1926年12月に録音された音楽

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1926年12月に録音された音楽

1926年12月は、政治、科学、文化、社会の話題が重なって動いた月でした。英国では12月上旬にアガサ・クリスティ(Agatha Christie, 1890–1976)の失踪が大きく報じられ、作家本人の名声とあいまって国際的な関心を集めました。12月5日にはフランス印象派を代表するクロード・モネ(Claude Monet, 1840–1926)がジヴェルニーで死去しました。12月10日にはストックホルムとオスロでノーベル賞の授賞行事が行われ、ノーベル物理学賞(Nobel Prize in Physics)はジャン・バティスト・ペラン(Jean Baptiste Perrin, 1870–1942)に、ノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)はアリスティード・ブリアン(Aristide Briand, 1862–1932)とグスタフ・シュトレーゼマン(Gustav Stresemann, 1878–1929)に授与されました。日本では12月25日に大正天皇(1879–1926)が崩御し、裕仁親王(1901–1989)が践祚して昭和が始まりました。さらに12月26日にはジャン・シベリウス(Jean Sibelius, 1865–1957)の交響詩《タピオラ》がワルター・ダムロッシュ(Walter Damrosch, 1862–1950)の指揮でニューヨーク交響楽協会(New York Symphony Society)によりニューヨークで初演され、年末の音楽界にも新しい節目が刻まれました。

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1926年12月の録音に関する情報のまとめ

1926年12月の録音業界は、年末商戦の伸長と、流通・販売体制の再編とが並行して進んだ月でした。資料上、この月に直接活動を追える企業としては、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)、パテ・フォノ・アンド・ラジオ社(Pathe Phono & Radio Corp.)、そしてトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)系の販売網が確認できます。12月の特徴は、新譜そのものよりも、海外取引、実演販売支援、年末需要の急増、販売ルートの切替が目立つ点にありました。

ブランズウィック

1926年12月15日号の業界紙『The Talking Machine World』は、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)による「重要な欧米間取引」が成立したと報じています。したがってこの月の同社は、北米市場だけでなく、欧州との事業連結を前面に出しながら年末期を迎えていたことが分かります。1926年12月の同社は、国内小売だけでなく、国際展開そのものが企業活動の主題になっていました。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、1926年12月上旬に会社売却が公になった一方で、販売面では強い年末需要を示しました。翌1927年1月号の業界紙では、1926年12月について「ほとんどすべてのディーラーが各部門で大きな増加を報告した」と回顧されており、所有構造の変化と年末商戦の好調が同時に進んでいたことが確認できます。1926年12月の同社は、企業再編の局面にありながら、市場ではなお強い販売力を保っていました。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)については、1927年1月7日付の業界報道で、1926年のクリスマス商戦が「業界史上でも最良級の一つ」と位置づけられています。これは1926年12月の販売実績を直接回顧する記事であり、同社の年末需要がきわめて強かったことを示します。1926年12月のコロムビアは、個別製品の話題よりも、卸売段階での商況の強さが目立っていました。

パテ

パテ・フォノ・アンド・ラジオ社(Pathe Phono & Radio Corp.)は、1926年12月号の『The Talking Machine World』で、パテフォニック機の実機見本をディーラーに送付し、満足な実演ができるようにする方針を打ち出していました。これは音質を店頭で直接体験させる販売方式を重視していたことを示しており、年末商戦における実演販売支援の強化として読めます。1926年12月の同社は、広告だけでなく、実物提示を通じた販売促進に力を入れていました。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)系では、1926年12月号の業界紙に、新型エジソン機への再注文が入っていることが報じられており、年末時点でも新機種需要が続いていたことが確認できます。その一方で、同年11月号ではオーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corp.)が各地でエジソン製品の代表機関として機能していることが伝えられ、翌1927年1月号ではエジソン・フォノグラフ・ディストリビューティング社(Edison Phonograph Distributing Co.)がトーマス・A・エジソン社の流通部門として動き始めたことが報じられました。したがって1926年12月のエジソン系は、販売需要が続く一方で、流通網の切替が進んでいた移行期でした。