1891年2月の録音・音声記録
1891年2月、日本では第1回帝国議会で予算審議をめぐる政府と民党の対立が続き、成立したばかりの立憲政治が重要な局面を迎えていました。ブラジルでは24日にブラジル合衆国共和国憲法(Constituição da República dos Estados Unidos do Brasil)が公布され、連邦共和制を基礎とする新たな国家体制が定められました。チリでは1891年チリ内戦が続き、北部のイキケ周辺でも戦闘が発生しました。オーストラリアのクイーンズランド植民地では、1891年羊毛刈り労働者ストライキ(1891 Shearers’ Strike)が拡大し、バーカルディンを中心に労働者と牧畜業者側の対立が深まりました。数学者ソフィア・ヴァシーリエヴナ・コワレフスカヤ(Sofia Vasilyevna Kovalevskaya, 1850–1891)は10日にストックホルムで死去しました。ロンドンでは24日からロンドン化学会(Chemical Society of London)の創立50周年記念行事が開かれ、翌25日まで続きました。アメリカでは24日–28日にハートフォード・カメラ・クラブ(The Camera Club of Hartford)の写真展が開催され、アルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz, 1864–1946)の作品も出品されました。
録音史では、4日にギュスターヴ・エッフェル(Gustave Eiffel, 1832–1923)が自宅で自身の声を録音し、9日にはイングランドのリーでW・フリーマン(W. Freeman, 生没年不明)がフォノグラフに声を吹き込みました。ニュージーランドのオークランドでは、E・ダグラス・アーチボルド(E. Douglas Archibald, 生没年不明)の公開実演に伴って13日、14日、24日に現地での録音が行われています。モスクワでは16日と17日にマリア・クリメントワ=ムロムツェワ(Maria Klimentova-Muromtzeva, 1857–1946)とセルゲイ・タネーエフ(Sergei Taneyev, 1856–1915)の演奏が記録され、17日にはパリでエルネスト・ルナン(Ernest Renan, 1823–1892)の声も録音されました。このほか、シルスデン・ブラス・バンド(Silsden Brass Band)とミュージカル『シップ・アホイ!(Ship Ahoy!)』出演者の録音も1891年2月中に行われていますが、録音日は特定できません。シルスデン・ブラス・バンドは、ウィリアム・リンド(William Lynd, 生没年不明)がエジソン式フォノグラフを用いて録音しました。
この月の確認されている録音:11件以上
4日(1件)
ギュスターヴ・エッフェルは1891年2月4日、パリの自宅でフォノグラフを用いて自身の声をシリンダーに録音しました。録音では、その日の集まりを記念として残すことや、2月9日に再び集まる予定について語っています。ギュスターヴ・エッフェルが所有していたフォノグラフは、1889年にトーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)から贈られたもので、家族や友人の声を記録するためにも使用されました。この録音を含むシリンダーの一部は現存しています。
| Title | Artist | Matrix | Catalog No. |
|---|---|---|---|
| N/A | Gustave Eiffel |
【1891年2月4日の出来事】
・大衆文学作家の三上於菟吉が誕生
三上於菟吉(1891–1944)は、大正から昭和前期にかけて活動した大衆文学作家です。1891年2月4日、中葛飾郡桜井村木崎(現在の埼玉県春日部市)に生まれ、埼玉県立粕壁中学校(現・埼玉県立春日部高等学校)を経て早稲田大学予科へ進みました。『百万両秘聞』『日輪』『雪之丞変化』などを発表し、1935年に直木三十五賞が創設された際には初代選考委員の一人を務めました。
9日(1件)
1891年2月9日、イングランドのリーで開かれたリー文学協会(Leigh Literary Society)の集会で、エジソン・フォノグラフ(Edison Phonograph)の講演と実演が行われました。この実演では録音機能も紹介され、同協会の会長W・フリーマンが自身の声を録音しました。後年の調査では、これがリーで行われた最初の音声録音とされています。この録音が現存しているかどうかは確認されていません。
| Title | Artist | Matrix | Catalog No. |
|---|---|---|---|
| N/A | W. Freeman |
【1891年2月9日の出来事】
・俳優ロナルド・コールマンが誕生
ロナルド・コールマン(Ronald Colman, 1891–1958)は、1891年2月9日にイングランドのサリー州リッチモンドに生まれました。舞台俳優として活動した後に映画へ進出し、サイレント映画からトーキーへの移行期を通じて活躍しました。『失はれた地平線(Lost Horizon)』『ゼンダ城の虜(The Prisoner of Zenda)』などに出演し、1947年公開の『二重生活(A Double Life)』では、第20回アカデミー賞(The 20th Academy Awards)の主演男優部門を受賞しました。
13日(2件)
1891年2月13日、ニュージーランドのオークランドにあるアボット・オペラ・ハウス(Abbott’s Opera House)で、E・ダグラス・アーチボルドによるフォノグラフの公開実演が行われました。この実演では、E・ダグラス・アーチボルド自身が短い言葉をフォノグラフに吹き込み、その声が再生されました。さらに、聴衆の一人が歌を吹き込み、その歌声もフォノグラフで再生されました。
| Title | Artist | Matrix | Catalog No. |
|---|---|---|---|
| N/A | E. Douglas Archibald | ||
| N/A | N/A |
【1891年2月13日の出来事】
・画家グラント・ウッドが誕生
グラント・ウッド(Grant Wood, 1891–1942)は、1891年2月13日にアメリカのアイオワ州アナモサ近郊の農場で生まれました。アメリカ中西部の風景や人々を題材とした作品で知られ、後にアメリカン・リージョナリズムを代表する画家の一人となりました。1930年に制作した『アメリカン・ゴシック(American Gothic)』は、グラント・ウッドを代表する作品として広く知られています。
14日(1件)
1891年2月14日、ニュージーランドのオークランドにあるアボット・オペラ・ハウスで、サー・ジョージ・グレイ(Sir George Grey, 1812–1898)がフォノグラフに短いメッセージを録音しました。この録音はトーマス・アルヴァ・エジソンへ届けるために行われたもので、メッセージでは、その発明と人類への貢献に対する敬意と感謝が語られました。
| Title | Artist | Matrix | Catalog No. |
|---|---|---|---|
| N/A | Sir George Grey |
【1891年2月14日の出来事】
・女性飛行家キャサリン・スティンソンが誕生
キャサリン・スティンソン(Katherine Stinson, 1891–1977)は、1891年2月14日にアメリカのアラバマ州フォート・ペインに生まれました。1912年に飛行免許を取得し、アメリカで飛行免許を得た初期の女性飛行家の一人となりました。その後は曲技飛行や長距離飛行で知られるようになり、1916年12月には日本と中国を巡る飛行巡業へ出発するなど、海外でも活動しました。
16日(3件)
1891年2月16日、モスクワのロシア帝国歴史博物館(Imperial Russian Historical Museum)の大講堂で、ジュリウス・ブロック(Julius Block, 1858–1934)による録音が行われました。マリア・クリメントワ=ムロムツェワとセルゲイ・タネーエフによるジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet, 1838–1875)の「Pastorale」、作曲者と作品名を特定できない演奏、ロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810–1856)の「Widmung」が記録されています。資料に記された日付は、当時ロシアで使用されていたユリウス暦(Julian calendar)の1891年2月4日で、グレゴリオ暦(Gregorian calendar)では2月16日にあたります。「Unidentified composition」と「Widmung」は同じシリンダーC64に、「Pastorale」はC65に記録されています。
| Title | Artist | Matrix | Catalog No. |
|---|---|---|---|
| Pastorale | Maria Klimentova-Muromtzeva Sergei Taneyev | ||
| Unidentified composition | Maria Klimentova-Muromtzeva Sergei Taneyev | ||
| Widmung, no. 1 from Myrthen, op. 25 | Maria Klimentova-Muromtzeva Sergei Taneyev |
【1891年2月16日の出来事】
・日本の植物研究に貢献したカール・ヨハン・マキシモヴィッチが死去
カール・ヨハン・マキシモヴィッチ(Carl Johann Maximowicz, 1827–1891)は、1891年2月16日にサンクトペテルブルクで死去しました。ロシア帝国の植物学者で、1860年–1864年に日本へ滞在し、各地で植物標本を収集しました。日本滞在後も日本産植物の研究を続け、日本の植物学者から送られた標本の同定にも携わるなど、日本の植物研究に大きく貢献しました。
17日(2件)
1891年2月17日、モスクワのロシア帝国歴史博物館の大講堂では、前日に続いてジュリウス・ブロックによる録音が行われました。マリア・クリメントワ=ムロムツェワの歌唱とセルゲイ・タネーエフのピアノによる、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840–1893)の「Do not leave me!, no. 4 from 6 Romances, op. 27」がシリンダーC66に記録されています。資料に記された日付はユリウス暦の1891年2月5日で、グレゴリオ暦では2月17日にあたります。
同じ日、パリではエルネスト・ルナンがギュスターヴ・エッフェルのサロンでフォノグラフに自身の声を録音しました。ルナンは近代科学の発見について語り、フォノグラフを19世紀で最も驚くべき発見の一つとして位置づけました。
| Title | Artist | Matrix | Catalog No. |
|---|---|---|---|
| Do not leave me!, no. 4 from 6 Romances, op. 27 | Maria Klimentova-Muromtzeva Sergei Taneyev | ||
| N/A | Ernest Renan |
【1891年2月17日の出来事】
・数学者アブラハム・アドルフ・ハレヴィ・フレンケルが誕生
アブラハム・アドルフ・ハレヴィ・フレンケル(Abraham Adolf Halevi Fraenkel, 1891–1965)は、1891年2月17日にドイツ帝国のミュンヘンで生まれました。数学者として公理的集合論の発展に貢献し、エルンスト・フリードリヒ・フェルディナント・ツェルメロ(Ernst Friedrich Ferdinand Zermelo, 1871–1953)が構築した公理体系を発展させました。その成果はツェルメロ=フレンケル集合論(Zermelo–Fraenkel set theory)として知られ、現代数学の基礎を支える主要な公理体系の一つとなっています。
24日(1件)
1891年2月24日、ニュージーランドのオークランドで、サー・ジョージ・グレイが市民に向けたメッセージをフォノグラフに録音しました。翌25日付の『ホークス・ベイ・ヘラルド(Hawke’s Bay Herald)』は、このメッセージが前日に録音され、記録したフォノグラフがオークランド・フリー・パブリック・ライブラリー(Auckland Free Public Library)に収められたと報じています。
後年の記録では、録音時にはE・ダグラス・アーチボルドがフォノグラフを操作し、当時のオークランド市長も立ち会っていたことが確認できます。サー・ジョージ・グレイは、市民が新しい時代と将来の社会を築く責任を担っていることを語り、真実と正義を重んじて進むよう呼びかけました。録音後にはE・ダグラス・アーチボルドと市長もフォノグラムに言葉を吹き込んだと記録されていますが、それぞれが独立したシリンダーであったことは確認できません。
| Title | Artist | Matrix | Catalog No. |
|---|---|---|---|
| N/A | Sir George Grey |
【1891年2月24日の出来事】
・風景写真の露光を調整する写真機用シャッターの特許が成立
ヘンリー・B・ノートン(Henry B. Norton, 生没年不明)は、1891年2月24日、アメリカ合衆国特許第446,880号「写真機用シャッター(Shutter for Photographic Cameras)」を取得しました。この発明は屋外や風景の撮影を主な用途とし、明るい空などの背景と暗い前景とで必要な露光時間が異なることに対応するため、レンズに入る光を調整する機構を備えていました。背景の過度な露光を抑えながら、暗い前景にはより長く光を当てられるよう設計されていました。
録音日不詳
1891年2月、イングランドのシルスデンでは、シルスデン・ブラス・バンドがウィリアム・リンドによってエジソン・フォノグラフに録音されました。ウィリアム・リンドはフォノグラフの実演を行いながら各地を巡回していましたが、シルスデン・ブラス・バンドの録音については、2月中に行われたこと以外に、正確な録音日、曲目、録音本数は確認できません。
ボストンでは、2月20日にニュー・イングランド・フォノグラフ社(New England Phonograph Company)が、パーク・シアター(Park Theatre)で上演されていた『シップ・アホイ!』の宣伝にフォノグラフを使用することを承認しました。出演者はその後の1週間に同社を訪れ、劇中の主要な歌や合唱を録音しました。録音には男性主要出演者と合唱団が参加しており、複数のシリンダーが制作されたことが確認できますが、正確な録音日と総数は特定できません。
この録音のうち、エドワード・アディソン・フェイヴァー(Edward Addison Favor, 1856–1936)が「The Commodore Song」を歌ったことが確認できます。そのほかの録音については曲目を特定できません。
| Title | Artist | Matrix | Catalog No. |
|---|---|---|---|
| 不明(曲数不明) | Silsden Brass Band | ||
| The Commodore Song | Edward M. Favor |
『シップ・アホイ!』ではこのほかにも複数の歌や合唱が録音されていますが、曲目と録音本数を確定できないため、表には特定できた曲目のみを掲載しています。
1891年2月の録音に関する情報のまとめ
1891年2月の資料からは、フォノグラフが音声の録音・再生だけでなく、音楽シリンダーの製造、舞台作品の宣伝、公開実演、語学教育、軍事訓練、声の収集と保存など、さまざまな用途へ広がっていたことが確認できます。アメリカでは地方フォノグラフ会社による音楽シリンダーの製造や自動フォノグラフを利用した事業が報じられ、ボストンでは舞台作品の宣伝に録音が利用されました。イングランド、フランス、ロシア、ニュージーランドでも録音や実演が行われており、フォノグラフが商業、娯楽、教育、記録保存など複数の分野で利用され始めていた時期であったことが分かります。
エジソン研究所の2月10日「48 clarinet」記録
1891年2月10日のエジソン研究所(Edison Laboratory)の記録には、クラリネットのウィリアム・M・トゥーソン(William M. Tuson, 1863–1943)とピアノのエドワード・イスラー(Edward Issler, 生没年未確認)の名前に続いて、「48 clarinet」と記されています。同じ箇所には「charge 478」「charge 105」という記載もありますが、曲名や個々の録音内容は記されていません。
この「48」が48曲、48回の演奏、48本の新規録音のいずれを意味するのかは、記録だけでは特定できません。1890年12月24日には、同じウィリアム・M・トゥーソンとエドワード・イスラーについて「Records taken for duplicating」と記録され、「charge 105」も併記されています。そのため、1891年2月10日の「48 clarinet」をそのまま48件の新規録音として数えることはできません。
一方、ウィリアム・M・トゥーソンがクラリネット、エドワード・イスラーがピアノを担当したことと、1891年2月10日に「48 clarinet」という数量を伴う記録が残されていることは確認できます。
地方フォノグラフ会社による音楽シリンダー製造
1891年2月号の『ザ・フォノグラム(The Phonogram)』には、「音楽シリンダーの製造(The Manufacture of Musical Cylinders)」と題する記事が掲載されました。記事は、地方フォノグラフ会社の経営者から音楽録音の製造方法について説明を求められたことをきっかけとしており、当時、多くの地方フォノグラフ会社が自ら音楽シリンダーを制作していたことを伝えています。
記事によれば、トーマス・アルヴァ・エジソンは音楽や演説、講演などを記録するシリンダーの改良について長期間実験を続けていました。一方、その方法を本格的な事業として実施するには大規模な設備投資が必要であり、地方各社がそれぞれ音楽シリンダーを制作している状況では、親会社が製造設備を設けるだけの条件が整っていないと説明されています。
さらに、地方各社が自社での製造をやめ、共同で親会社に生産を求めるのであれば、エジソン自身の指揮による音楽シリンダー工場を設けることが可能になるとの見通しも示されました。1891年2月の段階では、音楽シリンダーの供給が一か所に集約されておらず、地方フォノグラフ会社による分散型の製造が続いていました。
ニュー・イングランド・フォノグラフ社と『シップ・アホイ!』
1891年2月20日、ニュー・イングランド・フォノグラフ社の取締役会は、ボストンのパーク・シアターで上演されていた『シップ・アホイ!』の宣伝に使用するため、フォノグラフを週25ドルで同作品の一座へ貸し出すことを決定しました。一座はその後の1週間のうちに同社を訪れ、劇中の歌や合唱をフォノグラフに録音しました。
録音されたシリンダーはパーク・シアターのロビーに設置されたフォノグラフで再生され、通行人や観客が無料で聴くことができました。報道では、男性主要出演者と合唱団による『シップ・アホイ!』の楽曲が再生され、ロビーに多くの人々が集まったことが伝えられています。『ザ・フォノグラム』も、この試みが注目を集め、新聞で取り上げられたほか、観客数の増加につながったと報じています。
参加者にはエドワード・アディソン・フェイヴァーが含まれており、この時に歌った「The Commodore Song」の録音内容は後年の資料でも確認されています。舞台作品の楽曲を事前に録音し、劇場のロビーで再生して観客を呼び込むこの試みは、フォノグラフを舞台興行の宣伝手段として利用した初期の事例の一つでした。
パシフィック・フォノグラフ社の「ミュージック・ファクトリー」
1891年2月21日付の『サンフランシスコ・クロニクル(San Francisco Chronicle)』は、サンフランシスコのパイン・ストリート323番地にあったパシフィック・フォノグラフ社(Pacific Phonograph Company)の録音施設を取り上げました。同社のスタジオはフランク・T・カナル(Frank T. Canall, 生没年不明)の管理下にあり、新聞では音楽を蝋管へ記録する「ミュージック・ファクトリー」として紹介されています。
記事では、ブラスバンドの演奏がフォノグラフ用の蝋管に記録されていたことが伝えられています。録音室には6台の録音機を用いた装置が設けられており、同時に複数のシリンダーへ音を記録する構成だったことが、掲載された図から確認できます。
パシフィック・フォノグラフ社が自社録音を行っていたことは1890年1月までに確認されており、1891年2月の記事は、同社がサンフランシスコで録音施設を運営していた状況を具体的に伝えています。一方、同社が制作した録音の原簿や一覧は現在確認されておらず、それらが一般向けに販売されていたことを示す資料も確認されていません。
『ザ・フォノグラム』が伝えた『ライバルズ』の録音
1891年2月号の『ザ・フォノグラム』には、「フォノグラフによって生じる舞台恐怖(“Stage Fright” Produced by the Phonograph)」と題する記事が掲載され、俳優や歌手がフォノグラフの前では舞台上とは異なる緊張を示す場合があることが紹介されました。その具体例の一つとして、俳優ジョセフ・ジェファーソン(Joseph Jefferson, 1829–1905)とウィリアム・ジャーミン・フローレンス(William Jermyn Florence, 1831–1891)による録音が取り上げられています。
記事によれば、ジェファーソンの楽屋にフォノグラフが持ち込まれ、録音済みの歌や朗読を聴いたジェファーソンとフローレンスは、自分たちも録音することに同意しました。二人は『ライバルズ(The Rivals)』から、サー・ルーシャス・オトリガー(Sir Lucius O’Trigger)とボブ・エイカーズ(Bob Acres)が決闘について話し合う場面を演じました。フローレンスは「For He Loved a Bold Dragoon」の一節から始め、その後、二人の対話がシリンダーに記録されました。記事では、ジェファーソンの特徴的な高い声とフローレンスのアイルランド訛りも記録され、録音後に再生されたことが伝えられています。
この録音が行われた正確な日付は記事には記されていません。そのため、1891年2月号で報告された録音であることは確認できますが、1891年2月に行われた録音としては確定できません。
イングランド北部の初期録音―リーとシルスデン
1891年2月には、イングランド北部でもフォノグラフの公開実演に伴う録音が確認されています。2月9日、リー文学協会の集会に講師として招かれたウィリアム・リンドは、エジソン・フォノグラフの仕組みを説明し、録音と再生を実演しました。この際、同協会の会長W・フリーマンが自身の声を録音しています。リーの地方史研究では、1891年の『リー・ジャーナル・アンド・タイムズ(Leigh Journal and Times)』の記事をもとに、この録音を同地で確認できる最初の音声録音としていますが、シリンダーが現存しているかどうかは確認されていません。
同じ1891年2月、ヨークシャーのシルスデンでは、シルスデン・ブラス・バンドがウィリアム・リンドによってエジソン・フォノグラフに録音されました。ウィリアム・リンドはフォノグラフを携えて各地を巡回し、その機能を聴衆に実演していました。シルスデン・ブラス・バンドの録音については、2月中に行われたことは確認できますが、正確な録音日、曲目、録音本数は特定できません。
リーとシルスデンの事例は、1891年初頭のイングランドで、フォノグラフが大都市の施設だけでなく、地方の講演会や音楽団体にも持ち込まれ、その場で新たな音声や演奏を記録する機器として利用されていたことを示しています。
ギュスターヴ・エッフェル邸の録音とエルネスト・ルナンの声
1891年2月4日、ギュスターヴ・エッフェルはパリの自宅で、トーマス・アルヴァ・エジソンから贈られたフォノグラフを使って自身の声を録音しました。録音の中でエッフェルは、その日の集まりを記念として残すことや、2月9日に再び集まる予定について語り、最後には1891年2月4日の夜を忘れないと述べています。フランス国立視聴覚研究所(Institut national de l’audiovisuel)は、この録音を含むエッフェルの録音群を、現存するフランス最古の音声資料として紹介しています。
同じ月の17日には、エルネスト・ルナンがエッフェルのサロンを訪れ、フォノグラフに自身の声を録音しました。エッフェルは、1889年パリ万国博覧会(Exposition universelle de 1889)の際にエジソンから贈られたクラスM型フォノグラフ(Class M Phonograph)を用いて、招待した人々の声を記録していました。ルナンは録音の中で近代科学の発見について語り、フォノグラフを19世紀の最も驚くべき発見の一つとして評価しています。
ルナンの声を記録した蝋管の原本は現存していませんが、複製が残されました。エッフェル家の子孫から伝えられた複製はフランス国立図書館(Bibliothèque nationale de France)の音声資料として保存されており、1891年2月にパリの私的なサロンで行われたフォノグラフ録音の実態を伝える資料となっています。
ジュリウス・ブロックのモスクワ録音
1891年2月、ジュリウス・ブロックはモスクワのロシア帝国歴史博物館の大講堂で、マリア・クリメントワ=ムロムツェワの歌唱とセルゲイ・タネーエフのピアノによる演奏をフォノグラフに記録しました。録音日は当時ロシアで使用されていたユリウス暦で2月4日と5日と記されており、グレゴリオ暦ではそれぞれ2月16日と17日にあたります。
ユリウス暦2月4日には、ジョルジュ・ビゼーの「Pastorale」がシリンダーC65に録音されたほか、曲名を特定できない演奏と、ロベルト・シューマンの「Widmung, no. 1 from Myrthen, op. 25」がシリンダーC64に記録されました。翌5日には、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの「Do not leave me!, no. 4 from 6 Romances, op. 27」がシリンダーC66に録音されています。
これらの録音は、マリア・クリメントワ=ムロムツェワとセルゲイ・タネーエフの演奏を実際の音として伝える資料です。ジュリウス・ブロックが残したシリンダー群には、19世紀末のロシアで活動した演奏家や作曲家の録音が含まれており、セルゲイ・タネーエフの演奏を伝える貴重な音声記録も残されています。
E・ダグラス・アーチボルドのオークランド実演と現地録音
1891年2月、エドマンド・ダグラス・アーチボルドはニュージーランドのオークランドでフォノグラフの公開実演を行いました。2月9日からアボット・オペラ・ハウスで始まった興行では、あらかじめ録音された歌、器楽演奏、演説などを再生するだけでなく、その場で声を録音して直ちに再生する実演も行われました。当時の広告でも、会場内で声を記録し、フォノグラフによって繰り返し再生することが興行の特徴として紹介されています。
2月13日の公演では、エドマンド・ダグラス・アーチボルド自身が短い言葉をフォノグラフに吹き込み、その声が再生されました。さらに聴衆の一人も歌を録音し、直後に再生されています。翌14日にはサー・ジョージ・グレイがアボット・オペラ・ハウスでフォノグラフに声を記録しました。同日の新聞は、録音されたフォノグラムの一つをオークランド・フリー・パブリック・ライブラリーに保存する予定だったと報じています。
2月24日には、サー・ジョージ・グレイがオークランド市民に向けた別のメッセージをフォノグラフに録音しました。このフォノグラムは同図書館に収められ、後年の記事では、録音時にエドマンド・ダグラス・アーチボルドが機械を操作し、オークランド市長ジョン・ヘンリー・アップトン(John Henry Upton, 1845–1929)が同席していたことが伝えられています。録音後にはエドマンド・ダグラス・アーチボルドとジョン・ヘンリー・アップトンもフォノグラムに言葉を吹き込みました。
この一連の実演では、海外で制作された録音を再生するだけでなく、オークランドで新たな音声をその場で記録して再生し、さらに一部を保存することまで行われていました。エドマンド・ダグラス・アーチボルドの巡回興行は、フォノグラフを再生装置として紹介すると同時に、現地の人々の声を記録する録音機としても実演したものでした。
マクマホン兄弟とオーストラリアのコイン投入式フォノグラフ
1890年10月、マクマホン兄弟(MacMahon Brothers)のジェームズ・マクマホン(James MacMahon, 生没年不明)はアメリカへ渡り、最新型のフォノグラフと録音済みシリンダーをオーストラリアへ送りました。送られた機器は10台で、サンフランシスコから同行した電気技術者とともに1891年1月に到着しています。ジェームズ・マクマホンは、アメリカ滞在中にトーマス・アルヴァ・エジソンからフォノグラフの操作を教わったとも述べています。
このうち一部は硬貨を投入して録音を聴くコイン投入式の機器で、1891年1月末からメルボルンのオペラ・ハウスや蝋人形館の玄関ホールなどに設置されました。利用者は係員による舞台実演を見るのではなく、自ら料金を支払ってフォノグラフを聴くことができました。2月5日付の『アーガス(The Argus)』は、設置から約2週間で2万人を超える人々がこれらの機器を利用したと報じています。
この方式は、それまで劇場や講演会を中心としていたフォノグラフの公開方法とは異なり、公共の場所に機器を常設または一定期間設置し、個々の利用者が録音を聴く形へと利用範囲を広げるものでした。こうした機器の導入によって、1891年初頭のオーストラリアでは、フォノグラフを個別に利用する初期の商業的な聴取空間が形成され始めました。
声を収集・保存する「フォノグラフ・アルバム」
1891年2月号の『ザ・フォノグラム』には、「フォノグラフ・アルバム(The Phonograph Album)」と題する記事が掲載されました。記事は録音された声を「人間の声の写真」にたとえ、顔写真や自筆署名と同じように、人物の声そのものを収集するというフォノグラフの利用法を紹介しています。朗読や歌唱をシリンダーに記録し、舞台で活躍する人物の声を集めることが、新しい収集の形として取り上げられました。
記事では、ニューヨークの個人収集家が、当時の著名な舞台芸術家の声を記録したシリンダーを集めていた例も紹介されています。そのコレクションには複製が存在しない録音も多く含まれており、自宅で約6時間にわたってさまざまな芸術家の声や演目を再生できるほどの規模に達していました。この人物によるコレクションの存在は、1890年12月14日付の『ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)』でも報じられています。
「フォノグラフ・アルバム」という考え方では、シリンダーは単に音楽や朗読を再生するための媒体ではなく、特定の人物の声や演技を収集し、後から繰り返し聴くための記録として扱われています。1891年2月の記事は、フォノグラフが音声をその場で再生する機械から、声そのものを個人的に収集・保存するための媒体としても利用され始めていたことを伝えています。
オートマチック・フォノグラフ・エキシビション社の新型自動フォノグラフ
1891年2月号の『ザ・フォノグラム』は、オートマチック・フォノグラフ・エキシビション社(Automatic Phonograph Exhibition Company)が、新型のコイン投入式自動フォノグラフを導入していると報じました。同社は「ニッケル・イン・ザ・スロット(Nickel-in-the-Slot)」に関する特許を管理しており、従来型の機器はメイン州からモンタナ州まで約750台が使用されていました。新型機は、その従来型を改良したものとして紹介されています。
新型機では、従来の側面にある押し棒に代えてクランクで機械を始動する構造が採用され、利用によって機構が調整不良になることを防ぐよう設計されていました。また、5セント硬貨を投入すると録音された演目を最後まで再生する仕組みとなり、電流も必要になる直前まで接続されないため、電池の消耗を抑える構造でした。使用方法を誤っても硬貨を失わないようになっており、栓や詰め物、ボタンなどでは作動せず、5セント硬貨と重量・大きさが一致するものだけが機械を作動させると説明されています。
記事によれば、工場は従来型を新型機へ置き換えるため昼夜を通して生産を続けていました。新型への交換によって全体の収入に明確な増減は見られなかったものの、設置場所に恵まれた機械では1日24ドルに達する例もありました。収入は、毎日交換される録音の内容や設置場所によって変化するとされ、記事はこれを、演目の良し悪しや立地によって客入りが変わる劇場興行になぞらえています。
軍事訓練とフォノグラフ
1891年2月号の『ザ・フォノグラム』には、「フォノグラフによる訓練(Drilling by the Phonograph)」と題する記事が掲載されました。記事によれば、ワシントン・ライト・インファントリー・アーモリー(Washington Light Infantry Armory)で講演終了後に実験が行われ、軍事訓練中の行進音楽をフォノグラフで再生できるかが試されました。実験の日付は「数日前の夕方」とだけ記されており、正確な日付は確認できません。
実験では、アメリカ海兵隊軍楽隊(United States Marine Band)の演奏を記録したシリンダーが使用され、大きな訓練場でも音楽をはっきり聴き取れる音量で再生できるかが検証されました。アルバート・G・オードウェイ(Albert G. Ordway, 1843–1897)はこの試みに関心を示し、隊員に正しい歩調と行進のテンポを教えるうえで有用になると考えていました。
記事では、軍楽隊を年間を通じて訓練に参加させるには大きな費用がかかる一方、フォノグラフを使用すれば、行進訓練に必要な音楽をより少ない費用で繰り返し利用できると説明されています。この実験は、フォノグラフが娯楽や音声記録だけでなく、一定のテンポを必要とする軍事訓練の補助装置としても検討されていたことを伝えています。
コロンビア・フォノグラフ社とマイスターシャフト語学システム
1891年2月号の『ザ・フォノグラム』には、「フォノグラフで教えるマイスターシャフト・システム(The Meisterschaft System Taught by the Phonograph)」と題する記事が掲載されました。記事は、コロンビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)がワシントンで進めていた語学教育へのフォノグラフ利用について紹介しています。
同社では、マイスターシャフト・システム(Meisterschaft System)の考案者リチャード・ジギスムント・ローゼンタール(Richard Sigismund Rosenthal, 生没年不明)が語学教育の取り組みに参加していました。ローゼンタールはすでに5回の無料講演を行っており、そのうちの一回では、外国語のレッスンを録音したシリンダーをフォノグラフで再生する実演も行われました。記事によれば、複数の受講者がこの方式による学習を始めていました。
学習者には教材となる書籍と、それに対応する録音済みシリンダーが用意され、文字を読むことと発音を聴くことを同時に行うことで、目と耳の双方を使って外国語を学ぶ方法が採用されていました。記事は、フォノグラフを単なる音楽再生や口述記録の機械としてではなく、発音を繰り返し聴くことのできる語学教育用の装置として実用化しようとする試みを伝えています。
References
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