1894年2月に録音された音楽

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1894年2月に録音された音楽

1894年2月は、国境を越えて「社会の緊張」が可視化された月でした。朝鮮では東学の指導者チョン・ボンジュン(Jeon Bong-jun, 1855–1895)が関与する農民蜂起が全羅道で始まり、のちに清国と日本の軍事介入を招く遠因となっていきます。同じ頃、ヨーロッパでは無政府主義者エミール・アンリ(Émile Henry, 1872–1894)がパリのカフェで爆弾事件を起こし、ロンドンでは無政府主義者マルシャル・ブルダン(Martial Bourdin, 1868–1894)がグリニッジの王立天文台(Royal Observatory, Greenwich)付近で爆弾の暴発により致命傷を負いました。海上では、アメリカ合衆国海軍の軍艦キアサージ(USS Kearsarge)がロンカドール礁(Roncador Reef)で座礁しています。

この月の確認されている録音:0曲

1894年2月の録音に関する情報のまとめ

1894年2月に「その月の日付」まで確定できる商業録音・発売の動きは、今回参照した範囲では確認できませんでした。一方で1894年前後は、円筒式蓄音機と円盤式蓄音機が併走し、各社の権利・販路・録音体制が組み替わっていく過程にあります。以下では、1894年2月を含むこの時期の録音史上の論点を、確認できた事実に限って整理します。

コロンビア

コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)は、1894年にノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)の解体過程と連動して、エジソン系の販売網から距離を取り、自社の録音・製造へ軸足を移していきます。これにより、劇場の巡業者に依存した局地的録音から、より広い範囲の人材・演目を対象とする方向へ展開していったことが、同社史研究で示されています。

ノース・アメリカン

ノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)は1894年にかけて経営・契約関係が不安定化し、最終的に1894年8月に管財人管理(receivership)へ至ります。アメリカ議会図書館(Library of Congress)の解説は、この企業体が「地域会社(local companies)」を束ねて録音・複製ビジネスを広げた一方、その構造が1890年代前半に揺らいだことを録音史上の重要点として位置づけています。

ベルリナー

円盤式レコードの側では、エミール・ベルリナー(Emile Berliner, 1851–1929)によるベルリナー・グラモフォン・カンパニー(The Berliner Gramophone Company)の録音と頒布が1890年代に進みます。たとえば「最初期の市販盤が1894年10月に供給された」とする整理があり、同年中に「円盤が商品として流通しうる」段階へ入ったことは確認できますが、販売開始日の細部は資料間で言い回しや確度が異なるため、本節では1894年2月への直接の結び付けは断定しません。