1905年8月に録音された音楽

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1905年8月に録音された音楽

1905年8月は、日露戦争の講和交渉が本格化し、1905年8月10日からアメリカ合衆国ポーツマスで講和会議が開かれました(全権は小村寿太郎(1855–1911)・高平小五郎(1854–1926)、ロシア側はセルゲイ・ウィッテ(Sergey Yulyevich Witte, 1849–1915)らです)。ロシア帝国では、ニコライ2世(Nicholas II, 1868–1918)が1905年8月6日(ロシア旧暦)にロシア帝国国家院(State Duma, Russian Empire)設置の宣言に署名し、1905年革命下の政治改革が具体化しました。北欧では、ノルウェー王国がスウェーデン=ノルウェー連合王国(United Kingdoms of Sweden and Norway)の解消をめぐり、1905年8月13日の国民投票で圧倒的多数の賛成を示し、同月末には両国代表がカールスタードで交渉を開始しました。公衆衛生面では、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズで黄熱(Yellow fever)の流行が進行し、検疫や衛生対策が強化されました。

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1905年8月の録音に関する情報のまとめ

1905年8月の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー(Edison Phonograph Monthly)』(1905年8月号)は、翌月に向けたエジソン・ゴールド・モールド・レコード(Edison Gold Moulded Records)の案内を中心に、夏季でも需要が弱まっていないという業況認識や、販売実務(在庫、展示、販促)に関する論点をまとめています。誌面上では、同年上半期の好況を踏まえ「夏の閑散期が実質的に消えた」と述べ、今後の販売拡大に向けた準備を促しています。

1905年9月向けエジソン・ゴールド・モールド・レコードの予告(アドバンス・リスト)

1905年8月号には「1905年9月向け」の新譜案内(Advance List for September, 1905)が掲げられ、出荷・注文の段取り(締切、サプリメント配布、ジョバーと小売の発注関係)が記載されています。

夏季商戦の継続(「閑散期が実質的に消えた」という業況認識)

1905年8月号は、同年上半期の販売状況を振り返りつつ、例年の「真夏の閑散」が大きく弱まり、前年同月より高い水準で推移している旨を述べています。

エジソン商業システム(ビジネス用途フォノグラフ)への言及

1905年8月号の目次には「Edison Commercial System」が立項され、家庭用だけでなく事務・業務用途(ディクテーション等)の系統が同時期に扱われていることが確認できます(本文の詳細は当該号全体の通読が必要ですが、少なくとも1905年8月号の掲載トピックとしては明示されています)。

レコードの保管・陳列(レコード棚)と販売実務

1905年8月号の目次には、レコードの保管・陳列に関する「Convenient, Economical and Inexpensive Record Shelving」や、店頭での見せ方に関する項目が立てられており、録音物(レコード)を「どう売るか」を実務面で扱っていることが確認できます。