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1890年9月の録音・音声記録

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1890年9月の録音・音声記録

1890年9月には、プラハで大規模な洪水が発生し、カレル橋や建設中の博覧会場が被害を受けました。グレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland)では、9月15日にアガサ・クリスティ(Agatha Christie, 1890–1976)が誕生しました。アメリカ合衆国(United States of America)では、9月25日にベンジャミン・ハリソン(Benjamin Harrison, 1833–1901)がセコイア国立公園(Sequoia National Park)を設置する法律に署名し、自然環境の保護に向けた制度整備が進みました。

録音史では、9月20日にイタリア王国(Kingdom of Italy)のトリノで、ラヨシュ・コシュート(Lajos Kossuth, 1802–1894)の演説がフォノグラフに録音されました。この演説は、アラドの十三殉教者を記念する像の除幕行事に向けて収録されたもので、1890年9月の日付を確定できる音声記録として1件が確認されています。日付を確定できる音楽録音は確認されていません。

アメリカ合衆国では、エジソン研究所(Edison Laboratory)に四重唱、ヴァイオリン、木琴のシリンダー計6本の受渡し記録が残されています。コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)では、録音済みシリンダーの製作、検査、供給が続けられ、録音前のブランク・シリンダーも搬入されていました。各地では自動式フォノグラフの展示と運営が広がり、蓄電池や操作補助機構の試験、録音関連特許の付与も進められました。

この月の確認されている録音:1件

20日(1件)

1890年9月20日、イタリア王国のトリノで、ラヨシュ・コシュートの演説がフォノグラフに録音されました。商業用の音楽録音ではなく、政治的な演説を保存した音声記録です。正式な商業録音タイトル、マトリックス番号、カタログ番号は資料上確認できません。

TitleArtistMatrixCatalog No.
N/ALajos Kossuth

【1890年9月20日の出来事】
ヴァイオリニストのキャスリーン・パーロウが誕生
カナダでは、ヴァイオリニスト、音楽教育者のキャスリーン・パーロウ(Kathleen Parlow, 1890–1963)がカルガリーに生まれました。後に演奏家として各国で活動するとともに、カナダで後進の育成に携わりました。

1890年9月の録音に関する情報のまとめ

1890年9月には、ラヨシュ・コシュートの演説がシリンダーに記録されたほか、録音済みシリンダーやブランク・シリンダーの供給、自動式フォノグラフの展示と運営、蓄電池や操作補助機構の試験、地域会社による事業展開、長距離電話を利用した音楽中継、録音関連特許の付与などが進みました。音声の記録と保存だけでなく、シリンダーの流通、機械の公開利用、電源設備の運用、操作性の改善、企業組織の再編が並行して進められ、フォノグラフ事業の実用化と拡大が各方面で進展した時期でした。

ラヨシュ・コシュートの演説録音

1890年9月20日、ラヨシュ・コシュート(Lajos Kossuth, 1802–1894)の演説が、イタリア王国トリノにある自宅の書斎で録音されました。演説はアラドの十三殉教者記念碑の除幕式に向けたもので、3本の蝋製シリンダーに分けて収録されました。そのうち1本は1919年に失われ、2本が現存しています。現存する2本のうち、音声の復元に使用できたのは1本でした。

9月4日に記録されたシリンダーの受渡し

1890年9月4日付の記録には、「2 Quartettes」「2 Violin」「2 Xylophone」と記されており、四重唱、ヴァイオリン、木琴の各2本、合計6本のシリンダーが扱われたことが確認できます。ただし、これは曲名、演奏者、録音場所などを記した録音台帳ではなく、シリンダーの注文または受渡しに関する業務記録です。そのため、9月4日を録音日とみなすことはできず、6本すべてが同日に録音されたとも断定できません。資料から確認できるのは、同日の記録上で、四重唱・ヴァイオリン・木琴の3種類に分かれた計6本のシリンダーが注文または受渡しの対象となっていたことまでです。

コロンビア社の録音・検査・録音済みシリンダーの流通

1890年9月21日付の記事には、コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)が、演奏の録音から完成したシリンダーの検査、地域会社への供給までを行っていたことが記されています。ただし、9月21日は記事の掲載日であり、そこで紹介された演奏の録音日を示すものではありません。

アメリカ合衆国海兵隊楽団の複数台同時録音

アメリカ合衆国海兵隊楽団(United States Marine Band)の演奏は、5台のフォノグラフを同時に作動させ、5本のシリンダーへ並行して録音されていました。1回の演奏を複数のシリンダーへ直接記録することで、販売に使用できる録音済みシリンダーを同時に製作していました。ただし、記事から個々の曲名や録音日は確認できません。

録音済みシリンダーの検査と地域会社への供給

録音を終えたシリンダーは、販売前に実際に再生して状態が検査されました。再生状態に問題があるシリンダーは不良品として除外され、検査を通過した録音済み音楽シリンダーが全米各地のフォノグラフ会社へ供給されました。

コロンビア社へ発送されたブランク・シリンダー

1890年9月23日、エジソン・フォノグラフ・ワークスからコロンビア・フォノグラフ社へ、3回の発送に分けて合計1,200本のブランク・シリンダーが送られました。その後3日以内にさらに1,200本が発送され、9月23日–26日の4日間に送られた本数は合計2,400本に達しました。これは、同年初めから9月22日までに同社へ発送されたブランク・シリンダーの総数に匹敵する数量であり、9月下旬に供給量が急増したことを示しています。

ミネアポリス博覧会のエジソン展示

1890年9月10日、トーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)は、ミネアポリス工業博覧会(Minneapolis Industrial Exposition)に滞在していたアデルベルト・テオドール・エドワード・ヴァンゲマン(Adelbert Theodor Edward Wangemann, 1855–1906)宛てに、シリンダーを発送するよう指示しました。9月17日付の「エレクトリカル・エンジニア」(The Electrical Engineer)は、同博覧会でフォノグラフの実演が行われていたことを報じています。展示にはフォノグラフ装置のほか、録音された音声を再生するエジソン・トーキング・ドール(Edison Talking Doll)も含まれていました。

オハイオ・フォノグラフ社のクリーブランド展示室

1890年9月15日、オハイオ・フォノグラフ社(Ohio Phonograph Company)は、クリーブランドの展示室を一般公開しました。室内には12台の自動式フォノグラフ・キャビネットが設置され、利用者は機械を操作して録音済みの音楽を聴くことができました。各機械で聴取できる曲目は毎朝交換され、聴取に使用する管の清掃も行われていました。

自動式フォノグラフ事業の営業収支

1890年9月1日–10月15日の営業記録には、自動式フォノグラフによる収入と、その運営に要した支出がまとめられています。支出項目には、機械で使用する音楽の費用、機械の点検や調整などにかかる管理費、手数料、電池費が含まれていました。自動式フォノグラフ事業の収支は、機械から得られる収入だけでなく、音楽の準備、機械の維持管理、手数料、電源の確保にかかる費用を含めて計算されていました。

地域フォノグラフ会社による自動式機械の導入

カンザス・フォノグラフ社(Kansas Phonograph Company)は、自動式フォノグラフ3台を受領しました。一方、ミズーリ・フォノグラフ社(Missouri Phonograph Company)は、自動式機械の導入について照会していました。また、ハートフォード・モデル社(Hartford Model Company)は、既存のフォノグラフに取り付けて硬貨の投入によって作動させるアタッチメントを提案していました。これらの記録から、地域フォノグラフ会社による自動式機械の導入と、既存機を自動運転へ対応させる装置の提案が並行して進められていたことが確認できます。

フォノグラフの運転を支えた蓄電池

フォノグラフの電動機を動かすため、各地域のフォノグラフ会社では複数の蓄電池が使用されていました。ニューヨーク・フォノグラフ社(New York Phonograph Company)はギブソン式蓄電池とジュリアン式蓄電池を使用し、係争がなければギブソン式蓄電池を選ぶと報告しています。ケンタッキー・フォノグラフ社(Kentucky Phonograph Company)は、アングロ・アメリカン式蓄電池、パンペリー式蓄電池、ジュリアン式蓄電池、エジソン式蓄電池を使用し、このうちアングロ・アメリカン式蓄電池を推奨しました。蓄電池はフォノグラフを運転するための動力源であり、各社は容量や持続時間だけでなく、充電、液漏れ、運搬時の破損なども含めて実用性を比較していました。

再生品質・駆動・操作補助をめぐる技術試験

1890年9月には、再生品質に関わるダイアフラム、フォノグラフを動かすリネンベルト、シリンダーの終端を知らせるベルについて、試験や検討が行われました。これらは、音の再生、機械の駆動、使用時の操作補助という異なる課題に対応するものでした。

9月15日のダイアフラム比較試験

9月15日には、複数のダイアフラムを用いた比較試験が行われました。フォノグラフに取り付けるダイアフラムを交換し、それぞれを使用した場合の再生状態が比較されました。

9月9日–17日のリネンベルト試験

9月9日–17日には、フォノグラフの駆動に用いるリネンベルトの試験が複数日にわたって行われました。リネンベルトを取り付けた状態で機械を動かし、その使用結果を継続して確かめる形で試験が進められました。

9月26日に検討されたシリンダー終端ベル

9月26日には、シリンダーが終端に近づいたことを知らせるベルが検討されました。シリンダーの終わりを音で知らせ、使用者が操作の目安を得られるようにするための補助機構でした。

ニューヨーク・フォノグラフ社への企業統合

1890年9月、ニューヨーク・フォノグラフ社は、メトロポリタン・フォノグラフ社(Metropolitan Phonograph Company)との統合を届け出ました。統合後もニューヨーク・フォノグラフ社の名称が用いられ、資本金は250万ドルとされました。届出には統合後の会社を管理する受託者も記載され、両社がそれぞれ運営していたニューヨーク州内のフォノグラフ事業は、一つの法人にまとめられました。

テネシー・フォノグラフ社の人事と事業拡大

1890年9月22日、テネシー・フォノグラフ社(Tennessee Phonograph Company)のゼネラル・マネージャーが辞任しました。同じ時期には、ミシシッピ州で新たなフォノグラフ会社を設立する動きも進められていました。ただし、確認できる記録は会社設立の試みを示すものであり、実際に会社が設立されて事業を開始したことまでは確認できません。

9月27日号が報じた長距離電話による音楽中継

1890年9月27日号の「サイエンティフィック・アメリカン」(Scientific American)は、ニューヨークで演奏・発声された音楽と音声を、長距離電話回線によってサラトガへ送る実演を紹介しました。伝送された内容には、オーケストラ演奏、独唱、口笛、朗読が含まれていました。サラトガの受信側では、電話回線を通じて届いた音楽と音声が大型ホーンから流され、複数の人々によって聴取されました。

9月16日に付与されたグラフォフォン特許

1890年9月16日、ジョセフ・ダニエルズ(Joseph Daniels, 生没年不明)が発明者として記載されたアメリカ合衆国特許第436,576号「グラフォフォン」(United States Patent No. 436,576, “Graphophone”)が付与されました。この特許は同年4月30日に出願され、エジソン・ユナイテッド・フォノグラフ社(Edison United Phonograph Company)が譲受人とされました。録音器と再生器を同一のブラケットに取り付け、必要に応じてそれぞれをシリンダーへ接触させたり離したりできる支持構造を対象としており、録音時と再生時に用いる機構を一つの支持部にまとめた構成でした。

9月30日に付与されたエジソンの録音関連特許

1890年9月30日、トーマス・アルヴァ・エジソンに、フォノグラフとフォノグラム・ブランクに関する6件のアメリカ合衆国特許が付与されました。内訳は、フォノグラフ本体に関する3件、フォノグラフ録音器に関する1件、フォノグラム・ブランクの製造法に関する1件、フォノグラム・ブランクに関する1件でした。

「フォノグラフ」と題された3件の特許

1890年9月30日、トーマス・アルヴァ・エジソンに、アメリカ合衆国特許第437,423号「フォノグラフ」(United States Patent No. 437,423, “Phonograph”)、アメリカ合衆国特許第437,424号「フォノグラフ」(United States Patent No. 437,424, “Phonograph”)、アメリカ合衆国特許第437,426号「フォノグラフ」(United States Patent No. 437,426, “Phonograph”)が付与されました。

「フォノグラフ録音器」と題された特許

1890年9月30日、トーマス・アルヴァ・エジソンに、アメリカ合衆国特許第437,425号「フォノグラフ録音器」(United States Patent No. 437,425, “Phonograph-Recorder”)が付与されました。録音点を切削工具として構成し、記録材が切削線より下で欠けることを防ぐ形状を対象とした特許でした。

「フォノグラム・ブランクの製造法」と題された特許

1890年9月30日、トーマス・アルヴァ・エジソンに、アメリカ合衆国特許第437,427号「フォノグラム・ブランクの製造法」(United States Patent No. 437,427, “Method of Making Phonogram-Blanks”)が付与されました。支持体となる内筒と記録面を形成する外筒を組み合わせ、温度変化に伴う膨張と収縮による亀裂を防ぐフォノグラム・ブランクの製造方法を対象としていました。

「フォノグラム・ブランク」と題された特許

1890年9月30日、トーマス・アルヴァ・エジソンに、アメリカ合衆国特許第437,429号「フォノグラム・ブランク」(United States Patent No. 437,429, “Phonogram-Blank”)が付与されました。繰り返し使用するフォノグラム・ブランクの耐久性を高め、温度変化に伴う膨張と収縮による亀裂を防ぐため、録音面を支える内側の構造を改良する特許でした。

References