1927年6月に録音された音楽

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1927年6月に録音された音楽

1927年6月は、航空、外交、放送、天文観測が同時に大きく動いた月でした。6月6日にはクラレンス・ダンカン・チェンバリン(Clarence Duncan Chamberlin, 1893–1976)とチャールズ・アルバート・レヴィーン(Charles Albert Levine, 1897–1991)が大西洋横断飛行を終え、搭乗客を伴う最初の大西洋横断飛行として注目を集めました。6月11日にはチャールズ・オーガスタス・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh, 1902–1974)のワシントン到着が大規模に中継され、全国同時放送時代の象徴的出来事となりました。6月20日にはアメリカ合衆国、イギリス、日本が参加するジュネーヴ三国海軍軍縮会議(Three-Power Conference at Geneva for the Limitation of Naval Armament)が始まり、戦後の海軍軍縮交渉が再び主要外交課題として前面に出ました。6月29日には皆既日食が広く観測され、同日にはアルバート・フランシス・ヘーゲンバーガー(Albert Francis Hegenberger, 1895–1969)とレスター・ジェームズ・メイトランド(Lester James Maitland, 1899–1969)がバード・オブ・パラダイス号でアメリカ本土からハワイへの初飛行を達成し、長距離航空の実用化を印象づけました。

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1927年6月の録音に関する情報のまとめ

1927年6月の録音業界では、すでに電気録音へ移行していた大手各社が通常の新譜制作を続ける一方で、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では六月末に商業用電気録音が始まり、長く続いたアコースティック録音からの転換が具体的な形を取りました。当月の資料で直接確認できる企業活動としては、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)、リーガル・レコード社(Regal Record Company, Inc.)を中核とする低価格盤網、オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)、スター・ピアノ社(Starr Piano Company)のジェネット・レコード(Gennett Records)、そしてトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)の動きが挙げられます。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)では、1927年6月14日のニューヨーク録音で、フランク・シニョレッリ(Frank Signorelli, 1901–1975)らによる器楽トリオの録音が確認できます。六月の同社は通常の都市スタジオ制作を継続しており、月内にも新しい商業録音が平常どおり積み上げられていました。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)では、テッド・ルイス(Ted Lewis, 1890–1971)とその楽団が、1927年6月2日に「Alexander’s Ragtime Band」を、6月8日に「Beale Street Blues」をニューヨークで録音していました。六月の同社では、電気録音体制のもとで人気楽団の継続的な制作が進められていたことが確認できます。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)では、1927年6月22日にヘイズでフレッド・エリサルデ(Fred Elizalde, 1907–1979)とそのケンブリッジ・アンダーグラデュエーツが「Stomp Your Feet」と「Clarinet Marmalade」を録音し、ヒズ・マスターズ・ヴォイス(His Master’s Voice)B-5315として発売されました。同年六月から七月にかけてはフレッド・エリサルデ本人のピアノ録音も確認でき、同社が英米市場にまたがる制作を続けていたことがわかります。

リーガル

リーガル・レコード社(Regal Record Company, Inc.)は、バナー(Banner)、ドミノ(Domino)、リーガル(Regal)、オリオール(Oriole)などの低価格盤を供給した製造側の中核でした。一方、プラザ・ミュージック社(Plaza Music Company)は販売・流通会社であり、製造会社ではありません。1927年6月21日のニューヨーク録音では、モード・ミルズ(Maude Mills, 生没年不明)の録音がこの低価格盤網に流れており、六月にも低価格市場向けの量産的供給が活発に続いていたことが確認できます。

オーケー

オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)は、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)の子会社となった後も、1920年代後半にはかなり自律的に運営されていました。1927年4月1日からニューヨークのティファニー・ビルへスタジオを移し、1927年6月27日の録音ではオーケー盤用マスターが確認できます。六月の時点で同社は独自のスタジオと制作判断を維持しつつ、製造面ではコロムビア側の体制に接続されていました。

ジェネット

スター・ピアノ社(Starr Piano Company)のジェネット・レコード(Gennett Records)でも、1927年6月のリッチモンド録音が確認できます。6月13日には四重唱録音、6月14日には女性デュオ録音があり、6月27日にはクララ・スミス(Clara Smith, 1894–1935)の録音が行われました。大手二社やブランズウィックだけでなく、中西部の独立系大手でも六月の制作が継続していたことを示しています。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、主要アメリカ会社の中で最後発の転換組でしたが、1927年5月に電気録音への切り替えを始め、1927年6月30日にはフアン・プーリド(Juan Pulido, 生没年不明)による録音が商業用電気録音マスターとして確認できます。会社史料では、この新方式がゼネラル・エレクトリック社(General Electric Company)系の設備に依拠していたことも示されており、1927年6月はエジソンの旧方式終末期を象徴する月でした。