1897年に録音された音楽

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1897年に録音された音楽

1897年は、19世紀末の世界が「帝国・金融・通信」によって急速に結び直され、同時に都市の娯楽市場が肥大していく転換点の一つでした。政治面では、ギリシャ王国(Kingdom of Greece)とオスマン帝国(Ottoman Empire)の衝突としての希土戦争(Greco–Turkish War, 1897/1897年4月18日–5月20日)が起き、講和はコンスタンティノープル条約(Treaty of Constantinople, 1897/1897年12月4日)へ至ります。欧州列強の対外膨張も進み、ドイツ帝国(German Empire)は中国・山東半島の膠州湾(Jiaozhou Bay)を1897年11月14日に軍事占領し、以後の租借地化(Kiautschou Bay Leased Territory)へ道を開きました。スペイン王国(Kingdom of Spain)では首相アントニオ・カノバス・デル・カスティーリョ(Antonio Cánovas del Castillo, 1828–1897)が1897年8月8日に暗殺され、植民地問題を抱えた国家運営の緊張が国際的にも強く意識されます。思想運動では、テオドール・ヘルツル(Theodor Herzl, 1860–1904)がスイス・バーゼル(Basel)で第1回シオニスト会議(First Zionist Congress/1897年8月29日–31日)を開催し、近代政治運動としての組織化が明確化しました。

技術と生活基盤の更新は、後年の音楽メディア拡大に直結する「回路」を整えます。グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi, 1874–1937)は1897年にマルコーニ無線電信信号会社(The Wireless Telegraph & Signal Company, Limited)を設立し、長距離通信の将来像を現実の企業活動として固定しました。物理学ではジョセフ・ジョン・トムソン(J. J. Thomson, 1856–1940)が1897年4月30日の講演で陰極線に関する成果を示し、電子(electron)概念へ通じる道筋が科学史に刻まれます。都市交通では、ボストン(Boston)でトレモント・ストリート地下鉄(Tremont Street Subway)が1897年9月1日に開業し、人口集中都市での夜間移動や行動半径が拡張されました。公衆衛生の面では、ワルデマール・ハフキン(Waldemar Haffkine, 1860–1930)が1897年に腺ペスト・ワクチン(plague vaccine)を実用化へ進め、感染症流行と近代都市の共存をめぐる技術的対応が前進します。化学工業でも、フェリックス・ホフマン(Felix Hoffmann, 1868–1946)が1897年8月10日にアセチルサリチル酸(acetylsalicylic acid)を合成し、後にアスピリン(Aspirin)として普及する薬剤の起点が形成されました。さらに、米国ではクロンダイク・ゴールドラッシュ(Klondike Gold Rush)を象徴する汽船エスエス・ポートランド(SS Portland)のシアトル(Seattle)到着(1897年7月17日)が報じられ、人の移動と投機熱がメディアによって増幅される構図が可視化します。

文化の側でも、同時代人の「祝祭」「不安」「新奇さ」が混ざり合い、のちの大衆文化の語彙を育てました。大英帝国(British Empire)ではヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819–1901)の在位60周年祝賀であるダイヤモンド・ジュビリー(Queen Victoria’s Diamond Jubilee/1897年6月22日)が挙行され、帝国の自己演出が世界規模のスペクタクルとして提示されます。博覧会も同様の舞台で、ブリュッセル国際博覧会(Exposition internationale de Bruxelles, 1897/1897年5月10日–11月8日)は技術・商品・娯楽が同じ空間に並ぶ近代の典型例となりました。芸術面ではヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833–1897)が1897年4月3日に死去し、19世紀音楽の一つの「終章」が意識されます。一方で、ブラム・ストーカー(Bram Stoker, 1847–1912)の小説『ドラキュラ』(Dracula, 1897年5月刊行)は大衆向け物語の想像力を更新し、恐怖と快楽が市場で循環する形を強めました。記録メディアの広がりという点では、ウィリアム・マッキンリー(William McKinley, 1843–1901)の米大統領就任式(1897年3月4日)が映画撮影されており、出来事が「再視聴可能な商品」へ変換される感覚が定着していきます。こうした国際政治の緊張、都市の拡張、通信と科学の加速、祝祭と物語の増殖が同時進行した1897年は、録音物がより広い社会へ流通していくための環境が、複数の方向から整えられていった年として位置づけられます。

ルーベン・コレクション(Ruben-samlingen)

ルーベン・コレクション(Ruben-samlingen)は、ゴットフリート・モーゼス・ルーベン(Gottfried Moses Ruben, 1837–1897)がコペンハーゲンで1889年から1890年代半ばにかけて制作した、デンマーク最初期の蝋管録音群です。1889年から1890年代半ばまでに録音された蝋管をMOPMではまとめて「ルーベン・コレクション」として整理し、録音一覧を専用ページに掲載しています。