1896年1月に録音された音楽

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1896年1月に録音された音楽

1896年1月は、政治・紛争・科学技術・文化が同時進行で動いた月でした。アメリカ合衆国では1896年1月4日にユタ州が州として合衆国に加わり、国内統合の節目となりました。南部アフリカでは1896年1月2日のドールンコープの戦いでジェームソン襲撃(Jameson Raid)が事実上終息し、南アフリカ共和国(South African Republic)とイギリス帝国(British Empire)の緊張が可視化されました。東アフリカでは第一次イタリア=エチオピア戦争(First Italo-Ethiopian War)の一局面として、1896年1月7日–21日にメケレ包囲戦(Siege of Mekelle)が起きました。科学ではウィルヘルム・コンラート・レントゲン(Wilhelm Conrad Röntgen, 1845–1923)のX線の報が1896年1月初旬に新聞報道で広がり、同月中に医療応用が始まったことが記録されています。文化面では1896年1月14日にロンドンでリュミエール兄弟(Lumière brothers, 生没年不明)のシネマトグラフ上映が行われ、映像の大衆娯楽化が加速しました。社会・技術史の側面では、サイエンティフィック・アメリカン(Scientific American)に関わった発明家アルフレッド・イーリー・ビーチ(Alfred Ely Beach, 1826–1896)が1896年1月1日に死去しています。加えて、1896年1月15日にはカナダのマニトバ州で総選挙が実施され、地域政治の再編が進みました。

この月の確認されている録音:0曲

1896年1月の録音に関する情報のまとめ

1896年1月は、録音そのものの「特定日付つきセッション」よりも、録音産業の再編に関わる制度・企業面の動きが確認しやすい月です。特に、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)が録音・蓄音機事業の主導権を取り戻すための組織整備が、この時期に進んだことが複数資料で述べられています。一方で、1896年1月中の個別録音(曲名・演者・場所・日付まで揃うもの)は、今回参照した公開資料からは十分に確定できず、未確認として扱います。

ナショナル・フォノグラフ・カンパニーの設立(企業再編)

トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)は、ノース・アメリカン・フォノグラフ・カンパニー(North American Phonograph Company)の破綻処理と権利回収の流れの中で、1896年1月にナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)を設立したとされます。設立日の表記は資料間で差があり、1896年1月24日とする記述と、1896年1月27日とする記述が併存するため、本件は日付未確定として扱います。

コロンビア・フォノグラフ・カンパニーの1896年までの録音カタログ資料(一次資料の入口)

コロンビア・フォノグラフ・カンパニー(Columbia Phonograph Company)の1889年–1896年録音を扱うディスコグラフィは、1896年8月の恒久的な番号体系の確立までを対象に、カタログ画像を含めて整理されています。1896年1月に限定した「この日に録音した」と言い切れる項目の抽出は、当該資料だけでは未確認ですが、1896年前半の同社録音活動を追うための一次資料への導線として有用です。