1920年3月に録音された音楽

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1920年3月に録音された音楽

1920年3月は、第一次世界大戦後の秩序が各地で揺れ動いた月でした。3月1日にはミクローシュ・ホルティ(Miklós Horthy, 1868–1957)がハンガリー王国(Kingdom of Hungary)の摂政に選ばれ、旧王国体制の再編が進みました。3月8日にはシリア国民会議(Syrian National Congress)がシリア・アラブ王国(Arab Kingdom of Syria)の独立を宣言し、ファイサル1世(Faisal I, 1885–1933)を国王に推戴しました。ドイツでは3月13日–17日にヴォルフガング・カップ(Wolfgang Kapp, 1858–1922)らによるカップ=リュトヴィッツ一揆(Kapp-Lüttwitz-Putsch)が起こりましたが、ゼネストで崩壊し、ヴァイマル共和政(Weimar Republic)の不安定さが露呈しました。3月19日にはアメリカ合衆国上院(United States Senate)がヴェルサイユ条約(Treaty of Versailles)を最終的に批准せず、国際連盟への不参加が決定的になりました。3月26日にはフランシス・スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald, 1896–1940)の『楽園のこちら側』(This Side of Paradise)が刊行され、3月28日にはアメリカ合衆国でパームサンデー竜巻群(1920 Palm Sunday tornado outbreak)が発生して大きな被害を出しました。さらに3月29日にはクリスチャン10世(Christian X, 1870–1947)がカール・テオドール・ツァーレ(Carl Theodor Zahle, 1866–1946)内閣を罷免し、デンマークの復活祭危機が始まりました。

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1920年3月の録音に関する情報のまとめ

1920年3月の録音関連資料では、各社が同じ方向に動いていたわけではなく、実演を伴う再現音の提示、月次の新譜投入、販売代理店網の強化といった異なる手法が並行していました。資料上、当月の活動を直接確認できる企業だけを見ると、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は実演と再現音を組み合わせた大規模な公開催事を進め、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)は3月向けの声楽盤を市場に送り出し、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corporation)は販売店価値と広告支援を前面に出していました。以下では、当月資料で確認できる範囲に限って整理します。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、1920年3月10日にカーネギー・ホール(Carnegie Hall)でアンナ・ケース(Anna Case, 1888–1984)を起用した公演を行い、同人の歌唱とエジソンの再現音を組み合わせた演目を実施しました。さらに『The Talking Machine World』1920年3月15日号では、エジソンの卸売業者が春季キャンペーンを開始したことが報じられており、同社が3月に舞台実演と流通販促を並行して展開していたことが確認できます。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Co.)については、『The Talking Machine World』1920年2月15日号に3月向けの「Popular Vocal Selections」が掲載されており、3月販売分の声楽盤を月次補充として市場に投入していたことが確認できます。今回確認できた範囲では、3月中の大規模な実演催事や販売会議までは確定できませんが、3月向け新譜の案内自体は同時代業界資料で確認できます。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Corporation)については、『The Talking Machine World』1920年3月15日号で、ソノラ販売代理店の価値が年々高まっていること、需要拡大に応じて広告支援を進めることが強調されていました。したがって3月の同社は、新録音の告知よりも、販売網の拡充と店頭販売力の強化を主軸に動いていたと判断できます。

コロムビア

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)では、1920年3月の『The Talking Machine World』に、一般販売部門のO・F・ベンツ(O. F. Benz, 生没年不明)が西海岸のコロムビア関係先を訪問したことが載っており、同社が当月も支店と販売網を巡回する営業活動を続けていたことが確認できます。同じ3月号には、カリフォルニア州ストックトンのペファー音楽会社(Peffer Music Co.)がコロムビア製品を扱う販売店として現地紙の音楽欄を活用していたことも見え、1920年3月の段階でコロムビアの販路が地方都市の新聞広告と結び付いていたことが分かります。