1915年4月に録音された音楽

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1915年4月に録音された音楽

1915年4月の世界は、第一次世界大戦(World War I)の激化と、そのただ中で進む外交・社会運動が交錯した月でした。西部戦線では4月22日に第二次イーペル会戦(Second Battle of Ypres)が始まり、ドイツ帝国(German Empire)軍による大規模な塩素ガス攻撃が戦争の性格を大きく変えました。4月24日にはコンスタンティノープルでオスマン帝国(Ottoman Empire)当局がアルメニア人指導者を一斉拘束し、後にアルメニア人虐殺の始点として記憶される局面に入ります。4月25日にはガリポリ戦役(Gallipoli Campaign)の上陸作戦が始まり、地中海東部の戦局が新段階へ移りました。4月26日にはロンドン条約(Treaty of London)が結ばれ、イタリア王国(Kingdom of Italy)の参戦を促す外交枠組みが整えられます。一方、4月28日–5月1日にはハーグで国際婦人会議(International Congress of Women)が開かれ、戦時下でも平和と国際協調を求める女性たちの国際的連帯が可視化されました。

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1915年4月の録音に関する情報のまとめ

1915年4月の録音業界は、単なる新譜発売よりも、販売区域の再編、供給改善、実演強化、万国博覧会での展示、広告攻勢といった企業活動が目立つ月でした。トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)ではエジソン・ダイヤモンド・ディスク(Edison Diamond Disc)の流通制度を改める区域制が実施され、コロムビア・グラフォフォン(Columbia Graphophone Company)は増産と広告強化を打ち出しました。ヴィクター・トーキング・マシン(Victor Talking Machine Company)は受注・出荷体制の整備と実演展開を進め、パテ・フレールフォノグラフ(Pathé Frères Phonograph Co.)は新型機投入と代理店募集を進めています。さらに、ソノラ・フォノグラフ(Sonora Phonograph Co.)やエオリアン社(The Aeolian Co.)も、博覧会展示や店頭音楽会を通じて販路拡張を図っており、1915年4月は各社が需要増に対応しながら販売の見せ方そのものを競った月といえます。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、エジソン・ダイヤモンド・ディスク(Edison Diamond Disc)の流通体制を見直す「ゾーン・プラン」が1915年4月1日から実施されました。これは各ジョバーの担当地域を明確にし、販売店へのサービス責任を強める制度で、当月の企業活動として確認できる重要な再編です。加えて、1915年4月5日にはミネソタ・フォノグラフ会社(Minnesota Phonograph Co.)がミネアポリスの新しいエジソン店舗で連日のダンス実演を開始し、店頭での体験販売を強めていました。さらに、シルヴァーストーン・ミュージック会社(Silverstone Music Co.)では、4月5日からエジソン・ダイヤモンド・ディスクにハンマーを当て続ける耐久実演が始まり、同社がこの実演を長期継続したことは後続号でも報じられています。4月のエジソンは、新制度による流通再編と販売実演の強化が並行して進んだ月でした。

コロムビア

コロムビア・グラフォフォン会社(Columbia Graphophone Company)は、1915年4月号の業界紙で、コロムビア・グラフォノーラ(Columbia Grafonola)とコロムビア・ダブル・ディスク(Columbia Double-Disc)の成長に対応するため、工場出力を再び増強したと告知していました。さらにサンフランシスコでは、同社が新聞広告を大きく使った広報キャンペーンを継続し、販売店と協力して需要喚起を進めていたことが確認できます。パナマ太平洋万国博覧会(Panama-Pacific International Exposition)でも、コロムビアの展示は開幕日に完成していた数少ない出展の一つで、会場では大きな来場者数を集めていました。1915年4月のコロムビアは、増産、広告、博覧会展示を組み合わせた攻勢が明瞭な月でした。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン会社(Victor Talking Machine Company)は、1915年4月の段階で受注処理と出荷体制の改善を進めていました。シカゴ欄では、同社の担当者が新しいレコード発注方式を説明するため各地を回っていたこと、さらに新しい発送施設の運用を見据えて出荷設備の調査を進めていたことが報じられています。また、パナマ太平洋万国博覧会では「ヴィクター・テンプル・オブ・ミュージック」が高い集客を維持し、サンフランシスコ現地報道では一日の来場者が一五〇〇人を下回らず、多い日にはその倍以上に達したとされました。1915年4月のヴィクターは、供給網の整備と大規模実演の両面で存在感を示していました。

パテ

パテ・フレール蓄音機会社(Pathé Frères Phonograph Co.)は、1915年4月号で新しい二〇〇ドル機のパテフォン(Pathephone)を市場投入すると発表しました。この新型機は各種サイズのパテ盤に加えて他社盤も再生できることを売りにしており、販売現場ではその点が成約に有効だと説明されています。同時に同社は、人口二万五千人以上の各都市に単独代理店を置く構想を広告で示し、「新モデルの準備完了」を前面に出して販路拡張を進めていました。4月のパテは、新型機投入と代理店網拡張を一体で進めた月でした。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ会社(Sonora Phonograph Co.)は、1915年4月のサンフランシスコ報道で、パナマ太平洋万国博覧会(Panama-Pacific International Exposition)の展示が大きく扱われています。展示はメイン展示、休憩室、演奏室から成る凝った構成で、「鐘」を用いた商標意匠を強く打ち出し、来場者への印象形成を重視していました。加えて同号では、同社が雑誌広告を用いて特殊針の販促を進め、その広告が販売店支援として機能していることも報じられています。1915年4月のソノラは、博覧会展示と広告販促の両方で販路拡大を図っていたことが確認できます。

エオリアン=ヴォカリオン

エオリアン社(The Aeolian Co.)のヴォカリオン(Vocalion)についても、1915年4月号の業界紙に当月の販促活動が確認できます。セントルイス欄では、エオリアン=ヴォカリオン(Aeolian-Vocalion)が特別広告キャンペーンを展開しているとされ、旧来の販売店任せではない機械広告が目立ち始めたことが報じられています。またインディアナポリス欄では、同社が昼休みの来店客を対象に、エオリアン・ホール(Aeolian Hall)のヴォカリオン・サロン(Vocalion salons)で正午の短時間音楽会を催していたことが確認できます。4月のエオリアン=ヴォカリオンは、広告と店頭音楽会を組み合わせて新規客の接点を作っていました。