1927年4月に録音された音楽
1927年4月は、科学技術、政治、工業、災害対応が同時に動いた月でした。4月7日、ベル電話研究所(Bell Telephone Laboratories)はニューヨークとワシントンD.C.を結ぶ長距離テレビジョン実演を行い、映像通信の新段階を示しました。4月12日にはイギリスで王室及び議会称号法1927年(Royal and Parliamentary Titles Act 1927)が成立し、同日には上海で四・一二事件(April 12 Incident)が始まり、中国の政治対立は大きく転換しました。4月14日にはボルボ(Volvo)の最初の量産車が完成し、北欧自動車工業の象徴的な出発点となりました。月末にかけては1927年ミシシッピ川大洪水(Great Mississippi Flood of 1927)が深刻化し、広域の避難と救援が進められました。
この月の確認されている録音:0曲
1927年4月の録音に関する情報のまとめ
1927年4月の録音関連業界では、レコード会社がラジオ放送を販促に使いながら、新録音、企業再編、外部委託制作を並行して進めていました。当月の資料で実際の動きを確認できる範囲では、ブランズウィック・バルク・コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)とコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)が放送と録音を連動させ、オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)周辺では再編が進み、独立系ではシカゴ・レコード社(Chicago Record Company)のブラック・パティ(Black Patti)が本格的な制作段階に入りました。
ブランズウィック
ブランズウィック・バルク・コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は、1927年4月1日と4月8日に「Brunswick-Balke Hour」を放送し、自社のレコード販売をラジオ番組と結び付けていました。録音面でも、4月7日に「Black and Tan Fantasy」、4月30日に「Soliloquy」の制作が確認でき、当月に新録音と放送宣伝を並行して進めていたことが分かります。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Popular-Radio/Popular-Radio-1927-04.pdf
- https://adp.library.ucsb.edu/index.php/matrix/detail/1000024950/E22299-Black_and_tan_fantasy
- https://adp.library.ucsb.edu/index.php/matrix/detail/1000025450/E22808-Soliloquy
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は、1927年4月2日と4月16日に「Columbia Phonograph Program」を放送しました。さらに4月5日にはコロムビア・フォノグラフィック・ブロードキャスティング・システム社(Columbia Phonographic Broadcasting System, Inc.)が組成され、レコード販売と放送網の結び付きが制度面でも具体化しました。録音面では、4月26日と27日にアート・ギルハム(Art Gillham, 1895–1961)の新録音が確認でき、当月後半にも新譜用の制作が続いていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Popular-Radio/Popular-Radio-1927-04.pdf
- https://earlyradiohistory.us/1941cb03.htm
- https://mainspringpress.org/wp-content/uploads/2026/01/RUST_JRR-6.pdf
オーケー
オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)の周辺では、1927年4月1日にジェネラル・フォノグラフ・マニュファクチャリング社(General Phonograph Manufacturing Corporation)が発足し、旧体制下のフォノグラフ部品・用品製造を引き継ぎました。これはレコード製造販売そのものではありませんが、オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)を取り巻く事業再編が4月には明確に進んでいたことを示す動きです。
ブラック・パティ
シカゴ・レコード社(Chicago Record Company)のレーベルであるブラック・パティ(Black Patti)では、最初の録音群が1927年4月3日までにいったんまとまり、その後、4月下旬にモゼル・オールダーソン(Mozelle Alderson, 1900–1962)とブラインド・ジェイムズ・ベック(Blind James Beck, 生没年不明)による追加録音が始まりました。5月の初回発売に先立つ実質的な制作月として、4月はこのレーベルの立ち上がりを具体的に確認できる月です。
ジェネット
ブラック・パティ(Black Patti)の制作実務を支えていたのは、スター・ピアノ社(Starr Piano Company)のジェネット・レコード(Gennett Records)でした。シカゴ・レコード社(Chicago Record Company)の原盤はスター・ピアノ社(Starr Piano Company)側に委託され、プレスも同社工場が担当していたため、1927年4月の独立系市場では、ジェネット・レコード(Gennett Records)側の受託制作・受託製造も重要な企業活動でした。表に出るレーベル名はブラック・パティ(Black Patti)でも、製造の中核はスター・ピアノ社(Starr Piano Company)にありました。
カメオ
カメオ・レコード社(Cameo Record Corporation)でも、1927年4月の制作活動を確認できます。4月にはルーブ・ブルーム(Rube Bloom, 1902–1976)の「Soliloquy」と「Spring Fever」がカメオ盤として動いており、4月20日にはドン・ヴォーヒーズ(Don Voorhees, 1903–1989)楽団のカメオ用録音も確認できます。大手3社だけでなく、中価格帯市場でも4月に継続した録音制作が行われていたことを示す事例です。
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)でも、1927年4月のディスク制作が確認できます。4月6日にはフィル・ナポレオン(Phil Napoleon, 1901–1990)楽団の録音、4月11日にはドン・ヴォーヒーズ(Don Voorhees, 1903–1989)楽団の録音が行われており、同社は当月も流行歌とダンス音楽の新制作を継続していました。なお、1927年は同社が電気録音へ移る年ですが、本格転換は5月以後であり、4月はまだ過渡期の営業と制作が続いていた段階です。
- https://mainspringpress.org/wp-content/uploads/2026/01/RUST_JRR-6.pdf
- https://adp.library.ucsb.edu/pdfs/edison_4m-cyls.pdf
シカゴ・グラモフォン・ソサエティ
企業本体ではありませんが、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)のシカゴ録音所を使って動いていたシカゴ・グラモフォン・ソサエティ(Chicago Gramophone Society)も、1927年4月の録音文化を示す要素として見落とせません。この団体の最初期の私家盤はコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)のシカゴ録音所で制作され、1927年4月にマリオン・ロバーツ(Marion Roberts, 生没年不明)がパリで殺害された直後の時期とも重なります。量産市場とは別に、会員制・少量制作の録音活動も同月の周辺で動いていました。
