1915年2月に録音された音楽
1915年2月は、戦争の広域化と大衆文化の可視化が並行して進んだ月でした。東部戦線では、2月8日–22日に第二次マズーリ湖攻勢(Second Battle of the Masurian Lakes)が行われ、ロシア帝国軍が大きな損害を受けました。2月15日には英領シンガポールでシンガポール反乱(Singapore Mutiny)が発生し、植民地統治と戦時動員の緊張が露呈しました。2月19日にはイギリス帝国とフランス共和国の艦隊がダーダネルス海峡(Dardanelles)への攻撃を開始し、のちのガリポリ戦役につながる局面が始まりました。2月20日にはサンフランシスコでパナマ=パシフィック万国博覧会(Panama-Pacific International Exposition)が開幕し、パナマ運河完成と1906年震災後の都市再建が国際的に示されました。文化面では2月8日、デイヴィッド・ウォーク・グリフィス(D. W. Griffith, 1875–1948)監督の映画『國民の創生』(The Birth of a Nation)がロサンゼルスで公開され、映画史上の技術的転機となる一方で、人種差別的表象をめぐる強い批判も生みました。
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1915年2月の録音に関する情報のまとめ
1915年2月の録音業界は、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の火災後復旧、舞踏用レコード需要への対応、そして販売網拡張と新機種導入が同時に進んだ月でした。確認できる当月資料では、ディスク盤とシリンダーの供給再開、3月売り向け新譜の予告、店頭実演や広告展開、代理店網の再編が各社で進んでいます。とくにダンス需要の継続は、ヴィクター・トーキング・マシン・カンパニー(Victor Talking Machine Company)とコロンビア・グラフォフォン・カンパニー(Columbia Graphophone Company)の新譜案内や販売現場の演出に色濃く表れていました。以下では、1915年2月の一次資料または同時代業界資料で当月の活動を直接確認できた企業のみを整理します。
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、1914年12月の大火災後も復旧と出荷再開が急速に進められていました。『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』(Edison Phonograph Monthly)1915年1月号では、マスター原盤と金型の大半が保存され、ブルー・アンベロール・レコード(Blue Amberol Records)は1月2日から製造を始め、1月中旬から出荷、30ドルのアンベロラは2月1日ごろから出荷予定と説明されています。さらに『ザ・トーキング・マシーン・ワールド』(The Talking Machine World)1915年2月15日号では、デトロイトのエジソン・ショップでレコード不足が2月1日まで続いたものの、その後に新製品が到着し、学校・教会・クラブでの実演も行われていたことが報じられています。また同号には、エジソン・ディスク・ジョバーズ・アソシエーション(Edison Disc Jobbers’ Association)の第1回年次会合が2月8日にニューヨークのニッカーボッカー・ホテル(Knickerbocker Hotel)で開かれたことも記されており、1915年2月のエジソンは、生産回復と販路再編を並行して進めていたことが確認できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1915-Vol-13.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1915-02.pdf
ヴィクター
ヴィクター・トーキング・マシン・カンパニー(Victor Talking Machine Company)は、1915年2月15日号の『ザ・トーキング・マシーン・ワールド』(The Talking Machine World)で3月向け新譜を告知しており、舞踏用レコードを引き続き主力に据えていたことがわかります。掲載された「MARCH DANCE RECORDS」には、ヴィクター・ミリタリー・バンド(Victor Military Band, 生没年不明)による「Chin-Chin Medley」「Watch Your Step-Medley」「Chinatown, My Chinatown-Medley」などが含まれていました。また同号のオハイオ州ライマ通信では、販売店ハーマンズが2月6日に店内でダンス実演を行い、ヴィクトローラを舞踏用音楽の媒体として示す催しを開いています。1915年2月のヴィクターは、新譜の選定と店頭実演の双方で、流行舞踏との結びつきを強めていました。
コロンビア
コロンビア・グラフォフォン・カンパニー(Columbia Graphophone Company)は、1915年2月に販売網の拡張とレコード販促の両面で活動していました。『ザ・トーキング・マシーン・ワールド』(The Talking Machine World)1915年2月15日号では、トレドのケーブル・ピアノ・カンパニー(Cable Piano Company)がコロンビア製品のフルライン取扱いを始めたことが報じられています。またセントルイスでは、コロンビアの売場がダンス・レコード中心の広告を行い、回転展示を用いたショーウィンドウで販促していたことも同号で確認できます。さらに同号の3月向け新譜欄には、マルガレーテ・マッツェナウアー(Margarete Matzenauer, 1881–1963)、エドワード・ジョンソン(Edward Johnson, 1878–1959)、エレオノーラ・デ・シスネロス(Eleonora de Cisneros, 1878–1934)の声楽盤と並んで、プリンスズ・バンド(Prince’s Band, 生没年不明)によるフォックストロット盤とワンステップ盤が掲げられていました。1915年2月のコロンビアは、高級声楽録音と舞踏用レコードを並行して押し出していたといえます。
パテ
パテ・フレール・フォノグラフ・カンパニー(Pathé Frères Phonograph Company)は、1915年2月の時点で販売網拡張を進めていました。『ザ・トーキング・マシーン・ワールド』(The Talking Machine World)1915年2月15日号では、ストーリー・アンド・クラーク・ピアノ・カンパニー(Story & Clark Piano Company)がシカゴ、デトロイト、クリーブランド、ピッツバーグ、セントルイスの各店でパテフォンとパテ盤を扱うこと、さらにシューラー・ブラザーズ(Schuler Bros., 生没年不明)、C・W・スノー・アンド・カンパニー(C. W. Snow & Company)、フィッシャー・ピアノ・カンパニー(Fisher Piano Company)でも取扱いが始まることが報じられました。これは、1915年2月の一次資料上で直接確認できる、パテの流通拡張の動きです。
エオリアン
エオリアン・カンパニー・オブ・アメリカ(Aeolian Company of America)は、1915年2月にエオリアン・ヴォカリオン(Aeolian Vocalion)の導入を各地で進めていました。『ザ・トーキング・マシーン・ワールド』(The Talking Machine World)1915年2月15日号のセントルイス通信では、月初にエオリアン・ヴォカリオン機の導入と広告キャンペーンが始まったことが報じられています。さらにシンシナティ通信でも、初回出荷品が到着し、数日内に地域市場へ投入される予定であることが記されています。1915年2月の段階で確認できるのは、録音制作そのものではなく新機種の市場投入と販促活動ですが、当月の企業活動としては明確に確認できます。
