1915年10月に録音された音楽

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1915年10月に録音された音楽

1915年10月は、第一次世界大戦の拡大と、国家・社会・技術の動きが重なった月でした。10月4日にはアメリカ合衆国で恐竜化石産地保護のためダイナソー国定公園(Dinosaur National Monument)が設定され、同日にはアローロック・ダム(Arrowrock Dam)の献納式も行われました。10月7日にはトーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)が議長を務めるアメリカ合衆国海軍諮問委員会(Naval Consulting Board)の会合が始まり、10月12日にはイーディス・ルイーザ・カヴェル(Edith Louisa Cavell, 1865–1915)がブリュッセルで処刑されて国際的反発を招きました。10月14日にはブルガリア王国がセルビア王国と交戦状態に入り、10月23日にはニューヨーク市で女性参政権を求める大規模行進が行われました。

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1915年10月の録音に関する情報のまとめ

1915年10月の録音業界では、シリンダー、ディスク、蓄音機販売の各分野で新譜供給、販促物配布、録音設備拡張、カタログ整備、販売網拡張が進みました。秋から年末に向かう需要期を前に、各社は商品の供給体制と販売現場の整備を強めており、既存大手だけでなく、新興の蓄音機会社や販売会社の動きも業界誌上で目立っています。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の『エジソン・フォノグラフ・マンスリー』1915年10月号では、ダイヤモンド・アンベローラとブルー・アンベロールが引き続き販売の中心商品として扱われていました。9月・10月のブルー・アンベロール新芸術家が示され、レパートリーや製造水準の充実が強調されています。さらに秋季と休日需要に向けてアンベローラとブルー・アンベロールの在庫積み増しが勧められており、1915年10月の時点でシリンダー系統が販売実務の中核の一つを占めていました。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、1915年10月に販売店向けの販促物を大規模に配布していました。10月補遺、店頭ハンガー、新譜レビュー、既製広告版下、教育向け広告、農村向け広告に加え、アラビア語、フランス語、ドイツ語、ヘブライ語、ハンガリー語、イタリア語、ロシア語、スウェーデン語の新譜補遺も用意されていました。また、同社は約7,500人の従業員について8時間制へ移行しつつ賃金を維持しており、1915年10月の段階で高い生産力と販売力を保っていました。

コロンビア

コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)では、ニューヨーク西38丁目102番地の録音研究所で大規模な拡張が進められていました。G・C・ジェル(G. C. Jell, 生没年不明)のもとで、研究所は従来より広い3フロア体制へ移り、7階・8階・9階に録音室を整備する再編が行われていました。さらにアイオワ州シーダーラピッズでは、コロンビア系商品の卸売・小売を扱うグラフォノーラ社(Grafonola Co.)の新店舗が1915年10月1日に正式開業しており、録音制作部門の整備と地方販売網の拡張が同時に進んでいました。

パテ

パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathe Freres Phonograph Co.)は、パテフォンとパテ盤を扱う初の総合カタログを刊行しました。このカタログは96,000以上のレパートリーを持つものとして紹介され、同社の商品体系を統一的に示す媒体となっていました。また、ニューヨーク五番街487番地にパテ専売店を10月15日に開く計画も報じられており、1915年10月の同社は商品整理と専売店展開を並行して進めていました。

エオリアン

エオリアン社(Aeolian Co.)は、エオリアン・ヴォカリオン(Aeolian-Vocalion)を大量廉売型商品ではなく、音楽的価値を重んじる層に向けた本格的な楽器として打ち出しました。H・B・トレメイン(H. B. Tremaine, 生没年不明)の署名入り声明広告では、その販売方針が明確に示されています。あわせて、エオリアン・ホールのヴォカリオン部門では前月比100パーセント増の小売実績が報じられており、販売組織の強化も進んでいました。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corporation)は、販売網拡張、博覧会出品、生産増強を同時に進めていました。カンザスシティでは代理店設置の可能性調査が進められ、マディソン・スクエア・ガーデンの教育産業博覧会には完全なソノラ陳列が出品されました。さらに需要が生産を上回る状況が伝えられており、1915年10月の同社は受注増に対応するため増産を続けていました。

ワンダー

ワンダー・トーキング・マシン社(Wonder Talking Machine Co.)は、需要増に対応するため新工場への移転を進めていました。H・B・マクナルティ(H. B. McNulty, 生没年不明)は、新工場で従来の少なくとも6倍の空間を確保すると述べ、国内販売網の拡大とともに、キューバや中南米向け輸出出荷も進んでいると説明しました。1915年10月の同社は、低価格帯機種の販売拡大を背景に生産能力の増強を急いでいました。

ナショナル・トーキング・マシン

ナショナル・トーキング・マシン社(National Talking Machine Co.)は、資本金10万ドルの新会社として組織され、クリストラ(Crystola)の製造に乗り出しました。オハイオ州コロンバスで法人化され、シンシナティのブロードウェー815番地3階を製造用に借り受け、製品は直販ではなく通常の販売店経由で市場に出される計画でした。1915年10月は、新規参入企業として姿を現した時期にあたります。

W・D・アンドリューズ

W・D・アンドリューズ社(W. D. Andrews)は、バッファロー店でスポーツ用品部門をやめ、その空間をヴィクター製品とエジソンのシリンダー製品の販売に振り向けました。店舗スペースと人員を録音関連商品へ集中させる再編であり、1915年10月には販売会社の側でも録音関連商品の需要増を受けた構成転換が進んでいました。