1925年8月に録音された音楽
1925年8月は、各地で政治秩序の再編と社会運動の可視化が進んだ月でした。ウェールズでは、ウェールズ国民アイステズヴォッド(National Eisteddfod of Wales)の会期中にプライド・ジェネドライソル・カムリ(Plaid Genedlaethol Cymru)が設立され、言語と地域文化を軸とする政治運動が新たな段階に入りました。イギリスでは8月7日に栄典濫用防止法(Honours (Prevention of Abuses) Act 1925)が制定され、栄典売買を違法化しました。アメリカ合衆国(United States of America)では8月8日にクー・クラックス・クラン(Ku Klux Klan)がワシントンで大規模行進を行い、排外主義と白人至上主義の広がりを示しました。8月14日にはスピッツベルゲン諸島に関する条約(Treaty concerning the Archipelago of Spitsbergen)が発効し、スヴァールバルをめぐる国際法上の枠組みが成立しました。8月18日にはベルギー王国(Kingdom of Belgium)とアメリカ合衆国(United States of America)の戦債協定が署名され、戦後財政の整理も進みました。さらに8月25日には寝台車ポーター兄弟団(Brotherhood of Sleeping Car Porters)がニューヨーク市で結成され、アフリカ系アメリカ人労働運動の重要な節目となりました。
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1925年8月の録音に関する情報のまとめ
1925年8月の録音業界は、電気録音と電気再生への移行が一段と具体化し、同時に都市外での遠征録音も目立った月でした。確認できる同時代資料では、ブランズウィック・バルク・コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)がパナトロープ(Panatrope)を伴う新しい再生方式を8月に公表し、オーケー・ゼネラル・フォノグラフ社(OKeh General Phonograph Corporation)はノースカロライナ州アシュヴィルで携帯式設備による録音を実施しました。コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)とヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)もすでに電気録音化を進めていましたが、1925年8月の段階では後年よく知られる商品名や宣伝語がまだ出そろっておらず、移行過程そのものが資料から読み取れる時期です。
オーケー
1925年8月、オーケー・ゼネラル・フォノグラフ社(OKeh General Phonograph Corporation)は、ノースカロライナ州アシュヴィルのジョージ・ヴァンダービルト・ホテル(George Vanderbilt Hotel)に携帯式録音設備を持ち込み、約10日間の録音を行いました。ラルフ・ピア(Ralph Peer, 1892–1960)が演奏者の選定に当たり、西ノースカロライナの奏者に加え、ヴァージニア州など周辺地域の演奏家も参加しています。確認できる範囲では、この遠征で同社は60本のワックス原盤を作成しており、1925年8月の業界動向として最も明確に追える地方録音事例の一つです。
ブランズウィック
ブランズウィック・バルク・コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は、1925年8月に新しい音響再生方式を公表しました。アラン・サットン(Allan Sutton)の整理によれば、同社は『トーキング・マシン・ワールド』(The Talking Machine World)1925年8月15日号に「Revolutionary Sound Reproducing Method Announced by Brunswick Co.」を出しており、同月の新聞報道でもパナトロープ(Panatrope)が電気的再生装置として紹介されています。したがって、1925年8月については、同社が電気再生機を業界と一般市場に告知し始めた月として位置づけられます。
- https://mainspringpress.org/tag/brunswick-panatrope-eletrical-phonograph-with-rca-radio/
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine/20s/Talking-Machine-1925-08.pdf
- https://time.com/archive/6654071/medicine-inventions/
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、1925年8月の時点で新しい電気録音盤を販売していましたが、同社の広告はまだその技術転換を大きく前面化していませんでした。アラン・サットン(Allan Sutton)の検証では、1925年8月8日付の新聞広告「New Columbia Records」が確認できる一方、同社が「ヴィヴァ=トーナル(Viva-tonal)」名称を用いるのは1926年春以後です。したがって、1925年8月の段階では、同社を電気録音化を進めつつ新譜販売を継続した時期として記すのが妥当です。
ヴィクター
ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)も、1925年夏までに電気録音への転換を進めていました。再確認した資料では、同社は1925年7月に重要改良のため配当停止を告知し、8月19日と8月28日のカムデンの新聞では新装置や真空増幅に関する報道が確認できます。ただし、広く知られるオルソフォニック(Orthophonic)の大規模公開は同年11月であり、1925年8月については、公開直前の技術移行と社内投資が進んでいた段階として扱うのが妥当です。
- https://mainspringpress.org/2025/06/18/the-beginning-of-electrical-recording-part-2-columbia-victor-and-the-western-electric-system/
- https://www.victrola.com/pages/victor-recordings-in-the-electrical-recording-era
