1926年8月に録音された音楽

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1926年8月に録音された音楽

1926年8月は、政治・社会・文化・技術の各面で動きの大きい月でした。イギリスでは炭鉱争議がなお続き、8月25日には非常事態宣言が出されました。8月6日にはアメリカの競泳選手ガートルード・エダール(Gertrude Ederle, 1905–2003)が英仏海峡横断に成功し、女性として初めてこの記録を達成しました。外交面では、8月上旬にスペイン王国とイタリア王国の仲裁条約が公表されました。文化面では8月23日にルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino, 1895–1926)が死去し、世界的な追悼熱が広がりました。さらに同月にはワーナー・ブラザース(Warner Bros.)とヴィタグラフ・スタジオ(Vitagraph Studios)がヴィタフォン(Vitaphone)を導入し、映画と録音技術の結びつきが新しい段階に入りました。

この月の確認されている録音:0曲

1926年8月の録音に関する情報のまとめ

1926年8月の録音業界では、電気録音の定着を背景に、各社が新譜制作だけでなく、多言語市場、移民市場、再生機販売、映画音響との接続までを並行して進めていたことが確認できます。『The Talking Machine World』1926年8月15日号は、ポータブル蓄音機の購入者が平均12枚のレコードを買うという調査結果を掲げており、機械販売と盤の継続販売を一体化する営業が強く意識されていました。加えて、同月付の資料には、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)、ブランズウィック=バルク=コーレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)、オーケー・レコード(OKeh Records)、スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)のジェネット・レコード(Gennett Records)などで、8月付の録音・発売・販売活動が確認できます。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、1926年8月にチャールズ・エジソン(Charles Edison, 1890–1969)が社長兼最高経営責任者に就き、トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931)は取締役会長となりました。同月の録音面では、ディスコグラフィ・オブ・アメリカン・ヒストリカル・レコーディングズ(Discography of American Historical Recordings)に8月13日付の Edison 11169「While the years go drifting by」と Edison 11170「The far-away bells」が見えており、この月の同社では経営体制の転換と盤制作の継続が同時に確認できます。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)では、1926年8月にも録音活動が厚く続いていました。ディスコグラフィ・オブ・アメリカン・ヒストリカル・レコーディングズ(Discography of American Historical Recordings)の8月10日付には「’O sole mio」、8月20日付には「Serenade」、8月25日付には「Casey at the bat」や「Gems from The Bohemian Girl」が確認でき、声楽、器楽、朗読、舞台音楽抜粋までを含む広い商品編成が維持されていたことがわかります。1926年8月のヴィクターは、電気録音時代の主力会社として、量と内容の両面でなお強い制作力を示していました。

コロムビア

コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)では、1926年8月付の盤として Columbia 14230-F「’A morte ‘e Rodolfo Valentino」や Columbia 3031-F「Viimeinen valssi」が確認でき、イタリア語市場とフィンランド語市場を含む多言語展開が続いていました。さらに『ザ・トーキング・マシン・ワールド(The Talking Machine World)』1926年9月15日号では、コロムビア・ホールセーラーズ社(Columbia Wholesalers, Inc.)が8月のコロムビア蓄音機・レコード売上を前年同月比112パーセント増と報告しており、同月の同社が録音だけでなく販売面でも強い伸びを示していたことが確認できます。また、同誌ではトレドのローゼンベリー・ミュージック社(Rosenberry Music Co.)が1926年8月1日に支店を開き、そこでレース・レコード(race records)を扱うと報じられており、販売網の細分化も進んでいました。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コーレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)では、1926年8月のロサンゼルス録音として、Brunswick matrix LA122-LA123「Las cuatro milpas」が確認できます。また Vocalion 8005 には、ブランズウィック原盤による「La mula」が8月1926年盤として見えており、同社のマスターがヴォカリオン(Vocalion)にも回されていたことがわかります。つまりこの月のブランズウィックは、スペイン語圏向けの録音を継続しつつ、複数レーベルへの展開で市場を広げていました。

オーケー

ゼネラル・フォノグラフ社(General Phonograph Corporation)のオーケー・レコード(OKeh Records)でも、1926年8月付の多言語盤が確認できます。OKeh 9285、OKeh 26038、OKeh 40696 には、それぞれイタリア語題名、リトアニア語題名、英語題名の盤が見えており、同社が英語主流市場だけでなく、移民市場向けの供給も同時に維持していたことがわかります。8月のオーケーは、広い言語市場を視野に入れた商品編成を続けていたと整理できます。

ジェネット

スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)のジェネット・レコード(Gennett Records)では、1926年8月付の Gennett 12556、12558、12559 が確認できます。曲目には「When they ring the golden bells for you and me」「The dearest of mothers」「Won’t you come back home」などが見え、同社がこの時期にも宗教歌や家庭向け声楽盤を継続供給していたことがわかります。1920年代後半のジェネットはジャズ史で語られることが多いものの、1926年8月の資料上では、敬虔歌と家庭向けレパートリーの維持もはっきり確認できます。

ヴィタフォン

録音関連企業の周辺動向としては、1926年8月にワーナー・ブラザース(Warner Bros.)とヴィタグラフ・スタジオ(Vitagraph Studios)がヴィタフォン(Vitaphone)を導入したことが重要です。これはレコード盤を映画上映と機械的に同期させる方式で、録音技術が映画興行の中核に直接入り込む転換点でした。月内の個別盤制作とは性格が異なりますが、録音産業の技術が別産業へ拡張されたという意味で、1926年8月を考えるうえで外せない動きです。