1927年1月に録音された音楽
1927年1月は、英国で英国放送協会(British Broadcasting Corporation)が1月1日に最初のRoyal Charterを得て発足し、放送が恒常的な公共制度として新しい段階へ入りました。1月7日にはアメリカ合衆国と英国のあいだで商用の大西洋横断電話サービスが正式に始まり、長距離通信の実用化が大きく前進しました。1月10日にはベルリンでフリッツ・ラング(Fritz Lang, 1890–1976)監督の映画『メトロポリス』(Metropolis)が初公開され、機械文明と巨大都市を主題とする映画表現が国際的な注目を集めました。外交面では、1月13日に連合国および関連諸国(Allied and Associated Powers)がドーズ賠償年賦(Dawes annuities)の配分に関する協定に署名し、戦後賠償処理の枠組みが再確認されました。中国では、1926年12月の中華民国国民政府移転に続き、1927年1月に漢口と武昌が統合されて武漢が成立し、長江中流域の政治的重要性がいっそう高まりました。
この月の確認されている録音:0曲
1927年1月の録音に関する情報のまとめ
1927年1月の録音業界では、電気録音盤の音質訴求、高級機の実演販売、放送連動の広告、地方販路の再編、廉価盤や系列ブランドの拡張が同時進行していました。年初の資料を通して見ると、各社は単なる新譜発売だけでなく、店頭実演、新聞広告、ネットワーク放送、地方ディストリビューター対策を組み合わせて需要を動かしており、機械販売とレコード販売を一体化した競争がさらに明確になっていたことがわかります。
ヴィクター
ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)は、年初の業界資料で、オルソフォニック・コンサートの設置がホリデー期の機械とレコードの売上を大きく刺激したと報じられています。さらに2月初旬の業界紙では、ヴィクターの全国新聞広告が新しいオルソフォニック録音を前面に押し出し、放送番組と ready-made ads を店頭販売へ結び付ける方針が示されていました。同じ時期に外国盤部門ではウィーン風ワルツの特別キャンペーンも進められており、1927年初頭の同社が、広告、放送、実演、外国盤販売を並行して動かしていたことが確認できます。
- https://archive.org/stream/talkingmachinewo23bill/talkingmachinewo23bill_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/Phonograph-%26-Talking-Machine-Weekly-1927-02-09.pdf
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)では、1927年1月号の業界誌に、ヴィヴァ=トーナル蓄音機、ニュー・プロセス盤、ハーモニー盤の販売が好調であったとする報告が載っており、年明けの時点で高級機から廉価盤まで幅広い系列商品が動いていたことがわかります。2月の業界紙でも、ニュー・プロセス盤が「Made the new way—Electrically—Viva-tonal Recording」として継続的に押し出され、マスターワークス・シリーズ(Masterworks Series)も安定した需要を得ていました。加えて、店頭では実演演奏会とルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770–1827)記念催事の準備が進められており、同社が電気録音の音質訴求とアルバム販売、販促催事を同時に展開していたことが確認できます。
- https://archive.org/stream/talkingmachinewo23bill/talkingmachinewo23bill_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/Phonograph-%26-Talking-Machine-Weekly-1927-02-09.pdf
ブランズウィック
ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は、年初の販促でパナトロープを販売の中心に据え、新しいパナトロープ機種を加えながら高価格帯市場への浸透を図っていました。2月初旬の業界紙でも、1,200ドル前後の大型パナトロープが地方支店で品薄になるほど動いたこと、1月のレコード需要が例年どおり強く、電気録音盤の訴求が再び古い楽曲を売れ筋に変えていることが報じられています。さらに、ブランズウィック側では race recordings を担当する人員も動いており、同社が高級機、ポピュラー盤、特定市場向け録音を一体で押していたことが読み取れます。
- https://archive.org/stream/talkingmachinewo23bill/talkingmachinewo23bill_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/Phonograph-%26-Talking-Machine-Weekly-1927-02-09.pdf
エジソン
トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、1927年1月15日号の業界紙が、販売部門であるエジソン・フォノグラフ・ディストリビューティング社(Edison Phonograph Distributing Co.)が二つのジョバーを引き継ぎ、H・E・ポーター(H. E. Porter, 生没年不明)をアトランタ部門の責任者に置き、ヘレナ支店の管轄をカンザスシティとデンヴァーへ分割したと伝えています。1927年1月の同社については、新機種の大規模宣伝よりも、まず流通網の整理と地域管理の再編が前景にあり、販売体制の立て直しがその月の重要な動きでした。
オーケー
オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)は、1927年初頭の資料で、オットー・ハイネマン(Otto Heineman, 生没年不明)が社長兼総支配人として前面に出され、年初の見通しを語っていました。2月初旬には、アラン・W・フリッチェ(Allan W. Fritzsche, 生没年不明)が主要市場を巡回する長期出張に出ており、営業面のてこ入れが進んでいたことがわかります。さらに、バー・ハーバー・ソサエティ・オーケストラ(Bar Harbor Society Orchestra)の専属録音契約も報じられており、同社は1927年初頭の段階で、販路巡回と録音陣拡張の双方を進めていました。
- https://archive.org/stream/talkingmachinewo23bill/talkingmachinewo23bill_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/Phonograph-%26-Talking-Machine-Weekly-1927-02-09.pdf
ヴォカリオン
ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)のヴォカリオン(Vocalion)部門では、1927年1月号の業界誌に、1か月で5万枚を売った盤が出たことが race record 部門の成果として報じられています。加えて、同じ時期の業界紙には、ヴォカリオンの販売促進部隊が市場を回っていたことも見えており、ヴォカリオンが1927年初頭の段階で独立した販売推進対象として扱われていたことは明らかです。年初の録音市場では、この部門が無視できない比重を持っていました。
ソノラ
ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)については、2月初旬の業界紙が、シラキュース方面の販売組織が1月に Sonora で好調な売上を上げ、2月も強い滑り出しを見せたと伝えています。記事では、新しい六球シールド式ラジオ受信機に加えて、新型蓄音機の品質が急速に浸透しているともされており、1927年1月の同社が、蓄音機とラジオを並行して押し出しながら販売網を拡張していたことがわかります。
