1920年2月に録音された音楽

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1920年2月に録音された音楽

1920年2月は、第一次世界大戦後の国際秩序再編と新しい大衆文化の立ち上がりが同時に進んだ月でした。2月2日にはエストニア共和国(Republic of Estonia)とソヴィエト・ロシア(Soviet Russia)がタルトゥ平和条約(Tartu Peace Treaty)を締結し、エストニアの独立と東部国境が定まりました。10日にはシュレスヴィヒ住民投票(Schleswig plebiscites)の北部投票でデンマーク帰属支持が多数となり、国境問題の処理が進みました。13日にはニグロ・ナショナル・リーグ(Negro National League)が創設され、黒人プロ野球の組織化が新段階に入りました。2月にはリーグ・オブ・ウィメン・ヴォーターズ(League of Women Voters)がシカゴで正式に発足し、女性参政権運動は恒常的な市民団体へ移りました。26日にはベルリンで『カリガリ博士』(The Cabinet of Dr. Caligari)が初上映され、戦後ヨーロッパ文化の実験性を象徴する作品として受け止められました。28日にはアメリカ合衆国で交通法(Transportation Act of 1920)が成立し、戦時統制下にあった鉄道制度の再編が進みました。

この月の確認されている録音:0曲

1920年2月の録音に関する情報のまとめ

1920年2月の録音関連資料では、録音日そのものを直接示す記事は多くありませんが、新譜の月次投入、店頭実演、在庫訴求、交換販売、全種レコード再生機構の宣伝など、販売と流通をめぐる企業活動は複数確認できます。この月の動きは、各社が新譜の投入と機械販売を結び付けながら、店頭での比較試聴や機能差の訴求を強めていたことを示しています。以下では、1920年2月の同月資料上で活動を確認できた企業・ブランドのみを挙げます。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)では、2月1日付広告で「2月の新ヴィクター盤」がすでに発売中とされ、2月14日付の別広告でも同じ新譜群の販売が続いていました。1920年2月の時点で、同社が月次新譜を前面に出しながら、店頭試聴と即売を一体化した販売を進めていたことが確認できます。

コロムビア

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Company)では、2月24日付と27日付の広告で「新しいコロムビア盤」が毎月10日と20日に発売されることが明示されていました。1920年2月の時点で、同社が月2回の新譜投入を前提に、継続的な販売サイクルを明確に運用していたことが確認できます。

ニュー・エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)のニュー・エジソン(New Edison)は、2月3日付広告で「The Phonograph with a Soul」として売り出され、2月26日付広告でも再創造性とレコード販売の結び付きが強調されていました。1920年2月には、比較試聴とレコード在庫の即売を伴う店頭販売が継続していたことが確認できます。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)では、2月3日付と6日付の広告でウルトナ(Ultona)が「すべてのレコードを再生できる」機構として繰り返し強調されました。1920年2月の販売競争では、同社が単なる音質ではなく、他社盤対応という機能面を主要な差別化要素にしていたことが確認できます。

パテ

パテ・フレール・フォノグラフ社(Pathé Frères Phonograph Company)では、2月5日付広告でパテ盤が「壊れにくい」ことと、「通常4–6週間先行している」ことが販売上の強みとして掲げられていました。1920年2月の時点で、同社が耐久性と流行曲の先行投入を前面に出してレコード部門を訴求していたことが確認できます。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Company)では、2月1日付広告で「新しいソノラ入荷」が告知され、音質調整機構と他社盤再生への対応が強調されていました。さらに2月22日付の業界記事では、サザン・ソノラ社(Southern Sonora Company)が1月販売の好調を報告しており、2月の段階でソノラが本体販売だけでなく卸売面でも販路を広げていたことが確認できます。

エマソン

エマソン・レコード(Emerson Records)では、2月1日付広告に新譜番号と曲名が具体的に並び、「Come In and Hear These New Emerson Records」と試聴来店が促されていました。1920年2月初頭の段階で、新譜を番号単位で告知し、店頭再生を前提に販売する体制が整っていたことが確認できます。

ヴォカリオン

エオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)では、2月25日付広告で「新しいヴォカリオン盤」から任意に12ドル分を選べる販売条件が示され、2月29日付広告でもヴォカリオン盤が他社盤と並んで販売対象になっていました。1920年2月の時点で、同ブランドが独立した商品群として店頭在庫と販促の両面で扱われていたことが確認できます。