1902年12月に録音された音楽

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1902年12月に録音された音楽

1902年12月、ベネズエラ合衆国(United States of Venezuela)が対外債務の支払いをめぐって列強と対立し、グレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland)、ドイツ帝国(German Empire)、イタリア王国(Kingdom of Italy)などによる港湾封鎖が進みました。これに関連して、1902年12月29日、アルゼンチン共和国(Argentine Republic)の外務大臣ルイス・マリア・ドラゴ(Luis María Drago, 1859–1921)が、武力による公債回収に反対する見解(ドラゴ主義(Drago Doctrine))を示しました。1902年12月10日には、エジプト(Egypt)のナイル川にアスワン・ダム(Aswan Dam)が開通し、灌漑と治水の近代化が進みました。同日、ノーベル賞(Nobel Prize)の授与が行われ、ノーベル物理学賞(Nobel Prize in Physics)はヘンドリク・アントーン・ローレンツ(Hendrik Antoon Lorentz, 1853–1928)とピーテル・ゼーマン(Pieter Zeeman, 1865–1943)に、ノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)はエリー・デュコマン(Élie Ducommun, 1833–1906)とシャルル・アルベール・ゴバ(Charles Albert Gobat, 1843–1914)に分与されました。さらに同月、グレートブリテン及びアイルランド連合王国で1902年教育法(Education Act 1902)が成立し、イングランド及びウェールズ(England and Wales)の教育行政体制が再編されました。技術面では1902年12月15日–16日にかけて、グリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi, 1874–1937)の無線電信が大西洋横断のメッセージ送受へ進み、長距離通信の実用化に向けた動きが加速しました。

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1902年12月の録音に関する情報のまとめ

1902年12月は、音楽の「録音物」をめぐる商慣行と、録音再生機構そのものの改良が同時に進んだ時期として位置づけられます。ヨーロッパでは、著名歌手との契約にロイヤルティ(販売連動の支払い)を組み込む試みが進み、アメリカ合衆国(United States of America)では、円盤記録の内周側で音量が落ちやすい課題に対し、回転数を自動的に変化させて線速度を均すという機械的解決が特許として提出されました。

タマーニョのロイヤルティ契約

1902年12月、イタリアのテノール歌手フランチェスコ・タマーニョ(Francesco Tamagno, 1850–1905)が、グラモフォン・カンパニー(The Gramophone Company Limited)と録音契約を結んだことが記録されています。この契約は、販売価格を高額(1枚あたり1ポンド)に設定し、専用ラベルの使用、販売価格に対する一定割合の支払い(ロイヤルティ)、前払い金の支給など、録音物の販売を前提にした条件を明確に含んでいたとされています。

テインターのグラフォフォン特許出願

1902年12月29日、チャールズ・サムナー・テインター(Charles Sumner Tainter, 1854–1940)による「グラフォフォン(Graphophone)」改良の特許出願が提出されています(出願日:1902年12月29日/特許日:1903年6月16日)。内容は、円盤記録で針が外周から内周へ移動するにつれて線速度が低下し、再生音量が落ちやすい問題に対し、針位置に連動してモーター速度を自動的に変化させ、線速度をより一定に保つことを狙う機構です。