1913年に録音された音楽

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1913年に録音された音楽

1913年は、国家の制度が「税・金融・参政」といった骨格を組み替える一方で、労働と権利の衝突が都市で噴き上がり、芸術と科学がそれを受け止めるかのように“近代の感覚”を更新した年です。バルカン半島では、第一次バルカン戦争の講和としてロンドン条約(Treaty of London (1913))が1913年5月30日に調印され、続く第二次バルカン戦争の帰結としてブカレスト条約(Treaty of Bucharest (1913))が1913年8月10日に調印されました。短期間で国境線が動き、同盟と対立の連鎖が、やがて欧州全体の不安定さへ接続していく構図が強まります。

アメリカ合衆国では制度面の転換が重なります。アメリカ合衆国憲法修正第16条(Sixteenth Amendment to the United States Constitution)が1913年2月3日に批准され、連邦所得税の恒常化へ道が開かれました。続いてアメリカ合衆国憲法修正第17条(Seventeenth Amendment to the United States Constitution)が1913年4月8日に批准され、上院議員の直接選挙が制度化されます。さらに連邦準備法(Federal Reserve Act)が1913年12月23日にウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson, 1856–1924)の署名で成立し、中央銀行制度である連邦準備制度(Federal Reserve System)が創設されました。大量生産と都市化が進む社会で、税と信用の仕組みを「国家のインフラ」として整える動きが前景化します。

同時に、政治の正統性が暴力で奪い返される局面もありました。メキシコでは十悲劇(Decena Trágica, 1913年2月9日–19日)を経てフランシスコ・I・マデロ(Francisco I. Madero, 1873–1913)とホセ・マリア・ピノ・スアレス(José María Pino Suárez, 1869–1913)が1913年2月22日に殺害され、ビクトリアーノ・ウエルタ(Victoriano Huerta, 1850–1916)の体制が立ち上がります。南アフリカ連邦(Union of South Africa)では原住民土地法(Natives Land Act, 1913; Act No. 27 of 1913)が1913年6月19日に施行され、黒人の土地取得・居住を制度的に制限する枠組みが固まりました。制度が「誰のための国家か」を選別しはじめる局面が、世界の複数地点で同時進行します。

都市の労働現場では、交渉の不成立が社会全体を揺らします。アイルランドではダブリン・ロックアウト(Dublin Lock-out)が1913年8月26日–1914年1月18日に発生し、ジェームズ・ラーキン(James Larkin, 1874–1947)やジェームズ・コノリー(James Connolly, 1868–1916)に率いられた労働側と、ウィリアム・マーティン・マーフィー(William Martin Murphy, 1844–1919)ら雇用側が激しく対立しました。英国でも女性参政権運動の緊張が高まり、エミリー・ワイルディング・デイヴィソン(Emily Wilding Davison, 1872–1913)の死(1913年6月)が象徴的な出来事として受け止められます。

こうした摩擦の只中で、芸術は旧来の美意識を意図的に揺さぶります。ニューヨークでは国際近代美術展(International Exhibition of Modern Art, 通称 Armory Show)が1913年2月17日–3月15日に第69連隊武器庫(69th Regiment Armory)で開催され、ヨーロッパ近代美術の衝撃が大衆の前に一気に現れました。パリでは「春の祭典」(Le Sacre du printemps / The Rite of Spring)が1913年5月29日にシャンゼリゼ劇場(Théâtre des Champs-Élysées)で初演され、イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky, 1882–1971)の音楽と前衛的上演が大きな議論を呼びます。

科学と技術も日常の感覚を書き換えます。ニールス・ボーア(Niels Bohr, 1885–1962)は1913年に「原子と分子の構成」(On the Constitution of Atoms and Molecules)を発表し、原子モデルによって物質理解を飛躍させました。ヘンリー・G・J・モーズリー(Henry G. J. Moseley, 1887–1915)は1913年–1914年の研究で原子番号の物理的意味を明確にし、元素の秩序を測定可能な量として再定義します。素材面ではハリー・ブレアリー(Harry Brearley, 1871–1948)が1913年に耐食鋼(stainless steel)につながる発見を行い、近代生活の器具と機械の前提を更新しました。文化の細部でも、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452–1519)の「モナ・リザ(Mona Lisa)」が1913年12月にフィレンツェで回収され、アーサー・ウィン(Arthur Wynne, 1871–1945)がニューヨーク・ワールド紙(New York World)でクロスワード(Word-Cross)を1913年12月21日に掲載するなど、都市の余暇とメディアは新しい型を獲得していきます。制度・労働・芸術・科学が同時に動いた1913年は、音やイメージが大量に複製され流通する時代の土台が、社会的な摩擦を抱えたまま固まっていく転換点として位置づけられます。