1901年に録音された音楽
1901年は、19世紀の延長にありながら、帝国秩序・産業資本・大衆文化が同時に加速し、次の世紀の世界の作法が制度と事件として具体化した年でした。イギリスではヴィクトリア女王(Victoria, 1819–1901)が1月22日に没し、エドワード7世(Edward VII, 1841–1910)が即位します。南アフリカでは第二次ボーア戦争(Second Boer War, 1899–1902)が長期化し、ボーア側のゲリラ戦と、それに対するイギリス側の強硬策(住民の収容など)が国際的な論争を招きました。中国では義和団事件(Boxer Rebellion, 1899–1901)の最終処理として、9月7日にボクサー議定書(Boxer Protocol)が北京で調印され、賠償や駐兵を含む戦後枠組みが固定化されます。太平洋側では1月1日にオーストラリア連邦(Commonwealth of Australia)が成立し、植民地統合が新しい国家制度として発足しました。アメリカ合衆国ではパン=アメリカン博覧会(Pan-American Exposition, 1901年5月1日–11月2日)が開催され、9月6日に大統領ウィリアム・マッキンリー(William McKinley, 1843–1901)が会場で銃撃され、9月14日に死去します。後任に就いたセオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt, 1858–1919)の時代へ移る中、11月18日には英米間でヘイ=ポーンスフォート条約(Hay–Pauncefote Treaty)が締結され、パナマ運河建設をめぐる国際調整の前提も整えられました。
科学技術と産業の側でも、1901年は国境を越える仕組みが目に見える形をとりました。12月10日にはノーベル賞(Nobel Prize)が初めて授与され、研究成果を国際的に顕彰する制度が本格的に作動します。医学ではカール・ラントシュタイナー(Karl Landsteiner, 1868–1943)が1901年にABO式血液型に関する研究を公表し、安全な輸血医療への道筋を決定づけました。通信ではグリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi, 1874–1937)が12月12日に大西洋横断の無線信号受信を報告し、距離が情報の壁ではなくなる方向性を示します。資源と工業では、テキサスのスピンドルトップ(Spindletop)で1月10日に巨大噴出が起き、石油が近代産業を駆動する速度を一段引き上げました。日本でも官営八幡製鐵所(Yahata Steel Works)の東田第一高炉が2月5日に操業を開始し、重工業化の基盤が具体的な生産設備として稼働します。さらにアメリカではユナイテッド・ステーツ・スチール(U.S. Steel)が1901年に発足し、企業統合と資本の巨大化が、供給網と都市生活の輪郭そのものを変えていきました。
文化・娯楽の回路もまた、1901年に複数の形で結節します。1月27日にはジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi, 1813–1901)が没し、19世紀オペラの体系が同時代の現在形から継承される古典へ移り始めました。アントニーン・ドヴォルザーク(Antonín Dvořák, 1841–1904)の歌劇『ルサルカ』(Rusalka)は3月31日にプラハで初演され、民族語・伝承・近代オーケストレーションが結び付いたレパートリーが都市の劇場文化へ定着していきます。パン=アメリカン博覧会は夜間電飾で電力と娯楽を統合し、その光景はトーマス・エジソン(Thomas Edison, 1847–1931)系の制作によって撮影・記録されました。同じ年、録音産業ではヴィクター・トーキング・マシン(Victor Talking Machine Company)が1901年10月に法人化され、ディスク式レコードと蓄音機の大衆市場が拡張する条件が整います。無線が即時性を、石油と鉄が量産の基盤を、博覧会と劇場が鑑賞体験の場を押し広げるなかで、音はより広い距離と市場を前提に流通し始め、20世紀の録音文化へとつながっていきました。録音物は演奏会場から切り離され、家庭や店舗へ運ばれる商品として存在感を増していきます。やがて放送や映画とも交錯する大衆メディアの回路が、こうして下準備されました。
