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1890年6月の録音・音声記録

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1890年6月の録音・音声記録

1890年6月、アメリカ合衆国では第11回アメリカ合衆国国勢調査(Eleventh Census of the United States)が始まりました。また、オスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854–1900)の『ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray)』が、1890年7月号として刊行された「リッピンコッツ・マンスリー・マガジン(Lippincott’s Monthly Magazine)」に初めて掲載されました。

録音史では、ロンドンで録音されたウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone, 1809–1898)のフォノグラムがオーストラリアで再生され、録音された声を遠隔地へ運んで聞かせる利用が行われました。コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)の広告パンフレットとノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Company)の回状からは、音楽シリンダーが曲目、品質区分、価格、販売条件を伴う商品として扱われていたことが確認できます。メルボルンでは、エドマンド・ダグラス・アーチボルド(Edmund Douglas Archibald, 生没年不明)がメッセージを録音し、直後に聴衆へ再生しました。同地ではフォノグラフの一般公開興行も始まりました。

この月の確認されている録音:1件

26日(1件)

1890年6月26日、メルボルンのアセニアム・ホール(Athenaeum Hall)で行われたフォノグラフの実演で、エドマンド・ダグラス・アーチボルド(Edmund Douglas Archibald, 生没年不明)は、英国にいる架空の友人に宛てたメッセージを録音しました。録音されたメッセージは直後に聴衆へ再生され、フォノグラフの操作を示すために一部の文が繰り返されました。

TitleArtistMatrixCatalog No.
Untitled message to an imaginary friend in EnglandE. Douglas Archibald

【1890年6月26日の出来事】
スペインで男性普通選挙が復活
スペインで1890年6月26日選挙法(Ley electoral de 26 de junio de 1890)が成立し、完全な市民権を持つ25歳以上の男性に投票権が認められました。

1890年6月の録音に関する情報のまとめ

1890年6月には、録音された声を遠隔地へ運んで再生する試みが行われ、音楽シリンダーの販売やフォノグラフの改良も進みました。ロンドンで録音された音声がオーストラリアで再生されたほか、コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)とノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Company)は、曲目、品質区分、価格、販売条件を定めて音楽シリンダーを取り扱っていました。

トーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)は、フォノグラフと記録媒体に関する特許を取得しました。ジャンニ・ベッティーニ(Gianni Bettini, 1860–1938)の新型フォノグラフや、ライゼガング式フォノグラフ(Liesegang Phonograph)の録音・再生方式も紹介されています。メルボルンでは、エドマンド・ダグラス・アーチボルド(Edmund Douglas Archibald, 生没年不明)が音声を録音して直後に再生し、アセニアム・ホール(Athenaeum Hall)でフォノグラフの一般公開興行が始まりました。

録音メッセージの長距離輸送と再生

1890年3月8日、ロンドンで録音されたウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone, 1809–1898)のフォノグラムは、エドマンド・ダグラス・アーチボルド(Edmund Douglas Archibald, 生没年不明)によってオーストラリアへ運ばれ、同年6月8日に再生されました。録音された声をシリンダーに保存し、海を越えた場所で聞かせる利用が実際に行われていました。

同月には、ロンドンで録音されたソール・サミュエル(Saul Samuel, 1820–1900)のメッセージも、オーストラリアでヘンリー・パークス(Henry Parkes, 1815–1896)に再生されました。フォノグラフは、遠く離れた人物の声を保存し、本人がその場にいない場所へ届ける手段としても用いられていました。

コロンビア・フォノグラフ社の音楽シリンダーと自動フォノグラフ

1890年6月15日付の広告パンフレットによると、コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は、フォノグラフとグラフォフォン(Graphophone)を賃貸し、未録音のシリンダーと録音済みシリンダーを販売していました。音楽シリンダーは常時在庫され、軍楽隊、オーケストラ、四重唱のほか、コルネット、フルート、ピアノなどの器楽演奏も取り扱われていました。アメリカ合衆国海兵隊音楽隊(United States Marine Band)のフルートおよびピッコロ奏者であるヘンリー・イェーガー(Henry Jaeger, 生没年不明)から、独奏録音を継続的に供給する取り決めも設けられていました。

同じパンフレットでは、5セント硬貨を投入すると作動する自動展示用フォノグラフ(Automatic Exhibition Phonograph)も案内されていました。コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は、ホテル、鉄道駅、教会の催事など、人が集まる場所への設置を募っており、録音済みシリンダーの販売と自動再生機器の運用を組み合わせた事業を展開していました。

1890年6月15日付パンフレットに掲載された音楽シリンダー

1890年6月15日付の広告パンフレットでは、コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)が常時在庫していた音楽シリンダーとして、軍楽隊、オーケストラ、四重唱による録音と、コルネット、フルート、ピアノをはじめとする主要楽器の独奏録音が挙げられていました。

  • 軍楽隊
  • オーケストラ
  • 四重唱
  • コルネット独奏
  • フルート独奏
  • ピアノ独奏
  • その他の主要楽器による独奏

パンフレットには個々の曲名や演奏者名は記されず、録音の種類と演奏編成が示されていました。

TitleArtistMatrixCatalog No.
N/AMilitary band
N/AOrchestra
N/AQuartette
Cornet soloN/A
Flute soloN/A
Piano soloN/A
Solos on other leading musical instrumentsN/A
Flute soloHenry Jaeger
Piccolo soloHenry Jaeger

音楽シリンダーの供給体制

1890年6月15日付パンフレットによると、コロンビア・フォノグラフ社は、フォノグラフとフォノグラフ・グラフォフォンを販売せずに貸与し、無録音シリンダーと、音楽などを収録したシリンダーを販売していました。具体的な販売価格は示されておらず、「妥当な価格」と記されています。

音楽シリンダーについては、軍楽隊、オーケストラ、四重唱、各種楽器の独奏録音を常時在庫していました。また、アメリカ海兵隊楽団(United States Marine Band)のフルートおよびピッコロ独奏者ヘンリー・イェーガー(Henry Jaeger, 生没年不明)と取り決めを結び、その独奏録音を継続的に供給してもらう体制を整えていました。

硬貨投入式自動フォノグラフ

1890年6月15日付パンフレットでは、5セント硬貨を投入すると作動する自動フォノグラフが、設置可能な段階にあると案内されていました。施設への設置を希望する場合は、コロンビア・フォノグラフ社と契約を結ぶことができましたが、同社に相応の利益が見込めることが条件とされていました。

また、この装置は、ホテル、駅、教会の催しなど、多くの人が集まる場所で大きな呼び物になると説明されていました。

エジソンのフォノグラフ関連特許

1890年6月17日、トーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)が出願したフォノグラフ関連の米国特許4件が成立しました。対象となったのは、米国特許第430,274号「フォノグラム・ブランク(Phonogram-Blank)」、米国特許第430,276号「フォノグラフ(Phonograph)」、米国特許第430,277号「フォノグラフ用自動位置決定装置(Automatic Determining Device for Phonographs)」、米国特許第430,278号「フォノグラフ(Phonograph)」です。

これらの特許は、音声を記録するシリンダーの材料から、記録と再生を行う機械の構造、操作を補助する機構まで、フォノグラフを構成する異なる要素を扱っていました。

米国特許第430,274号「フォノグラム・ブランク」

米国特許第430,274号「フォノグラム・ブランク」は、音の振動を記録し、再生するための円筒形ブランクの材料に関する特許です。トーマス・アルヴァ・エジソンは、記録と再生に適した性質を持たせるため、主として金属石鹸を用いてブランクを製造する方法を示しました。

材料には、鉛、マグネシウム、アルミニウムなどと、オレイン酸またはステアリン酸を結合させた金属石鹸が挙げられています。なかでも、オレイン酸鉛とステアリン酸鉛を等量混合し、溶融させて型へ流し込む方法が適した構成とされました。金属石鹸は単独で使用するほか、蝋や樹脂などと混合することも想定されていました。

米国特許第430,276号「フォノグラフ」

米国特許第430,276号「フォノグラフ」は、フォノグラフの操作性と動作の安定性を高めるための複数の機構をまとめた特許です。トーマス・アルヴァ・エジソンは、厚さの異なる記録用ブランクを取り付けた場合でも、録音針と再生針が表面に適切に接するよう、自動的に位置を調整する構造を示しました。

この特許には、円筒表面を滑らかに削る湾曲した刃、回転速度を調整する高感度の調速機、録音装置または再生装置を持ち上げた際に、移動ナットを送りねじから外す機構も含まれています。さらに、削りくずが機械の周囲へ飛散するのを防ぎ、下部の受け皿へ導く保護カバーが設けられ、カバーを取り外さずに記録用ブランクを交換できる構造とされていました。

米国特許第430,277号「フォノグラフ用自動位置決定装置」

米国特許第430,277号「フォノグラフ用自動位置決定装置」は、録音装置または再生装置をフォノグラム・ブランクの表面に対して適切な位置へ自動的に合わせ、その位置で固定する機構に関する特許です。装置を下降させると、押さえ足が案内部に接し、位置決定針がブランクの表面に触れます。さらに装置がわずかに動くことで、レバーと固定部品が作動し、録音装置または再生装置が所定の位置に固定される構造となっていました。

位置決定針とレバーの間には、ブランク表面の凹凸に応じてわずかに動く接続部が設けられていました。これにより、位置を固定した後も位置決定針が表面の不均一な部分を軽く通過し、ブランクを傷つけにくい構造となっていました。

米国特許第430,278号「フォノグラフ」

米国特許第430,278号「フォノグラフ」は、録音針と再生針の形状や支持方法を改良し、音の記録と再生をより正確に行うための特許です。録音針には円弧状の切削刃が設けられ、記録面に底部と側面が湾曲した溝を刻む構造が示されました。また、録音針を回転させて別の部分の刃を使用できるため、研ぎ直しや交換をせずに、より長く使用できるようになっていました。

再生針には、球または球面の一部からなる丸みを帯びた接触面が用いられました。記録溝に沿ってわずかに横方向へ動きながら、上部から加わる重みによって溝の底部へ接触する構造とされていました。これにより、溝の側面を削って記録を傷つけることを抑えながら、記録された振動を再現できるようになっていました。

ノース・アメリカン・フォノグラフ社の音楽記録価格と販売条件

ノース・アメリカン・フォノグラフ社(North American Phonograph Company)は、音楽記録を品質によって第一級と第二級に分け、それぞれに異なる価格を設定していました。価格は録音の種類によっても区分され、独奏、楽団演奏、歌唱などに応じて定められていました。

販売条件には、注文方法に加え、輸送中に破損した記録や、品質上の問題がある記録の取扱いも定められていました。

第一級・第二級の価格体系

1890年6月19日付の回状で、ノース・アメリカン・フォノグラフ社は、音楽記録を品質と演奏形態によって区分し、それぞれに価格を設定しました。第一級の記録は、楽団またはオーケストラと声楽四重唱が1本1ドル、器楽独奏が75セントでした。

録音された音楽部分以外の端部に不具合があるなど、第一級の基準を厳密には満たさない記録は、楽団またはオーケストラと声楽四重唱が75セント、器楽独奏が50セントとされました。曲目を指定して注文する場合にはこの価格が適用され、曲目を指定せず、楽器または演奏区分だけで注文する場合には、1本につき5セントが値引きされました。

注文・破損・返品の取扱い

ノース・アメリカン・フォノグラフ社は、音楽記録を委託販売品として供給していなかったため、各社が在庫として保有した後に売れ残った記録について、返品や代金の返還を認めていませんでした。第一級として出荷する記録は1本ずつ検査され、出荷後の返品、交換、代金の返還も原則として認められませんでした。

記録は破損を防ぐために慎重に梱包されましたが、指定された運送会社へ引き渡した後の破損は補償の対象外とされました。ただし、梱包上の過失があった場合や、欠陥のある記録を第一級として出荷した場合には同社が責任を負い、受領時に確認して直ちに申し出ることが求められました。良好な状態で受領したと報告した後に、欠陥を理由として請求することは認められませんでした。

ベッティーニの新型フォノグラフ

1890年6月23日付の「サンフランシスコ・コール」(The San Francisco Call)は、ジャンニ・ベッティーニ(Gianni Bettini, 1860–1938)が考案した新型フォノグラフ「マイクロ・グラフォフォン(Micro-Graphophone)」を紹介しました。この装置は、従来のフォノグラフで問題とされていた再生音の金属的な響きや、音量が小さいため聴音管を必要とする点を、複数の振動板を用いる構造によって改善しようとしたものでした。

録音時には、振動板の複数の位置で受けた振動を、それぞれ独立した伝達部品によって一点へ集め、録音針へ伝える構造が用いられました。再生装置では、張力や大きさなどが異なる複数の小型振動板と再生針を多脚状の部品で接続し、それぞれに異なる性質の振動を受け持たせていました。これにより、音量を高めるとともに、声や楽器の音程と音色をより自然に再現し、聴音管を使わずに室内へ音を放出することが目指されていました。

アーチボルドによる現地録音と即時再生

1890年6月、ダグラス・アーチボルド(Douglas Archibald, 生没年不明)は、メルボルンで行ったフォノグラフの実演で、自らの声をその場で録音しました。内容はイギリスにいる架空の友人へ宛てたメッセージで、録音を終えると、同じ機械ですぐに再生されました。当時の報道では、その発言がきわめて忠実に再現されたと伝えられています。

この実演では、あらかじめ用意された音楽や演説の録音を再生するだけでなく、会場で新たな音声を記録し、その場で聴くことができるフォノグラフの録音機能も示されました。

メルボルン・アセニアムでの一般公開興行

1890年6月26日、メルボルン・アセニアム(Melbourne Athenaeum)で、ダグラス・アーチボルドによるフォノグラフの一般公開興行が始まりました。ダグラス・アーチボルドは、フォノグラフの構造と録音・再生の仕組みを解説し、あらかじめ用意された音声や音楽のシリンダーを再生しました。

興行では、会場で新たな声を録音し、その場ですぐに再生する実演も行われました。これにより、フォノグラフが保存済みの録音を聴くための機械であるだけでなく、観客の前で音声を記録し、直ちに再現できる装置であることが示されました。

ライゼガング式フォノグラフ

1890年6月、ラファエル・エドゥアルト・ライゼガング(Raphael Eduard Liesegang, 1869–1947)が考案したフォノグラフが紹介されました。この装置は、音声を記録し、その記録から音を再生するために設計されていました。

紹介記事には、記録媒体や録音・再生機構の詳細が記されていないため、同時期のほかのフォノグラフとの構造上の違いは不明です。

References