1915年5月に録音された音楽
1915年5月は、戦時下の外交と社会運動、自然災害が同時に世界を動かした月でした。5月1日までオランダのハーグでは国際女性会議(International Congress of Women)が開かれ、各国から集まった参加者が戦争終結と恒久平和を訴えました。5月7日にはルシタニア号(RMS Lusitania)がドイツ帝国海軍の潜水艦攻撃で沈没し、アメリカ合衆国の対独感情を大きく揺さぶりました。5月22日にはアメリカ合衆国カリフォルニア州のラッセン峰(Lassen Peak)が大規模噴火を起こし、広範囲に火山灰と火砕流被害をもたらしました。5月23日にはイタリア王国(Kingdom of Italy)がオーストリア=ハンガリー帝国(Austria-Hungary)に宣戦し、欧州戦線はさらに拡大しました。5月25日には袁世凱(Yuan Shikai, 1859–1916)政権下の中国が日本の二十一か条要求(Twenty-One Demands)に関わる協定に応じ、東アジア外交の緊張が深まりました。さらに5月27日にはオスマン帝国(Ottoman Empire)で、いわゆるテフチル法(Tehcir Law)が成立し、アルメニア人強制移送政策の制度化が進みました。
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1915年5月の録音に関する情報のまとめ
1915年5月の一次資料と同時代業界誌で当月の活動を確認できる範囲では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)がディスク販売網の再編とブルー・アンベロール新譜の両立を進め、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)が教育市場と博覧会実演を拡張し、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)が工場増築を決め、パテ・フレール蓄音機会社(Pathé Frères Phonograph Co.)が新型機で販路を広げ、エマーソン蓄音機会社(Emerson Phonograph Co.)が低価格盤市場への新規参入を打ち出していました。さらに、エオリアン社(Aeolian Co.)、チェイニー・トーキング・マシン社(Cheney Talking Machine Co.)、ソノラ蓄音機会社(Sonora Phonograph Co.)も、1915年5月の資料上で機種拡充や実演販売の動きを確認できます。当月の資料上で活動を確認できない企業は、ここでは無理に立てていません。
エジソン
1915年5月号の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』(Edison Phonograph Monthly)では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)がエジソン・ダイヤモンド・ディスクの流通を整えるため、ディスク・ジョバーごとに担当区域を定めるゾーン制を告知していました。この制度は1915年4月1日発効とされ、販売店支援と責任分担の明確化が目的でした。同じ号では、1915年5月発売のブルー・アンベロール新譜も掲載されており、ディスク販売網の再編とシリンダー新譜供給が並行して進んでいたことがわかります。さらに誌面には、家庭実演の後に追客するための販売文例も載せられ、実演販売と再訪問を組み合わせる営業法が重視されていました。
- https://archive.org/download/edisonphonograph13moor/edisonphonograph13moor.pdf
- https://archive.org/stream/edisonphonograph13moor/edisonphonograph13moor_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-All-Audio/Edison-Phonograph/Edison-Phonograph-Monthly-1915-Vol-13.pdf
コロムビア
コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)については、1915年5月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)で、75ドルの「Leader」機と100ドルの「Mignonette」機の販売が好調と報じられていました。あわせて、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)の教育部門は、アメリカ合衆国政府、ニューヨーク州、ニューヨーク市、その他の自治体向けに学校設備としての蓄音機導入契約を獲得していたとされ、家庭用だけでなく教育用途でも市場を広げていたことが確認できます。さらに、パナマ=パシフィック国際博覧会(Panama-Pacific International Exposition)のブースでは、ダンス実演や製造工程紹介、慈善目的の記念レコード販売などを行っており、展示販売と広報を結び付けた運営が進められていました。
ヴィクター
ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)は、1915年5月10日付の業界報道で、ニュージャージー州カムデン工場に25万ドル規模の鉄筋コンクリート造6階建て新棟を増設し、主としてキャビネット作業に充てる計画を公表していました。これは需要増に対応するための設備投資として扱われており、1915年5月時点で製造能力拡張が現実に進んでいたことを示します。同じ月の資料では、パナマ=パシフィック国際博覧会(Panama-Pacific International Exposition)でも演奏会形式の実演やダンス曲訴求が見られ、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)が高級機の製造基盤強化と来場者向け販売促進を同時に進めていたことが確認できます。
パテ
パテ・フレール蓄音機会社(Pathé Frères Phonograph Co.)は、1915年5月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)で、100ドルの新型「No.100」パテフォンを発表していました。記事では、これは過去2か月で2番目の新型機であり、1915年4月発表の200ドル機に続く投入であると説明されています。また、販売増加は予想以上で、各地から販売店契約や地域独占権に関する照会が相次いでいると報じられていました。1915年5月のパテ・フレール蓄音機会社(Pathé Frères Phonograph Co.)は、新機種投入を通じて価格帯の幅を広げながら、全米で販路を急速に拡張していたといえます。
エマーソン
エマーソン蓄音機会社(Emerson Phonograph Co.)は、1915年5月の『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)で新設会社として紹介されました。記事によれば、ヴィクター・H・エマーソン(Victor H. Emerson, 生没年不明)はコロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)を離れ、新会社の社長として、パテ・フレール蓄音機会社(Pathé Frères Phonograph Co.)のレパートリーに基づく6インチ盤を10セントで販売する計画を打ち出していました。また、自社工場を持たずに外部委託で製造を進める方針や、低価格蓄音機の構想も報じられています。もっとも、1915年5月時点で確認できるのは会社設立と事業計画の公表であり、大量販売の実績までは当月資料からは確認できません。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/10s/Talking-Machine-1915-05.pdf
- https://archive.org/download/edisonphonograph13moor/edisonphonograph13moor.pdf
エオリアン・ヴォカリオン
エオリアン社(Aeolian Co.)は、1915年5月の業界誌でエオリアン・ヴォカリオン(Aeolian Vocalion)の新カタログを発行し、音量調整機構のグラデュオラや音色上の特徴、6種類の機種構成を詳しく紹介していました。1915年5月時点の活動として確認できるのは、新機種追加よりも、既存ラインの性格を整理した販促資料の整備と説明強化です。エオリアン社(Aeolian Co.)は、単なる価格訴求ではなく、再生原理や音質差を前面に出す高級蓄音機販売を続けていたことがわかります。
チェイニー
チェイニー・トーキング・マシン社(Cheney Talking Machine Co.)は、1915年5月のパナマ=パシフィック国際博覧会(Panama-Pacific International Exposition)会場で、音楽行事の一角を占めるほど活発に実演販売を行っていました。業界誌では、来場した販売業者と一般顧客の双方から関心を集め、現地で相当数の小売販売を成立させていたと報じられています。また、既存の高級機に加えて、さらに大型の新型機と6種類の新スタイルが近く加わる見通しも示されており、1915年5月のチェイニー・トーキング・マシン社(Cheney Talking Machine Co.)は、博覧会実演を軸に高級市場の拡張を狙っていました。
ソノラ
ソノラフォノグラフ社(Sonora Phonograph Co.)も、1915年5月のパナマ=パシフィック国際博覧会(Panama-Pacific International Exposition)でブースを拡張し、実演回数を増やしていたことが確認できます。報道では、75ドルのフルキャビネット型と100ドル機を新たに加えたこと、さらにカリフォルニア州サクラメントに新代理店を置いたことが紹介されていました。1915年5月のソノラ蓄音機会社(Sonora Phonograph Co.)は、西部市場での流通拡張と実演中心の販売促進を同時に進めていたと整理できます。
