1893年に録音された音楽

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1893年に録音された音楽

1893年は、録音・再生という技術が「音として残す」段階から、「都市の娯楽インフラの一部として流通する」方向へ進むための条件が、複数の領域で同時に整っていく年です。録音史を技術史だけに閉じず、都市文化・消費・国際秩序の変化と結び付けて読むと、出来事同士の連動が見えやすくなります。

象徴的なのが、シカゴで開催されたコロンブス世界博覧会(World’s Columbian Exposition, 1893年5月1日–10月30日)です。電化・機械・展示・娯楽が巨大会場に統合され、観客は“都市そのものがショーになる”体験を獲得しました。観覧車(Ferris Wheel, 1893)はジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニア(George Washington Gale Ferris Jr., 1859–1896)の設計で、巨大装置が大衆の時間と視線を組織化できることを示します。さらに世界宗教会議(Parliament of the World’s Religions, 1893年9月11日–27日)では、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda, 1863–1902)が注目を集め、国際的な「語り」や「聴衆」の成立を印象づけました。

視覚メディアの側でも、反復鑑賞を前提とする商業モデルが立ち上がります。トーマス・A・エジソン(Thomas A. Edison, 1847–1931)とウィリアム・K・L・ディクソン(William Kennedy Laurie Dickson, 1860–1935)らの系譜のなかで、映画撮影スタジオのブラック・マリア(Black Maria)は1893年に完成し、同年5月にはキネトスコープ(Kinetoscope)系の映像が公開実演されました。映像が“機械で見せる娯楽”として成立し始めたことは、音が“機械で聴かせる娯楽”として普及していく地盤とも重なります。

一方、アメリカ合衆国(United States)では1893年恐慌(Panic of 1893)が進行し、信用収縮と破綻が生活を直撃しました。グローヴァー・クリーヴランド(Grover Cleveland, 1837–1908)は金本位制(gold standard)維持を重視し、通貨不安の火種とみなされたシェルマン銀購入法(Sherman Silver Purchase Act)の廃止へ動き、廃止法は1893年11月1日に成立します。景気後退は娯楽消費を冷やす一方で、比較的安価で再現性の高い娯楽が求められやすくもなり、録音物は「商品」としての性格を強めていきます。

国際政治では「転覆」と「線引き」が同時に進みました。ハワイ王国(Hawaiian Kingdom)は1893年1月17日に転覆し、リリウオカラニ女王(Queen Liliʻuokalani, 1838–1917)が退位を迫られます。南・中央アジアではデュランド・ライン(Durand Line)が1893年11月12日の合意として知られ、ヘンリー・モーティマー・デュランド(Henry Mortimer Durand, 1850–1924)とアブドゥル・ラフマーン・ハーン(Abdur Rahman Khan, c.1844–1901)の交渉により境界の枠組みが定められました。東南アジアではフランス第三共和政(French Third Republic)とシャム王国(Kingdom of Siam)の対立がフランコ=シャム条約(Franco–Siamese Treaty, 1893年10月3日)へ収斂し、アフリカ南部では第一次マタベレ戦争(First Matabele War, 1893年10月–)が始まります。

社会制度の面では、ニュージーランド(New Zealand)で女性参政権が実現しました。1893年9月19日に選挙法(Electoral Act)が成立し、ケイト・シェパード(Kate Sheppard, 1847–1934)に代表される運動が結実します。大衆社会の「参加」の拡大は、娯楽やメディアの受け手が広がる過程とも同じ時代のリズムで進みました。

芸術面でも世紀末の感覚が濃くなります。アントニーン・ドヴォルザーク(Antonín Dvořák, 1841–1904)の交響曲第9番「新世界より」(Symphony No. 9 “From the New World”)は1893年12月16日にニューヨークで初演され、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863–1944)の「叫び」(The Scream, 1893年)は不安の図像として定着していきます。同年11月6日にはピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840–1893)が死去しました。自然災害としては、1893年8月27日に1893年シー・アイランズ・ハリケーン(1893 Sea Islands hurricane)が米国南東部に大きな被害を与えています。

以上のように1893年は、観客社会の拡大、新メディアの商業化、景気後退による消費構造の変化、そして国際秩序の線引きが同居した年です。録音史を「技術の進歩」だけでなく「社会が娯楽と情報を流通させる仕組みの形成」として捉えると、この年の出来事は相互に補助線を引き合う節目として読めます。

『Etching the Voice: Emile Berliner and the First Commercial Gramophone Records』のディスコグラフィ

ベルリナーの初期商業録音を集成した『Etching the Voice: Emile Berliner and the First Commercial Gramophone Records』のディスコグラフィに載っているもので、録音年表記が一律「1890–95」とされています。

TitleArtist
Alfred Jones [version 2]n/a
Auld Lang Synen/a
Blue Bells of Scotlandn/a
By thy cold breast (Byron’s “Manfred”)n/a
Czarenlied, from “Czar und Zimmermann”n/a
El Credon/a
Father Williamn/a
The Flowers that Bloom, from “The Mikado”n/a
Fra Diavolon/a
Gesängen/a
God Bless the Prince of Walesn/a
God Save the Queen!n/a
Gramophonen/a
Hark! The Herald Angels Singn/a
Hobelliedn/a
Home! Sweet Home!n/a
I Due Ladri e l’Asinon/a
In the Sweet By-and-Byn/a
Jägers Abschiedn/a
La Boiteusen/a
La Marseillaisen/a
La Rondinellan/a
Le Corbeau et le Renardn/a
Le Père la Victoiren/a
Lena, la bella Lenan/a
A Little Ship Was on the Sean/a
Long, Long Agon/a
Me Gustan Todas / Aroro Mi Nenan/a
The North Windn/a
Numeri, La Settimana, Le Mesin/a
Numeros, Dias, Mesesn/a
Old King Coaln/a
Old Mother Hubbardn/a
Pilgrims’ Chorus, from “Tannhäuser”n/a
Proverbsn/a
Rule, Britannia!n/a
Sing a Song of Sixpence / Oh, Carry Me Backn/a
Sing a Song of Sixpence [3-in doll disc]n/a
Ta-ra-ra Boom-de-ay!n/a
Versos y Canton/a
We don’t want to fight [version 2]n/a
Whist! The Bogie Mann/a
Who Killed Cock Robin?n/a
Willow Tit-Willow, “from The Mikado”n/a
Wot Cher!n/a

これらは、主にロンドンやハノーファーで録音されたと考えられる最初期のグラモフォン円盤で、エジソン系シリンダーの系譜とは別系列の「ディスク側1890年代」のコアな音源群です。

ルーベン・コレクション(Ruben-samlingen)

ルーベン・コレクション(Ruben-samlingen)は、ゴットフリート・モーゼス・ルーベン(Gottfried Moses Ruben, 1837–1897)がコペンハーゲンで1889年から1890年代半ばにかけて制作した、デンマーク最初期の蝋管録音群です。1889年から1890年代半ばまでに録音された蝋管をMOPMではまとめて「ルーベン・コレクション」として整理し、録音一覧を専用ページに掲載しています。