1909年に録音された音楽
1909年は、帝国と議会、社会運動、そして通信・輸送の技術が同時にせめぎ合いながら、「20世紀の標準」が形を取り始めた年です。アメリカ合衆国ではウィリアム・ハワード・タフト(William Howard Taft, 1857–1930)が1909年3月4日に大統領に就任し、同年8月にはペイン=オルドリッチ関税法(Payne–Aldrich Tariff Act)が成立して、保護関税と改革の対立が政治の中心課題として露出しました。イギリスではデイヴィッド・ロイド=ジョージ(David Lloyd George, 1863–1945)が「人民予算(People’s Budget)」を1909年4月29日に提出し、課税・福祉・再軍備を束ねる国家財政の設計図が議会を揺さぶります。英領インドではインド評議会法1909(Indian Councils Act 1909)が1909年5月25日に裁可され、限定的ながら選挙原理の導入が制度化されました。
帝国の周縁では、立憲と反動の衝突がより苛烈に表れます。イランではモハンマド・アリー・シャー(Mohammad Ali Shah Qajar, 1872–1925)が1909年に退位へ追い込まれ、立憲政治の回復とアフマド・シャー(Ahmad Shah Qajar, 1898–1930)への継承が進みました。オスマン帝国でも1909年4月の反動的蜂起(31 March incident)を経てアブデュルハミト2世(Abdul Hamid II, 1842–1918)が同月に廃位され、同時期にはアダナ(Adana)などでアルメニア人が多数殺害される惨事が起きています。東アジアでは、対朝鮮政策の中枢にいた伊藤博文(Itō Hirobumi, 1841–1909)が1909年10月26日にハルビン(Harbin)でアン・ジュングン(An Jung-geun, 1879–1910)により暗殺され、帝国秩序の緊張が個人の死としても刻印されました。
社会運動の側では、制度外の抗議が制度へ食い込む回路が強まります。アメリカ合衆国で全米黒人地位向上協会(National Association for the Advancement of Colored People, NAACP)が1909年2月12日に創設され、リンチや差別への全国的な対抗枠組みが組織として立ち上がりました。軍事と外交では、アメリカ海軍の「グレート・ホワイト・フリート(Great White Fleet)」が1907年12月16日–1909年2月22日の世界巡航を完遂し、艦隊行動そのものが国威発揚と抑止のメディアになっていたことを示します。
科学・技術と探検は、ニュースとして消費されながら世界像を塗り替えました。ロバート・ピアリー(Robert Peary, 1856–1920)は1909年4月6日に北極点到達を主張し、その真偽を含めた「検証される偉業」が大衆社会の関心事になります。航空ではルイ・ブレリオ(Louis Blériot, 1872–1936)が1909年7月25日に英仏海峡を単独飛行で横断し、海峡が「越えられる距離」として再定義されました。無線通信の分野ではグリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi, 1874–1937)とカール・フェルディナント・ブラウン(Karl Ferdinand Braun, 1850–1918)が1909年のノーベル物理学賞を受賞し、電波が国境を越える通信インフラとして正統化されます。基礎科学でも、ガイガー=マースデン実験(1909年)など粒子散乱の観測が原子像の刷新へつながり、ロバート・A・ミリカン(Robert A. Millikan, 1868–1953)は1909年に油滴実験へ着手して電荷の精密測定を推し進めました。自然史の側面ではチャールズ・ドゥーリトル・ウォルコット(Charles Doolittle Walcott, 1850–1927)が1909年8月31日にバージェス頁岩(Burgess Shale)の軟体動物群化石を発見し、生命史の想像力を更新します。都市史ではテルアビブ(Tel Aviv)が1909年4月11日に創設され、新しい都市が理念と計画のもとに誕生する時代の気分を体現しました。
文化・娯楽の領域では、速度と機械を賛美する言語が芸術理論として立ち上がります。フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(Filippo Tommaso Marinetti, 1876–1944)の「未来派宣言(Manifesto of Futurism)」は1909年2月20日にル・フィガロ紙で公表され、都市の騒音や加速感が美学へ翻訳されました。セルマ・ラーゲルレーヴ(Selma Lagerlöf, 1858–1940)が1909年のノーベル文学賞を受賞したことは、文学が国際的な賞と市場の回路で読まれる制度の強化も示します。スポーツでは第1回ジロ・デ・イタリア(Giro d’Italia)が1909年5月13日–30日に開催され、長距離競技が新聞・連載・スポンサーと結びつく近代娯楽の装置として機能し始めました。音の領域でも、円筒式(Cylinder phonograph)が改良を重ね、ディスク盤では両面盤(double-sided disc)の導入が進むなど、「聴くこと」が家庭・流通・広告の仕組みによって常態化していく段階へ入ります。こうした技術・制度・大衆文化の結節点として、1909年は“近代の標準化”が各分野で同時に進んだ年として位置づけられます。
