1898年に録音された音楽
1898年は、戦争と帝国秩序の組み替えが進む一方で、通信・電気・記録技術が「距離」と「複製」を急速に縮めた年でした。2月15日、ハバナ港でアメリカ合衆国の軍艦メイン(USS Maine)が爆発・沈没し、世論の高まりを背景に米西戦争へと傾きます。アメリカ合衆国は4月に開戦し、12月10日のパリ条約(Treaty of Peace between the United States of America and the Kingdom of Spain)で講和へ至りました。戦争はカリブ海だけでなく太平洋にも波及し、同年7月7日のニューランズ決議(Joint Resolution to Provide for Annexing the Hawaiian Islands to the United States (1898))によるハワイ併合は、航路・補給・情報の結節点をめぐる地政学の変化を象徴します。アフリカでは9月2日のオムドゥルマンの戦い(Battle of Omdurman)が起き、さらにファショダ事件(Fashoda Incident, 10 July–3 November 1898)が英仏の対立を露出させました。東アジアでは清朝の戊戌の変法(Hundred Days’ Reform, June 11–September 21 1898)が短期で挫折し、近代化と外圧のせめぎ合いが深まります。加えて8月24日にはロシア帝国のニコライ2世(Nicholas II, 1868–1918)が軍備制限と平和会議を提起する勅書(Rescript)を発し、翌1899年のハーグ会議へつながる国際世論の回路を作りました。
同時に、情報と娯楽を運ぶための技術が具体的な装置として形になっていきます。グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi, 1874–1937)の無線電信は、1898年末にサウス・フォアランド灯台(South Foreland Lighthouse)とグッドウィン沖の灯船(East Goodwin Lightship/South Goodwin Lightship)を結ぶ試験・運用が進み、海上から陸上へ「声ではなく信号」を届ける実用性が示されました。ニコラ・テスラ(Nikola Tesla, 1856–1943)は1898年、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで無線による遠隔操作ボートを公開し、命令を電波で送り機械が応答する未来像を一般の観衆の前に提示します。音の保存という点では、ヴァルデマー・ポールセン(Valdemar Poulsen, 1869–1942)が磁気記録装置テレグラフォン(Telegraphone)へ至る研究を1898年に進め、鋼線などに電気信号として音声を記録する発想が、溝を刻む方式とは別系統の「録音」を現実の技術へ押し上げました。科学の領域では、マリー・キュリー(Marie Curie, 1867–1934)とピエール・キュリー(Pierre Curie, 1859–1906)が1898年にポロニウム(Polonium)を報告し、12月26日にラジウム(Radium)を公表して放射能研究を加速させます。電気・材料・計測の進展は、のちの音響機器や通信機器の基礎体力にもなりました。
大衆文化とメディアの側面でも転機が見えます。エミール・ゾラ(Émile Zola, 1840–1902)は1898年1月13日、新聞『ロロール(L’Aurore)』に公開状「我弾劾す(J’accuse…!)」を掲載し、政治事件が新聞を介して国境を越える「情報事件」になる過程を示しました。文学ではH・G・ウェルズ(H. G. Wells, 1866–1946)の『宇宙戦争(The War of the Worlds)』が1898年に単行本として刊行され、科学技術と都市社会への不安が娯楽として消費される回路が強まります。こうした戦争報道、国際政治、科学のニュース、そして物語の流通が絡み合う1898年は、近代の大衆社会が「同じ情報・同じ娯楽を同時に共有する」方向へ進んだ年として位置づけられます。その延長線上で、音を複製し配布する産業が拡張していく条件もまた、静かに整っていきました。
