1928年1月に録音された音楽

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1928年1月に録音された音楽

1928年1月は、国際政治、医学、都市災害、火山活動が同時に動いた月でした。1月16日、キューバ共和国のハバナで第六回アメリカ諸国国際会議(Sixth International Conference of American States)が開幕し、米州間の重要会議として注目されました。ソビエト社会主義共和国連邦では、レフ・トロツキー(Leon Trotsky, 1879–1940)が1月にアルマ・アタへ追放され、革命後の政治対立がさらに深まりました。医学分野では、フレデリック・グリフィス(Fred Griffith, 1879–1941)の論文「The Significance of Pneumococcal Types」が1928年1月号に掲載され、後の遺伝学史に大きな影響を与えました。1月7日にはテムズ川(River Thames)がロンドンで氾濫し、多数の浸水被害と死者を出しました。さらにインドネシアのクラカタウ火山群(Krakatau group)では、1月の海底噴火によって後にアナク・クラカタウ(Anak Krakatau)と呼ばれる新しい火山体が海面上に現れました。

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1928年1月の録音に関する情報のまとめ

1928年1月の録音業界では、電気録音の定着を前提に、各社が新譜制作、実演放送との連動、販売店網の整備、再生機の拡販を並行して進めていました。当月の資料上で活動を確認できる対象としては、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)、ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(The Brunswick-Balke-Collender Company)、そのヴォカリオン(Vocalion)、オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corp.)、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Company, Inc.)を挙げることができます。1928年1月の業界紙をみると、録音そのものだけでなく、電気式蓄音機とラジオを結びつけた販売競争が、月初から強く前面化していました。

ヴィクター

ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)では、1928年1月11日にポール・ホワイトマン(Paul Whiteman, 1890–1967)楽団が「Parade of the Wooden Soldiers」を録音しており、当月の制作活動を確認できます。1928年1月のヴィクターは、オーソフォニック時代の主力楽団を引き続きスタジオへ入れながら、電気録音期の人気曲を新たに送り出していた月と位置づけられます。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、1928年1月初頭の業界紙で、コロムビア=コルスター・ヴィヴァ=トーナル電気式蓄音機(Columbia-Kolster Viva-tonal electric phonograph)を用いた比較実演を行っていました。1月9日にはアート・ギルハム(Art Gillham, 1895–1961)が「Nobody’s Lonesome But Me」「Just for Tonight」を録音しており、電気再生機の販促と新譜制作が当月の段階で結び付いていたことがわかります。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルケ=コレンダー社(The Brunswick-Balke-Collender Company)は、1928年1月号の業界紙で、低価格帯のブランズウィック・パナトロープ(Brunswick Panatrope)を前面に出していました。さらに同月の業界紙では、同社のパナトロープ部門責任者のハワイ出張、販売店の新規任命、そしてジョニー・マーヴィン(Johnny Marvin, 1897–1944)の店頭出演によるレコード販促が報じられており、ブランズウィックは録音物の供給だけでなく、再生機と店頭実演を組み合わせた販売活動を強く進めていたことが読み取れます。

ヴォカリオン

ヴォカリオン(Vocalion)は、1928年1月にはブランズウィック=バルケ=コレンダー社(The Brunswick-Balke-Collender Company)のレーベルとして活動していました。ジム・ジャクソン(Jim Jackson, 1884–1933)は同月に再びスタジオへ呼び戻され、「Jim Jackson’s Kansas City Blues, Parts 3 & 4」を含む続録音を行いました。また1月24日にはルエラ・ミラー(Luella Miller, 生没年不明)がシカゴで「Muddy Stream Blues」を録音しており、ヴォカリオンが当月もブルース録音を継続していたことが確認できます。

オーケー

オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corp.)では、1928年1月8日付の盤として、ディミトリ・コルニエンコ(Dimitri Kornienko, 生没年不明)指揮のコルニエンコ・ウクライナ管弦楽団による録音が確認できます。オーケーはこの時期、英語圏の大衆音楽だけでなく、移民社会向けの民族系カタログも継続して供給しており、1928年1月の時点でもその路線が保たれていました。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)については、1928年1月号の業界紙で、新型エディソニック(Edisonic)の売上が「optimistic expectations」を上回ったと報じられています。録音面でも、1月10日にマリー・ケルナー(Murray Kellner, 1901–1991)率いるマリー・ケルナー・ディナー・ミュージック・アンサンブル(Murray Kellner Dinner Music Ensemble)が「Melody of Love」を録音しており、当月の同社が機器販売と新録音の両方を進めていたことが確認できます。

ソノラ

ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Company, Inc.)は、1928年1月号の業界紙で「Sonora Selective Radio and the Tonalic Sonora Phonograph」を掲げ、複数地域の販売網をともなうかたちで製品訴求を行っていました。1928年1月のソノラは、純粋な録音制作会社というよりも、ラジオと蓄音機の併売時代に対応した製品系列と流通網の整備を進めていた会社として位置づけられます。