1912年1月に録音された音楽

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1912年1月に録音された音楽

1912年1月は、政治・科学・社会の各分野で転換点が重なった月でした。1月1日にはスン・ヤットセン(Sun Yat-sen, 1866–1925)が南京で中華民国(Republic of China)の臨時大総統に就任し、清朝後の新国家が正式に始動しました。1月6日にはアメリカ合衆国でニューメキシコ州(State of New Mexico)が47番目の州となり、同日にはアルフレート・ヴェーゲナー(Alfred Wegener, 1880–1930)がフランクフルトで大陸移動説を初めて公に提示しました。1月12日にはアメリカ合衆国マサチューセッツ州ローレンスでローレンス繊維ストライキ(Lawrence Textile Strike)が始まり、移民労働者の賃金と労働条件が大きな社会問題として表面化しました。1月17日にはロバート・ファルコン・スコット(Robert Falcon Scott, 1868–1912)隊が南極点に到達したものの、ロアール・アムンセン(Roald Amundsen, 1872–1928)隊の先着を確認しました。さらに1月23日にはハーグで国際阿片条約(International Opium Convention)が調印され、麻薬統制をめぐる国際協調が制度として形を取り始めました。

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1912年1月の録音に関する情報のまとめ

1912年1月に確認できる録音関連の確定資料では、トーマス・アルヴァ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)系の業界月報が、3月発売分の新譜告知、コンサート級アンベロール盤の正式部門化、ホランド=ダッチ録音の追加、年間の出荷・発売日程の周知、さらに教育・事務分野での蓄音機利用の広がりを伝えています。今回確認できた信頼性のある一次・準一次資料は、主として『Edison Phonograph Monthly』1912年1月号と、補助的にエジソン円筒盤ディスコグラフィです。

アンベロール・コンサート盤の正式部門化

1912年1月号は、1911年12月に告知された3枚の特別エジソン・アンベロール盤の反応を受けて、エジソン・アンベロール・コンサート・レコード(Edison Amberol Concert Records)を独立した部門として設けたと説明しています。3月発売分では、マリー・ラッポルド(Marie Rappold, 生没年未確認)、アルバート・スポールディング(Albert Spalding, 1888–1953)、リッカルド・マルティン(Riccardo Martin, 生没年未確認)の録音が掲げられ、注文締切は1912年1月10日、一般発売は1912年2月24日とされました。これは、1912年1月の時点でエジソンが四分円筒盤の上位クラシック市場を明確に強化していたことを示します。

ホランド=ダッチ録音の追加

同号は、ホランド=ダッチ語圏向けアンベロール録音の追加を告知し、J・H・スペーンホフ(J. H. Speenhoff, 生没年未確認)とナップ・デ・ラ・マール(Nap de la Mar, 生没年未確認)を中心とする9600番台–9619番の新録音を掲載しています。本文には、これらを通常の月次補遺には入れず、ディーラー到着後すぐに販売できる特別扱いとする方針が明記されており、1912年1月の時点で外国語市場向け録音の拡張が流通面でも優先されていたことが確認できます。

1912年通年の出荷・発売日程の告知

1912年1月号は、1912年のアドヴァンス盤について月別の出荷日と発売日を一覧化して掲載しました。3月発売分は、ジョバーからディーラーへの再出荷を1912年2月23日午前8時、一般発売を1912年2月24日午前8時と定め、これより前の出荷や販売は契約違反として扱うと警告しています。録音物の販売開始時点を厳密に統制していたことは、当時の円筒盤流通がかなり細かい時間管理のもとで運営されていたことを示します。

蓄音機の教育・事務用途の広がり

1912年1月号では、娯楽以外の用途も具体的に紹介されています。マディソン・スクエア・ガーデンで行われたエジソン速記転写競技会では、エジソン・ビジネス・フォノグラフ(Edison Business Phonograph)を用いた転写成績が掲載され、事務機器としての実用性が強調されました。また、ペンシルベニア州の学校で外国語話者の生徒に体操を教えるため蓄音機と外国語レコードを導入した事例、さらにオーストラリアから送られた歌唱レコードをロンドンの教師が審査し、その後の奨学金獲得につながった事例も紹介されています。1912年1月の時点で、蓄音機は娯楽機械にとどまらず、事務教育・多言語教育・遠隔審査にまで用途を広げていました。