1917年4月に録音された音楽

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1917年4月に録音された音楽

1917年4月は、第一次世界大戦と各国政治の構図が大きく動いた月です。アメリカ合衆国では4月2日にジャネット・ランキン(Jeannette Rankin, 1880–1973)が連邦議会下院議員に就任し、同月6日にはアメリカ合衆国がドイツ帝国(German Empire)への宣戦を布告しました。ロシアではウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin, 1870–1924)がペトログラード(Petrograd)へ帰還し、「四月テーゼ(April Theses)」を通じてロシア臨時政府(Russian Provisional Government)を支持しない立場を明確にしました。西部戦線では4月9日にヴィミー・リッジの戦い(Battle of Vimy Ridge)が始まり、4月16日にはニヴェル攻勢(Nivelle Offensive)の一環としてフランス軍がシュネデールCA1戦車(Schneider CA1)を初めて実戦投入しました。文化面では、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887–1968)がニューヨークで《泉(Fountain)》を提出し、近代美術史の転換点の一つとなりました。

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1917年4月の録音に関する情報のまとめ

1917年4月の録音業界では、確認できる当月資料の範囲で、各社が新譜だけでなく、販売方式、販売網、実演、流通体制を競っていたことが分かります。トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は4月のエジソン・ブルー・アンベロール(Edison Blue Amberol)を広告で訴求し、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)はオリジナル・ディキシーランド・ジャス・バンド(Original Dixieland Jass Band)を含む5月新譜の告知を4月末に始めていました。コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)は販促媒体と営業組織を動かし、パテー・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Co.)は録音人材と流通網を拡充し、チェイニー・トーキング・マシン社(Cheney Talking Machine Company)、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)、エオリアン社(The Aeolian Company)、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corporation)も、それぞれ販売体制や商品訴求を進めていました。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、4月22日付広告で「Edison Blue Amberol Records for April」が確認でき、4月用のエジソン・ブルー・アンベロール(Edison Blue Amberol)が販売現場で明確に訴求されていました。さらに4月18日付広告では、エジソン・アンベローラ(Edison Amberola)がダイヤモンド針再生器を備え、エジソン・ブルー・アンベロール(Edison Blue Amberol)を再生する機械として宣伝されており、同月の同社はレコードと機械を一体で売り出していたことが確認できます。今回確認した4月資料の範囲では、同月の大規模な組織改編や方針転換は確認できませんでした。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)では、4月28日付広告で、オリジナル・ディキシーランド・ジャス・バンド(Original Dixieland Jass Band)を含む5月新譜の告知が確認できます。したがって、1917年4月の段階で、同社が「ジャス」を販売上の前面に押し出し始めていたことは確認できます。ただし、今回確認できた4月資料では、そのレコードを4月発売と断定できる一次資料は確認できず、4月末には5月新譜として市場告知が始まっていたと書くのが適切です。

コロンビア

コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)では、1917年4月号の『コロンビア・レコード(Columbia Record)』が拡大された新形式で刊行され、販促媒体の強化が確認できます。加えて同月には社長補佐の任命、クリーブランド拠点の交代、トレドの小売店売却と卸機能のクリーブランド移管が報じられており、4月の同社は広告だけでなく営業組織の再配置も進めていたことが分かります。今回確認した範囲では、4月の個別新譜一覧を当月の一次資料だけで全面的に確定できる状態にはありませんでした。

パテ

パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Co.)では、4月中にデイヴィッド・ビスファム(David Bispham, 1857–1921)を専属録音歌手として迎えたことが報じられ、最初のレコードは5月補遺で出る予定とされていました。さらに同月には、ウィリアム・ヴォルカー社(Wm. Volker Co.)がカンザスシティー地区のジョバーに任命されており、4月の同社は録音人材の拡充と流通網の整備を同時に進めていたことが確認できます。

チェイニー

チェイニー・トーキング・マシン社(Cheney Talking Machine Company)については、1917年4月初頭に、コロンビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)クリーブランド拠点の関係者が、オハイオ州におけるチェイニー製品販売の責任者へ移ることが報じられました。記事では、クリーブランドを本拠として州内で販売店を順次任命していく方針も示されており、4月のチェイニー・トーキング・マシン社(Cheney Talking Machine Company)は販路形成の段階にあったことが確認できます。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は、4月6日、12日、30日の広告で、ブランズウィック機が各社のレコードを再生できることを強く打ち出していました。とくにパテー・レコード(Pathé Records)を含む互換性を前面に出し、「Plays All Records」という訴求を繰り返していた点から、1917年4月の同社は自社機の汎用性を販売上の主武器にしていたと判断できます。

エオリアン

エオリアン社(The Aeolian Company)は、4月11日付広告で、エオリアン・ヴォーカリオン(Aeolian-Vocalion)の価格帯を35ドルからと示し、既存機の下取りも含めた販売を訴求していました。さらに4月19日付広告では、来店して好みのレコードを選ぶよう促しており、同月の販売が店頭実演と試聴を軸に組み立てられていたことが分かります。今回確認した4月資料の範囲では、同月の組織変更や新たな企業再編は確認できませんでした。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corporation)については、1917年4月号の『トーキング・マシン・ワールド(The Talking Machine World)』に、三つの製造拠点を持つ体制を示す記事が載っていました。したがって、4月の同社は単なる小売広告だけでなく、供給能力と製造体制そのものを対外的に訴求していたことが確認できます。今回確認した範囲では、4月の個別新譜一覧までは確定できませんでした。