1923年に録音された音楽

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1923年に録音された音楽

1923年は、第一次世界大戦後の国際秩序が「条文」から「現実の国境と生活」へ落とし込まれていく一方で、経済危機と大衆メディアの成長が同時に進んだ年です。政治・金融・災害・科学・芸術・スポーツが絡み合い、世界のリズムが加速していく気配が濃くなります。

ヨーロッパでは、賠償問題をめぐってフランスとベルギーがドイツのルール地方を占領したルール占領(Occupation of the Ruhr, 1923年1月11日開始)が緊張を高めました。通貨価値の崩壊はドイツのハイパーインフレーションとして極点に達し、通貨改革としてレンテンマルク(Rentenmark)が1923年11月に導入されます。危機の空気の中でミュンヘン一揆(Beer Hall Putsch, 1923年11月8日–9日)が起こり、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889–1945)らの権力奪取は失敗しましたが、政治の過激化が表面化しました。

中東では、ローザンヌ条約(Treaty of Lausanne, 1923年7月24日調印)が、オスマン帝国の遺産をめぐる戦後処理を最終的に結び、トルコの主権を国際的に確定させます。続いて1923年10月29日、トルコ大国民議会は国家体制を共和国とし、ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atatürk, 1881–1938)が初代大統領に選出されました。

英愛圏では、アイルランド内戦(Irish Civil War)が終息へ向かい、フランク・エイケン(Frank Aiken, 1898–1983)が1923年5月24日に「武器を投棄せよ」とする命令(いわゆる“dump arms order”)を出して戦闘が実質的に終わりました。

アメリカ合衆国では、ウォレン・G・ハーディング(Warren G. Harding, 1865–1923)が1923年8月2日に死去し、カルビン・クーリッジ(Calvin Coolidge, 1872–1933)が8月3日に大統領に就任します。同時期、ブリトン・ハデン(Briton Hadden, 1898–1929)とヘンリー・ルース(Henry Luce, 1898–1967)が創刊したタイム(Time, 1923年3月3日創刊)のような週刊ニュース誌が、世界の出来事を「短く編集して届ける」形式を定着させていきました。

東アジアでは、関東大震災(Great Kantō Earthquake, 1923年9月1日)が東京・横浜圏を直撃し、甚大な人的被害と都市機能の崩壊をもたらしました。復興は都市計画・建築・防災の課題を突き付けると同時に、災害時の流言が社会的暴力を誘発する危険も露わにします。

科学では、糖尿病治療を一変させたインスリンの発見が評価され、フレデリック・グラント・バンティング(Frederick Grant Banting, 1891–1941)とジョン・ジェームズ・リカード・マクラウド(John James Rickard Macleod, 1876–1935)がノーベル生理学・医学賞(1923年)を受賞しました。文学賞はウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats, 1865–1939)が受賞し、社会の転換期における表現の重みも示されます。

芸術と技術の接点では、ワイマールのバウハウス(Bauhaus)で大規模展覧会が1923年8月15日–9月30日に開かれ、生活用品から建築までを「工業と結び付いたデザイン」として提示しました。国際協力の制度面でも、ウィーンで国際刑事警察委員会(International Criminal Police Commission, ICPC)が1923年9月に設立され、国境をまたぐ犯罪への連携が制度として形になります。

大衆文化と身体の祭典もまた、1923年の現代性を象徴します。ル・マン24時間レース(24 Hours of Le Mans)は1923年5月26日–27日に初開催され、機械と人間を長時間競わせる耐久の思想を可視化しました。ニューヨークではヤンキー・スタジアム(Yankee Stadium)が1923年4月18日に開場し、巨大スタジアムが都市の娯楽インフラとして定着していきます。英国で番組情報誌ラジオ・タイムズ(Radio Times)が1923年9月28日に創刊されたことは、放送が日常の時間割へ入り込む準備が整ったことを示します。

過去への眼差しもまた大衆化し、エジプトではハワード・カーター(Howard Carter, 1874–1939)がツタンカーメン王墓(Tomb of Tutankhamun)の玄室に入ったのが1923年2月16日です。1923年は、戦後の再編と危機の噴出が並走しながら、メディアと技術が世界を同時に結び始めた年でした。