1903年3月に録音された音楽
1903年3月、アメリカ合衆国では1903年移民法(Immigration Act of 1903)が制定され、移民の受入れ管理が法制度として整理されました。つづいて3月14日、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt, 1858–1919)がフロリダ州ペリカン島を保護区として設け、合衆国魚類野生生物局(United States Fish and Wildlife Service)が管理する国立野生生物保護区制度の出発点と位置づけられています。3月18日には無煙炭ストライキ調査委員会(Anthracite Coal Strike Commission)の報告が公表され、労働組合加入を理由とする差別を否定する趣旨が示されました。科学技術では、ウィルバー・ライト(Wilbur Wright, 1867–1912)とオーヴィル・ライト(Orville Wright, 1871–1948)が1903年3月23日に飛行制御に関する特許出願を行い、航空の制御技術をめぐる知的財産の争点が具体化します。カリブ海域では、マルティニーク島のプレー山(Mont Pelée)で溶岩ドーム上に形成された溶岩スパインが1903年3月の写真で確認され、1902年災害後も火山活動が継続していたことが示されます。アフリカ西部では、イギリスが北部ナイジェリア保護領(Northern Nigeria Protectorate)の拡張を進め、ソコト・カリフ国(Sokoto Caliphate)の中心地ソコトが1903年3月に陥落したと整理されています。外交面では、アメリカ合衆国とスペイン王国の関係を定める条約(1902年7月3日マドリード署名)について、スペイン側の批准が1903年3月30日に行われたことが公的記録に示されています。
この月の確認されている録音:0曲
1903年3月の録音に関する情報のまとめ
1903年3月は、ナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)が取引業者向けに『エジソン・フォノグラフ・マンスリー(Edison Phonograph Monthly)』を創刊し、新譜(4月出荷予定分の事前リストを含む)や製造・流通・権利関係の実務情報を月次で告知する枠組みを明確化した月です。同号には、1903年4月向けの「新エジソン・モールド・レコード(New Edison Moulded Records)」の事前リスト、ランバート社の円筒レコードをめぐる特許侵害判断、在米中国人市場向けの中国語モールド・レコード(計46点)の製作告知などが掲載され、当時の円筒レコード事業が「商品(新譜)」「技術(製造)」「法(特許・価格統制)」の三点で運用されていたことが読み取れます。
1903年4月出荷分の「新エジソン・モールド・レコード」事前リスト(15の国内題+1の外国題)
1903年3月号には「1903年4月(April, 1903)に出荷予定」の新譜モールド・レコードの事前リストが掲載され、取引業者(Jobbers)と小売(Retail Dealers)に対して、期日までの在庫注文や注文書の書き分けなど、出荷前提の実務手順が具体的に示されています。ここでは「15の国内題(Fifteen Domestic Titles)と1の外国題(One Foreign Title)」という構成で、曲目番号・曲名・内容(例:ワルツ歌曲、コミックソング等)・演者名が並び、月次の新譜告知が販売実務と一体で運用されていたことが確認できます。
- https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Edison_Phonograph_Monthly_(Mar_1903-Feb_1904)_(IA_edisonphonograph01moor).pdf
- https://npgallery.nps.gov/AssetDetail/d7f11f6a-08a3-43ce-90db-e307681fc449
中国語モールド・レコード(計46点)の製作告知(サンフランシスコでの制作・収録、取引向けの案内)
1903年3月号には、前月(2月)の事前告知に続く形で、中国語モールド・レコード(Chinese Moulded Records)計46点を「サンフランシスコ(San Francisco)」で制作し、ナショナル・フォノグラフ・カンパニー(National Phonograph Company)のために用意したことが記されています。製作のために工場(ニュージャージー州オレンジ)の録音部門責任者を現地へ派遣し、最良の手順で制作した旨や、複数枚で1曲が完結する収録(例:4枚で完結、2枚で完結)が含まれることが示され、特定言語・特定市場向けの制作体制が具体的に説明されています。
『フォノグラム』終刊と『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』への置換(取引向け媒体の再編)
1903年3月号には、従来の小冊子『フォノグラム(The Phonogram)』を1902年12月に終刊した理由への問い合わせが相次いだこと、そして同社の販売方針(機器・レコードの販売条件、価格統制、シリアル番号改変の禁止など)をカタログ上の告知文として明確にしていることが記されています。取引業者向けの定期媒体を『フォノグラム』から『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』へ移し、実務情報(新譜、販売条件、業務連絡)を集約して流通させる体制に再編したことが、この号の編集方針から確認できます。
- https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Edison_Phonograph_Monthly_(Mar_1903-Feb_1904)_(IA_edisonphonograph01moor).pdf
- https://edisondigital.rutgers.edu/folder/CA062-F
