。8月20日には、1890年イギリス・ポルトガル協定(Anglo-Portuguese Convention of 1890)が両国間で署名されましたが、批准には至りませんでした。

録音史では、8月2日にロンドンで、トランペッター・ランドフリー(Trumpeter Landfrey, 生没年不明)が演奏する軍用ラッパ信号が蝋円筒に録音されました。ニュージャージー州ウェスト・オレンジに置かれたトーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)の研究所では、クラリネットを録音した円筒の複製作業も記録されています。同月には、フォノグラフを利用した音速測定などの科学実験、二つの円筒への同時録音と複写、事務用途での利用、公共の場に設置されたフォノグラフの衛生問題が技術誌で紹介されました。ミネアポリスで開催された工業博覧会では、フォノグラフとエジソン・トーキング・ドール(Edison Talking Doll)の実演が計画されました。また、メキシコ政府による郵便フォノグラフ制度の設置期限延長、ニューヨーク・フォノグラフ社(New York Phonograph Company)の企業統合、ノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Company)の配当や機械実績、受注残も報じられています。

この月の確認されている録音:1件

2日(1件)

1890年8月2日、ロンドンのエジソン・ハウス(Edison House)で、ケンブリッジ公爵直属第17槍騎兵連隊(17th Lancers (Duke of Cambridge’s Own))の元ラッパ手マーティン・レナード・ランドフリードが、クリミア戦争(Crimean War)中のバラクラヴァの戦い(Battle of Balaclava)で行われた軽騎兵旅団の突撃(Charge of the Light Brigade)に結び付けられるラッパ信号を演奏しました。演奏には、1815年のワーテルローの戦い(Battle of Waterloo)で使用されたと伝えられる軍用ラッパが用いられ、その音声はエジソン式褐色蝋管(Edison brown wax cylinder)に記録されました。

録音の冒頭では、メアリー・ヘレン・ファーガソン(Mary Helen Ferguson, 生没年不明)が演奏者と録音内容を紹介しています。録音装置を操作した人物は確認できません。この録音は商品として発売されず、現存する円筒にはアメリカ合衆国国立公園局(National Park Service)の資料番号「EDIS 39848」が付されています。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Trumpeter Landfrey’s Charge of the Light BrigadeTrumpeter Landfrey

【1890年8月2日の出来事】
パウリーネ・マルグレーテ・ハルが誕生
ノルウェーのハーマルで、のちに作曲家、編曲家、音楽評論家として活動するパウリーネ・マルグレーテ・ハル(Pauline Margrete Hall, 1890–1969)が生まれました。管弦楽曲や舞台音楽などを作曲し、1938年にはノルウェーの現代音楽団体ニュー・ミュージック(Ny Musikk)の創設に加わって初代会長を務めました。

1890年8月の録音に関する情報のまとめ

1890年8月は、月日まで確認できる録音が1件にとどまる一方、フォノグラフの用途と事業展開が多方面へ広がっていたことを示す記事が相次いで掲載されました。「サイエンティフィック・アメリカン」(Scientific American)は、フォノグラフを利用した音速測定などの科学実験、二つの円筒への同時録音と複写、公共の場で使われる聴取具の衛生問題を取り上げました。「エレクトリカル・ワールド」(The Electrical World)は、フォノグラフを玩具とみなす批判に反論し、事務用途での処理能力を紹介したほか、ミネアポリスで開催された工業博覧会におけるフォノグラフとエジソン・トーキング・ドールの実演計画、メキシコ政府による郵便フォノグラフ制度の設置期限延長を報じました。

会社史では、ニューヨーク・フォノグラフ社の企業統合と役員構成が伝えられ、ノース・アメリカン・フォノグラフ社については、半期配当、7月の新機械の実績、8月初頭の受注残が報じられました。録音した音声を遠隔地へ伝送して再録音する方式、録音針の送り機構、フォノグラフ用ホーンの支持装置、金銭登録機とフォノグラフを組み合わせた装置など、録音と再生を取り巻く技術も発表されています。こうした動きからは、フォノグラフが録音再生装置としてだけでなく、科学研究、事務処理、通信、公共利用、展示、販売事業へ応用されつつあった状況が読み取れます。

エジソン研究所の記録帳に残された複製用クラリネット・シリンダー

1890年8月23日、エジソン研究所の録音記録帳『ファースト・ブック・オブ・フォノグラフ・レコーズ』(The First Book of Phonograph Records)には、「複製用のクラリネット・シリンダー」と記され、その下に「charge 105」と付記されました。「105」が示す金額や単位、具体的な作業内容は明らかになっていません。

記録帳には、シリンダーに収録された曲目や演奏者、元の録音日、シリンダーの本数、複製に用いた装置や方法は記されていません。また、新たな演奏を録音したことを示す記録ではないため、1890年8月の録音件数には含めません。

「サイエンティフィック・アメリカン」が紹介したフォノグラフの科学的利用

「サイエンティフィック・アメリカン」は、1890年8月16日号に「フォノグラフの科学的利用」(The Scientific Use of the Phonograph)を掲載しました。フォノグラフを音声の記録と再生に用いるだけでなく、音の伝わり方や時間差、音量の変化を調べる実験装置として活用する方法を紹介しています。

記事では、音が長い管を通って戻るまでの時間差をシリンダーに記録して音速を求める実験、二つに分けた音波を逆の位相で重ねて音を弱める実験、管の内部を空気や水素などに入れ替えて音の伝わり方を比較する実験が取り上げられました。音を記録して繰り返し再生できるフォノグラフの特性は、聴覚だけでは捉えにくい音響現象を観察する手段としても利用されていました。

フォノグラフによる音速の測定

同じ音をフォノグラフの送話口へ直接届ける経路と、長い管を通してから届ける経路を設け、シリンダーに記録された二つの音の時間差から音速を求める方法が紹介されました。先端を広げた管の前で、振動を抑えて短い音だけを発する鐘を鳴らすと、直接届いた音と、管を通って遅れて届いた音が別々に記録されます。

録音時にはシリンダーを毎秒約2回転させ、再生時には毎分約60回転まで速度を落とすことで、二つの音の間隔を測りやすくしていました。長さ50フィートの管を使用した場合、二つの記録には約23分の1秒の間隔が生じます。管の長さと記録された時間差から管内を進んだ音の速度を算出でき、管を長くしたり、録音時と再生時の回転速度の差を広げたりすることで、二つの音の間隔をさらに明瞭にできました。

音波干渉による消音実験

連続する楽音を記録したシリンダーをフォノグラフで再生し、その音を長さの異なる二本の管に分けて聴取管へ導きました。一方の管の長さを調整し、二つの経路を進む音波の間に半波長の差を生じさせます。

二つの音波が反対の位相で聴取管に到達すると、互いの振動が打ち消し合い、音は消えるか、ほとんど聞こえない状態になります。フォノグラフで一定の音を繰り返し再生することにより、音波の干渉によって音が弱まる現象を観察できました。反対の位相を持つ音波を重ねて音を打ち消す考え方は、現在のアクティブ・ノイズ・キャンセリングにも共通しています。

気体による音の伝わり方の比較

フォノグラフの振動板室と聴取具を気密性のある柔軟な管でつなぎ、聴取具には非常に薄いゴム膜を備えた振動板が取り付けられました。管の両端付近には内部の気体を入れ替えるための細い管が設けられ、留め具によって気体を封じられる構造になっていました。

内部を空気で満たすと、音は弱まりながらも聴取具まで伝わりました。空気を水素に入れ替えると音はさらに弱まり、ほとんど聞き取れなくなりました。ほかの気体でも異なる結果が生じ、管内の気体によって音の伝わり方が変化することを比較できました。

二つのシリンダーへ同時に録音・複写するフォノグラフ

「サイエンティフィック・アメリカン」は、1890年8月23日号に「二つのシリンダーへ録音するフォノグラフ」(A Phonograph to Record on Two Cylinders)を掲載しました。マサチューセッツ州ノース・アダムズのジェームズ・P・マゲニス(James P. Magenis, 生没年不明)が考案した装置で、同じ音声を二つのシリンダーへ同時に録音し、一方を保存用として残せる構造でした。

録音済みのシリンダーを再生し、その内容を別の未録音シリンダーへ複写することもできました。操作者は複写される音声を聴きながら作業を確認できたほか、一方のシリンダーに記録された内容を聴き、もう一方へ返答を録音することも可能でした。また、二人が同時に別々のシリンダーへ口述する使い方も想定されていました。

同じ内容を記録した二つのシリンダーを同時に再生し、再生音を大きくする機能も備えていました。一台に二つのシリンダーを組み込むことで、記録の保存と複写、返答の作成、複数人による口述、再生音量の増強に対応していました。

フォノグラフを玩具とする批判への反論と事務利用

「エレクトリカル・ワールド」は、1890年8月2日号の論説「不当な攻撃」(An Unjustifiable Attack)で、「ニューヨーク・ヘラルド」(New York Herald)がトーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)のフォノグラフを「広く宣伝された玩具」と評したことに反論しました。この評価は実際の用途を理解していないものとされ、フォノグラフが事務作業に利用されている事例が示されました。

「エレクトリカル・ワールド」の業務責任者は、フォノグラフを使って1時間に50–60通の書簡を処理していました。論説は、「玩具」と批判した編集者に実際の使用状況を見るよう促し、フォノグラフが書簡作成を効率化する実用的な事務機器であることを強調しました。

エドワード・ヒバード・ジョンソン邸におけるフォノグラフの利用

「サイエンティフィック・アメリカン」は、1890年8月2日号の「電気を用いた園遊会」(A Electric Lawn Party)で、コネチカット州グリニッジにあるエドワード・ヒバード・ジョンソン(Edward Hibberd Johnson, 1846–1917)の邸宅「アルタ・クレスト」(Alta Crest)を取り上げました。邸内の「デン」と呼ばれる部屋には、最初期のフォノグラフの一台と、フォノグラフ工場で同氏のために特別に製作された当時最新の装置が置かれていました。後者のキャビネットには選び抜かれた音楽シリンダーが収められ、来訪者を楽しませるために使用されていました。

同邸で娘の誕生日を祝う恒例の園遊会が開かれた際には、約300人の客が集まりました。広間では電気オルガンが演奏され、「デン」ではフォノグラフから流れる人気の声楽曲や器楽曲が来場者を楽しませました。フォノグラフは、邸宅内で音楽を鑑賞するための娯楽機器としても利用されていました。

公共フォノグラフの衛生問題と聴取具の改良

「サイエンティフィック・アメリカン」は、1890年8月23日号の「疾病を媒介するフォノグラフ」(The Phonograph as a Disseminator of Disease)で、フィラデルフィアのフェアマウント・パーク(Fairmount Park)に設置されていた公共フォノグラフの使用中止が命じられたと報じました。不特定多数の利用者が同じ聴取具を使用することで、疾病が広がる危険があると考えられたためです。

装置を適切に清掃して正しく使用すれば、疾病の伝播や耳への傷害が起こる危険は小さいとされましたが、公共の場で多くの人が使用する場合には、十分な安全を確保しにくいことも指摘されました。フォノグラフ会社は、耳の内部へ差し込む従来の聴取具に抵抗を感じる利用者がいることから、耳に当てる平板型の聴取具へ変更する方針を示していました。

エディンバラ国際博覧会への電話による音楽中継

1890年8月上旬、スコットランドのエディンバラで開催されていた電気工学・一般発明・産業国際博覧会(International Exhibition of Electrical Engineering, General Inventions and Industries)の電話キオスクで、約40マイル離れたガラシールズから音楽を届ける電話コンサートが始まりました。演奏は、ガラシールズのアーケード・ビルディングズ(Arcade Buildings)にあった音楽商アンドルー・ストラカン(Andrew Strachan, 1845–1915)の倉庫奥の部屋で行われました。

ナショナル・テレフォン社(National Telephone Company Limited)は、部屋の上部に4基のアデール式マイクロフォン(Ader microphones)を吊り下げ、電話網を通じて同博覧会へ音を送りました。中継は毎晩午後6時–10時に行われ、ストラカンのヴァイオリンとピアノによる演奏を中心に、声楽曲や合唱曲も届けられました。電話キオスクの聴取者は一対の受話器を両耳に当て、遠隔地で演奏されている音楽を聴きました。

電話キオスクには演奏場所の内部を撮影した写真も掲げられ、聴取者は音が送り出される場所を視覚でも確かめることができました。音楽中継は8月から9月にかけて1か月以上続き、音量の低下が少なく、隣室で演奏されているように明瞭に聞こえたと報じられました。

ミネアポリス工業博覧会で計画されたフォノグラフとトーキングドールの実演

「エレクトリカル・ワールド」は、1890年8月16日号の「ミネアポリスの電気展示」(The Electrical Exhibition at Minneapolis)で、ミネアポリス工業博覧会(Minneapolis Industrial Exposition)に設けられる電気展示の計画を伝えました。エジソン関連の展示には、パリから運ばれ、ニューヨークのレノックス・ライシーアム(Lenox Lyceum)で公開されていた設備も移される予定でした。

会場では、ニュージャージー州メンロー・パークの研究所から派遣された専門家が、エジソン・トーキング・ドールやフォノグラフ、電話、電信機器などを作動させ、その仕組みを来場者に説明する計画でした。トムソン式溶接装置も実演される予定で、フォノグラフとエジソン・トーキング・ドールは、当時の電気技術を紹介する展示の一部に組み込まれていました。

メキシコ政府が郵便フォノグラフ制度の設置期限を延長

「エレクトリカル・ワールド」は、1890年8月2日号の「郵便フォノグラフ制度」(Postal Phonograph System)で、メキシコシティから届いた電報を掲載しました。メキシコ政府は、エジソンの代理人を務めていたマヌエル・ペニチェ(Manuel Peniche, 生没年不明)に対し、郵便フォノグラフ制度を設置する期限を6か月延長しました。

同制度の具体的な仕組みや対象地域、当初の設置期限、延長の理由は記されていません。その後、計画が実施されたかどうかも明らかになっていません。

ニューヨーク・フォノグラフ社の企業統合

「エレクトリカル・ワールド」は、1890年8月23日号の「新しいフォノグラフ会社の役員」(Officers of a New Phonograph Company)で、フォノグラフ事業に関係する会社の統合と、新たな役員構成を伝えました。統合に関する書類は8月15日にニューヨーク州オールバニーの州務長官へ提出され、メトロポリタン・フォノグラフ社(Metropolitan Phonograph Company)とニューヨーク・フォノグラフ社は、ニューヨーク・フォノグラフ社の名称で統合されました。

新体制では、ジョン・P・ヘインズ(John P. Haines, 生没年不明)が社長、ジョン・D・チーヴァー(John D. Cheever, 生没年不明)が副社長、リチャード・タウンリー・ヘインズ(Richard Townley Haines, 生没年不明)が秘書役兼会計役に就任しました。

ノース・アメリカン・フォノグラフ社の事業状況

1890年8月には、ノース・アメリカン・フォノグラフ社の配当と機械の生産・受注状況、フォノグラフ人形に関する案内が掲載されました。「エレクトリカル・ワールド」は8月30日号で、同社が半期配当を決定したことに加え、7月に新製機械446台を生産し、8月1日時点で235台の未処理注文を抱えていたと報じました。

「サイエンティフィック・アメリカン」は8月9日号の読者質問欄で、フォノグラフ人形の購入先を尋ねた読者に対し、ニューヨークのノース・アメリカン・フォノグラフ社へ問い合わせるよう案内しました。同社は、フォノグラフ人形に関する問い合わせ先の一つとして紹介されていました。

半期配当と新機械の実績・受注残

「エレクトリカル・ワールド」は、1890年8月30日号で、ノース・アメリカン・フォノグラフ社が3パーセントの半期配当を決定したと報じました。配当の対象は8月15日現在の株主で、支払日は8月28日とされていました。

同社が7月に生産した新製機械は446台でした。8月1日時点では235台分の未処理注文があり、その後も新たな注文が毎日寄せられていました。

トーキングドールの購入先としての案内

「サイエンティフィック・アメリカン」は、1890年8月9日号の読者質問欄で、トーキングドールの購入先と価格を尋ねる質問を掲載しました。これに対し、ニューヨークのノース・アメリカン・フォノグラフ社へ問い合わせるよう回答しました。

回答には、販売価格や具体的な商品名、製造会社は記されていません。ノース・アメリカン・フォノグラフ社は、トーキングドールの購入に関する問い合わせ先として案内されていました。

1890年8月に出願・成立したフォノグラフ関連特許

1890年8月には、フォノグラフの録音、再生、伝送、付属機構に関する特許出願が行われたほか、複数の特許がアメリカ合衆国で付与されました。録音済みの音声を高速で送信して遠隔地のフォノグラフへ再録音する方式、録音針をシリンダーに沿って移動させる送り機構、フォノグラフ用ホーンを支える兼用三脚、金銭登録機とフォノグラフを組み合わせた装置などが含まれています。

これらの発明は、音声の遠隔伝送、録音機構の操作、ホーンの支持、金銭登録機との連動を対象としていました。フォノグラフの録音・再生機能に加え、通信や業務機器、付属装置への応用も進められていました。

録音音声を高速送信して遠隔地で再録音する方式

1890年8月6日、ハリー・B・コックス(Harry B. Cox, 生没年不明)は、「音の伝送」(Transmitting Sound)に関する特許を出願しました。この発明は、1893年10月19日の更新出願を経て、1894年5月22日にアメリカ合衆国特許第520,106号として付与されました。

この方式では、通常の速度で作成した音声記録を高速で再生し、その振動を電話回線によって遠隔地へ送ります。送信側では、記録された溝をたどる針の動きによって電話送話器を作動させ、音声を電気信号へ変換しました。受信側では、その信号を蝋などで作られたシリンダーへ高速で記録し、再生時に回転速度を下げることで元の音声を復元しました。

コックスは、音声を記録したときの最大30倍の速度で振動を送信し、受信側の記録を適切な速度で再生することで、元の特徴をほぼ保った音声を再現できると説明しています。一本の電話回線で短時間に多くの音声情報を送り、高速電信に代わる伝送方式として利用することが想定されていました。

録音針の送り機構を改良したフォノグラフ

1890年8月12日、トーマス・アルヴァ・エジソンは、「フォノグラフ」(Phonograph)に関する特許を出願しました。この発明は、1891年7月21日にアメリカ合衆国特許第456,302号として付与されました。

この特許は、録音器または再生器をシリンダー上の記録媒体に沿って移動させる送り腕と、送りねじに接する受け部を改良するものでした。送りねじに対応するねじ山を硬い金属製の受け部へ直接刻む従来の構造に代えて、送りねじよりも軟らかい金属で作った複数の薄板を重ね、その端をねじ山に接触させました。

薄板には銅などが用いられ、送りねじの摩耗を抑えることが意図されていました。薄板の端が摩耗した場合には、位置を前方へずらすか、新しい薄板と交換できました。送りねじに対応するねじ山を受け部へ加工する必要がなくなり、送り機構を簡単に製作し、保守できる構造となっていました。

フォノグラフ用ホーンを保持する兼用三脚

1890年8月12日、ケンダル・ジェームズ・マイノット(Kendall James Minot, 生没年不明)が考案した「イーゼル兼フォノグラフ・ホーン用三脚」(Combined Easel and Phonograph-Horn Tripod)が、アメリカ合衆国特許第434,286号として付与されました。出願日は同年5月6日で、マイノットはテキサス州ガルベストンに居住していました。

この装置は、異なる大きさのフォノグラフ用ホーンを任意の高さで保持するとともに、絵画や画布を載せるイーゼルとしても使用できる構造でした。交差させた二本の支持棒と背面の支柱を組み合わせ、支持棒の開き方や支柱の傾きを調整できました。

フォノグラフ用ホーンを保持する際には、支持棒の上部にひもを渡し、その上にホーンを載せるか、ひもから吊り下げました。ホーンの細い側をフォノグラフへ接続し、装置の高さや角度を変えることで、直径の異なるホーンにも対応できました。使用しないときには折り畳むことができ、下部に支持金具を取り付ければ、絵画の展示や画布の保持にも利用できました。

金銭登録機とフォノグラフを組み合わせた装置

1889年7月16日、エドワード・F・ロバーツ(Edward F. Roberts, 生没年不明)は、「金銭登録機および表示器」(Cash Register and Indicator)に関する特許を出願しました。1892年8月30日にアメリカ合衆国特許第481,824号として付与され、特許権はオハイオ州のロバーツ・マニュファクチャリング社(Roberts Manufacturing Company)へ譲渡されました。

この装置は、販売金額を数字で表示して売上の合計を記録する金銭登録機に、フォノグラフを組み合わせたものでした。金銭登録機の操作に連動してフォノグラフが作動し、「現金」や「掛け売り」など、取引の種類を音声で知らせることが想定されていました。

フォノグラフには、客に釣り銭の受け取りを促す案内のほか、特定の商品を勧める広告文も記録できました。金銭登録機の操作に合わせて音声を再生することで、取引内容を知らせるとともに、客の注意を商品や案内へ向ける機能が備えられていました。

References