1927年5月に録音された音楽

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1927年5月に録音された音楽

1927年5月は、法・政治・技術・文化が同時に大きく動いた月でした。合衆国では5月2日、合衆国最高裁判所(Supreme Court of the United States)がバック対ベル事件(Buck v. Bell)でヴァージニア州の強制不妊法を合憲と判断し、優生思想を制度面で後押しする判決を下しました。5月には映画芸術科学アカデミー(Academy of Motion Picture Arts and Sciences)が発足し、映画産業の制度化が進みました。18日にはミシガン州でバース学校爆破事件(Bath School disaster)が起こり、多数の児童と教職員が犠牲となりました。20日にはイギリスとヒジャーズ及びナジュド王国(Kingdom of the Hejaz and Nejd)とのあいだでジェッダ条約(Treaty of Jeddah)が調印され、中東政治の転機となりました。20日–21日にはチャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh, 1902–1974)がスピリット・オブ・セントルイス号(Spirit of St. Louis)で大西洋単独無着陸飛行を成功させ、26日にはフォード・モーター社(Ford Motor Company)がフォード・モデルT(Ford Model T)の象徴的な生産終了を迎えました。

この月の確認されている録音:0曲

1927年5月の録音に関する情報のまとめ

1927年5月の録音業界では、海外市場の再編、電気式再生機の普及、地方・現地録音の拡大、時事性を持つ新録音の投入が同時に進んでいました。コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co.)は海外資本展開を進め、ブランズウィック・バルク・コーレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)は電気式蓄音機の販売訴求を強め、スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)のジェネット・レコード(Gennett Records)とエオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)は地方音楽や地域芸能の録音を広げていました。オーケー・レコード(Okeh Records)ではジャズ録音の存在感が強まり、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では旧来媒体の販売継続と新録音の投入が並行していました。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co.)は、コロムビア・グラフォフォン社(Columbia Graphophone Co.)と連動してニッポノフォン社(Nipponophone Co.)の支配権取得を進めていたことが、1927年5月号の業界誌で確認できます。これは単なる新譜販売ではなく、日本市場への本格的な資本進出として位置づけられる動きでした。1927年5月のコロムビアは、録音商品の供給だけでなく、国際的な生産・販売網の再編そのものを進めていたようです。

ブランズウィック

ブランズウィック・バルク・コーレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)では、パナトロープ(Panatrope)が1927年5月の技術誌で本格的な電気式蓄音機として紹介されており、翌月の業界誌でも電気式再生の価格帯拡張が販売材料として扱われていました。つまりこの月の同社は、レコードそのものよりも、電気式再生機を家庭市場へ広げることを前面に出していたといえます。録音会社であると同時に再生機メーカーでもある同社の性格が、1927年5月にははっきり表れていました。

ジェネット

スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)のジェネット・レコード(Gennett Records)は、リッチモンドでの通常録音を1927年5月7日に続けていたことがディスコグラフィーで確認できます。さらに同月には、ノルウェー系移民音楽を採録するためセントポールへ赴いたことが後年研究で確認されており、ジェネットが都市の常設録音だけでなく、地域文化を対象とした現地録音へ踏み込んでいた時期であったことがわかります。1927年5月のジェネットは、地方音楽市場の開拓を録音実務として進めていた企業でした。

オーケー

オーケー・レコード(Okeh Records)では、1927年5月にジャズ録音の存在感がいっそう強まっていました。ルイ・アームストロング(Louis Armstrong, 1901–1971)のホット・セヴン(Hot Seven)は、1927年5月にシカゴでオーケー・レコード(Okeh Records)のための録音を行ったことがディスコグラフィーで確認できます。加えて、1927年5月号の『Phonograph Monthly Review』では、フランキー・トランバウアー(Frank Trumbauer, 1901–1956)とビックス・バイダーベック(Bix Beiderbecke, 1903–1931)によるオーケー盤《Singin’ the Blues》が論評対象になっており、同レーベルのジャズ新譜が当月の市場で現実に動いていたことがわかります。オーケーはこの月、単なる人気レーベルではなく、ジャズの新しい表現を市場に出す場として機能していました。

ヴォカリオン

エオリアン社(The Aeolian Company)のヴォカリオン(Vocalion)では、アンクル・デイヴ・メイコン(Uncle Dave Macon, 1870–1952)とフルート・ジャー・ドリンカーズ(Fruit Jar Drinkers)の録音が1927年5月にニューヨークで行われたことが、グランド・オール・オープリー史の研究書で確認できます。これは南部の地域芸能を都市スタジオへ運び込む動きの一環であり、ヴォカリオンがすでに全国市場向けの地方音楽商品化を進めていたことを示します。1927年5月のヴォカリオンは、都市の流行歌だけでなく、南部ローカル音楽の録音と販売にも積極的でした。

トーマス・A・エジソン社

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、1927年5月時点でもシリンダー商品の販売を継続していました。ヘンリー・フォード(Henry Ford, 1863–1947)ゆかりのヘンリー・フォードのオールド・タイム・ダンス・オーケストラ(Henry Ford’s Old Time Dance Orchestra)による《Golden Slippers Medley》は、同社から1927年5月発売として確認できます。また、チャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh, 1902–1974)の大西洋飛行に即応するかたちで、ヴァーノン・ダルハート(Vernon Dalhart, 1883–1948)の《Lucky Lindy》が1927年5月27日に録音されており、同社が時事的話題をすばやく録音商品へ転換していたこともわかります。1927年5月のトーマス・A・エジソン社は、旧来媒体を維持しつつ、新しい話題曲の投入も続けていた段階でした。