1928年に録音された音楽
1928年は、第一次世界大戦後の「再び大戦を起こさない」国際的な意思表示が制度化される一方で、各地の政治的緊張や国家動員の色合いも濃くなっていく、二つの流れが同時に進んだ年でした。とくに象徴的なのが、戦争を国策の手段として放棄する一般条約(Treaty Providing for the Renunciation of War as an Instrument of National Policy、通称Kellogg–Briand Pact)で、1928年8月27日に署名され、フランク・B・ケロッグ(Frank B. Kellogg, 1856–1937)とアリスティド・ブリアン(Aristide Briand, 1862–1932)の名を冠する「戦争違法化」の理想が掲げられました。
同時に、参政権と政治参加の「広がり」もはっきり見えます。英国ではRepresentation of the People (Equal Franchise) Act 1928が成立し、男女の選挙権が年齢面でも平等化しました。日本では男子普通選挙法に基づく最初の総選挙(第16回衆議院議員総選挙)が1928年2月20日に実施され、有権者の裾野が大きく広がりますが、直後の三・一五事件(1928年3月15日)に代表されるように、社会運動への強い統制も進み、拡大と抑圧が同じ時間に並走しました。
国家の経済運営は、より「計画」と「動員」へ傾きます。ソ連では第一次五カ年計画(First Five-Year Plan, 1928–1932)が採択され、ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin, 1878–1953)の下で重工業化と農業集団化が推し進められました。米国ではハーバート・クラーク・フーヴァー(Herbert Clark Hoover, 1874–1964)が大統領選挙に勝利し、1920年代後半の繁栄と、その内側に蓄積する矛盾の双方が政治の言葉として強く意識されていきます。中南米ではメキシコでアルヴァロ・オブレゴン(Álvaro Obregón, 1880–1928)が1928年7月に暗殺され、革命後体制の不安定さが国際的にも注目されました。
東アジアでは勢力図の再編が進みます。中国では国民党が北伐を再開し、1928年6月に北京を占領して統一政府形成へと踏み込み、チャン・カイシェク(Chiang Kai-shek, 1887–1975)が国民政府の指導者として位置づけられていきます。一方、現地衝突が外交を硬直させうる例として、済南事件(1928年5月)のような武力衝突も起こり、地域の安全保障環境が不安定化していきました。
科学技術と大衆文化の回路も、加速度的に太くなります。アレクサンダー・フレミング(Alexander Fleming, 1881–1955)が1928年にペニシリンを発見したことは、のちの医療と社会構造(感染症の死亡率、都市生活、戦争医療)に長期的影響を与えました。娯楽では、映画が「音声を伴う日常」へ本格的に接続され、ワーナー・ブラザースのVitaphone方式による『Lights of New York』(1928)が全編トーキー長編として言及されるなど、映像産業の中心が無声から音声へ移ります。スポーツでは、アムステルダムの1928年オリンピックで女子の陸上競技が初めて正式に実施され、身体表現と報道・興行が結び付く回路が拡張しました。
このように1928年は、国際秩序の理念(戦争放棄)と、国家の統制強化・社会運動の弾圧・地域紛争の火種が同じ年表に同居し、さらに「音の大衆化」(トーキー化、興行、放送・録音を含むメディア環境)へ向かう基盤も固まった年でした。翌年以降に顕在化する世界的な急旋回を前に、政治・経済・技術・大衆文化が互いに影響し合いながら、次の時代の輪郭を押し広げていたことが読み取れます。
