1915年7月に録音された音楽

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1915年7月に録音された音楽

1915年7月は、戦争と外交、災害、占領、前衛文化が同時に動いた月でした。イタリア戦線では7月18日に第二次イゾンツォの戦い(Second Battle of the Isonzo)が始まり、イタリア王国とオーストリア=ハンガリー帝国の消耗戦がいっそう激しくなりました。アメリカ合衆国は7月21日、客船ルシタニア号(RMS Lusitania)事件をめぐってドイツ帝国に覚書を送り、中立国の権利と航行の安全を強く主張しました。7月24日にはシカゴ川で客船イーストランド号(SS Eastland)が転覆し、844人が死亡する大惨事となりました。7月28日にはハイチ共和国にアメリカ海兵隊(United States Marine Corps)が上陸し、その後の占領の出発点となりました。文化面ではロンドンで前衛雑誌『ブラスト』(BLAST)第2号が7月に刊行され、戦時下の芸術の緊張を濃く映しました。

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1915年7月の録音に関する情報のまとめ

1915年7月の録音業界では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)がシリンダー新譜の供給と流通整備を進め、ビクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)は全国広告と本社設備拡張を並行して進めていました。コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)は夏季販促を強め、パテ・フレール社(Pathé Frères Phonograph Co.)は全国広告計画と地方販売網拡張を進めていました。さらに、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corp.)は販路拡大を続け、エオリアン社(Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)も新規販売店の獲得を進めていました。1915年7月は、新譜供給、広告、流通網拡張、試聴設備や販促資料の整備が各社で同時に進んだ月でした。

エジソン

1915年7月号の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』(Edison Phonograph Monthly)では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)が7月分のブルー・アンベロール(Blue Amberol)新譜を告知しており、コンサート・リスト2点とレギュラー・リスト20点が掲載されています。内容は愛国歌、流行歌、ダンス向け音楽、行進曲、語り物まで広く、家庭娯楽と時局性の双方を意識した構成でした。同月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)では、西部配給を担うパシフィック・フォノグラフ社(Pacific Phonograph Co.)がポートランドに支所的な配給拠点を設けたことが報じられており、7月時点で新譜供給と流通整備が並行して進んでいたことが確認できます。

ビクター

1915年7月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)では、ビクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)のカムデン本社新事務所建設が大きく進んでいることが報じられています。さらに同号では、同社が7月10日号の『サタデー・イブニング・ポスト』(The Saturday Evening Post)に二頁広告を出し、家庭で大規模な音楽を享受できる装置としてビクターを全国誌で強く訴求していたことも確認できます。1915年7月の同社は、新譜供給そのものだけでなく、本社設備の拡張と全国広告を組み合わせて需要を広げていました。

コロムビア

1915年7月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)では、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)が夏季販売向けの販促資料を配布し、店頭使用を前提とした印刷物やランタン・スライドを用意していたことが確認できます。加えて、同社は『サタデー・イブニング・ポスト』(The Saturday Evening Post)などの主要雑誌でコロムビア盤(Columbia Records)の広告を展開し、各地の販売店では本社主導の広告が需要喚起に役立ったと報じられています。1915年7月の同社は、全国広告と地方販促を結びつけた販売活動を進めていました。

パテ

1915年7月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)では、パテ・フレール社(Pathé Frères Phonograph Co.)が月末開始予定の包括的な全国広告計画を完了し、パテフォン(Pathephone)とパテ盤(Pathé discs)の双方を同時に訴求する方針だったことが報じられています。また、ミシガン州では1915年7月6日付でパテフォン社デトロイト(Pathephone Co. of Detroit)が組織され、パテフォンとパテ盤の販売会社として始動していました。さらに、ジェイコブ・ドール商会(Jacob Doll & Sons)やフィッシャー社(Fischer Co.)のような販売店がパテ部門を拡充していたことも確認でき、同社は7月に全国広告と地方販売網拡張を同時に進めていました。

ソノラ

1915年7月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)では、ニューヨークのソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corp.)が新しい総合カタログを発行したことが報じられています。このカタログは、機械本体と付属品を含む製品群を体系的に示す販促資料として紹介されています。あわせて同号では、太平洋岸での販売網拡大も確認でき、シアトル、ロサンゼルス郡、クラマスフォールズ、サンフランシスコで代理店・特約店の整備が進んでいました。1915年7月のソノラ系統では、印刷販促物の整備と西海岸販路拡大が並行して進んでいました。

ヴォカリオン

1915年7月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)では、エオリアン社(Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)が販売網を広げていたことが確認できます。クリーブランドではB・ドレアー商会(B. Dreher’s Sons Co.)がヴォカリオンの取り扱いを始め、同市の競争状況が変わったと報じられています。また、エオリアン・ホール(Aeolian Hall)によるヴォカリオン広告が成果を上げていることも同号に記されており、1915年7月のヴォカリオンは新規販売店獲得と高級志向の広告展開の両面で動いていました。

スター

1915年7月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)では、スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)が蓄音機製造を可能にするため定款変更を申請したことが報じられています。記事では秋ごろの市場投入が見込まれていた一方、公式発表はまだ出ていないとも記されており、1915年7月の段階では参入準備が進んでいたことが確認できます。