1929年8月に録音された音楽

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1929年8月に録音された音楽

1929年8月は、国際政治と大衆文化が同時に大きく動いた月でした。ハーグ賠償会議(The Hague Conference on Reparations)では、ヤング案(Young Plan)を具体化する協議が8月6日–31日に進み、第一次世界大戦後の賠償体制は再編段階に入りました。8月8日にはグラーフ・ツェッペリン号(LZ 127 Graf Zeppelin)が世界周航へ出発し、長距離航空の実用性を強く印象づけました。アメリカ合衆国では8月11日にベーブ・ルース(Babe Ruth, 1895–1948)が通算500本塁打へ到達し、8月18日開始の女性航空ダービー(Women’s Air Derby)は女性飛行士の全国的可視化を進めました。いっぽう、イギリス委任統治領パレスチナでは8月下旬に1929年パレスチナ暴動(1929 Palestine riots)が発生し、8月24日のヘブロン虐殺(Hebron massacre)では67人のユダヤ人住民が殺害されました。技術の進歩と大衆娯楽の拡張が際立つ一方で、国際秩序と民族対立の不安定さも露出した月だったといえます。

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1929年8月の録音に関する情報のまとめ

1929年8月の録音業界では、ニューヨークを中心に複数社の新規制作が並行して進み、流行歌、ダンス・バンド、ジャズ、スペイン語歌唱、放送用プログラム盤、映画音声素材まで、録音対象の幅がかなり広がっていました。1929年8月23日の制作記録だけでも、ラジオ=ヴィクター社(Radio-Victor Corporation of America)のヴィクター部門、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)、オーケー・フォノグラフ社(OKeh Phonograph Corporation)、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)、アメリカン・レコード社(American Record Corporation)、スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)のジェネット・レコード(Gennett Records)が同日に活動しており、当月の制作密度の高さが分かります。加えて、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)も同月の業界誌上でエジソン・ダイヤモンド・ディスク(Edison Diamond Disc)の新譜案内を継続しており、録音日が確認できる会社群とは別に、販売・供給面でなお存在感を保っていました。

ヴィクター

ラジオ=ヴィクター社(Radio-Victor Corporation of America)のヴィクター部門では、1929年8月23日に幅広い録音が確認できます。流行歌・ダンス音楽では「Too Wonderful for Words」「You Made Me Love You, Why Did You?」「Steppin’ Along」が並び、同日にはバーニー・カミンズ・アンド・ザ・ニュー・ヨーク・ビルトモア・オーケストラ(Bernie Cummins and the New York Biltmore Orchestra)やハイ・ハッターズ(The High Hatters)名義の制作も見えます。さらに、スペイン語歌唱盤、映画音声のフィルム・トゥ・ワックス転写、ニュース映画音声まで同日に処理されており、当月のヴィクターがポピュラー音楽会社であると同時に、映画・放送時代に対応した総合録音企業として動いていたことが分かります。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)では、1929年8月23日に「My Song of the Nile」「How Am I to Know?」「Somebody Mighty Like You」「It’s You」「Through! (How Can You Say We’re Through)」などが録音され、流行歌手盤とダンス・バンド盤の双方が動いていました。さらに8月26日には、クラレンス・ウィリアムズ・アンド・ヒズ・ジャズ・マスターズ(Clarence Williams and His Jazz Masters)名義で「A Pane in the Glass」と「Freeze Out」が録音されており、同月のコロムビアが主流ポピュラー市場とジャズ市場を並行して維持していたことが確認できます。

オーケー

オーケー・フォノグラフ社(OKeh Phonograph Corporation)でも、1929年8月の制作は継続していました。8月23日の記録には「My Song of the Nile」「Am I Blue?」「Ain’t Misbehavin’」が確認でき、歌手盤と小編成伴奏盤の組み合わせが続いています。オーケーは1920年代末までジャズとポピュラー歌唱の両面で強い存在感を保っており、1929年8月時点でもその路線が明確に続いていました。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は、1929年8月23日に通常の歌唱盤だけでなく、Bremer-Tully broadcast record や Dyer-Enzinger program といった放送・販促・業務用途に近い盤も制作していました。さらに8月27日には、レッド・ニコルズ・アンド・ヒズ・ファイヴ・ペニーズ(Red Nichols and His Five Pennies)による「Brunswick brevities program E, part 3」が確認でき、同社が当月にジャズ系編成と放送向け素材の双方を扱っていたことが分かります。1929年8月のブランズウィックは、一般向け市販盤だけでなく、ラジオ時代に合わせた周辺フォーマットにも動いていたと見てよいです。

アメリカン・レコード

アメリカン・レコード社(American Record Corporation)は、1929年7月に本格稼働へ入ったばかりの新しい再編企業でしたが、8月23日の記録にはすでに同社名義の制作が見えます。同日の内容は「Am I Blue?」「Pagan Love Song」「Little Pal」「My Song of the Nile」「Rose of Romany」など、パイプ・オルガン主体の伴奏盤が中心で、量販向け低価格市場を意識した編成として理解できます。1929年8月は、アメリカン・レコード社が旧カメオ、パテ、プラザ系ブランド再編後の制作体制を実際に動かし始めた初期局面として重要です。

ジェネット

スター・ピアノ社(Starr Piano Co.)のジェネット・レコード(Gennett Records)でも、1929年8月23日にデュオ・ペレイラ=ゴンサレス(Duo Pereira-González)による「Ojos tristes」と「Indita mia」が録音されています。大手各社がニューヨークの流行歌とジャズで競っていた同月に、ジェネットではギター伴奏付きのスペイン語系レパートリーが記録されており、同社が1929年後半に入っても地域色・言語圏別需要へ対応していたことが分かります。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)については、1929年8月中の新規録音日を今回確認できませんでしたが、同月の『Talking Machine World and Radio-Music Merchant』ではエジソン・ダイヤモンド・ディスク(Edison Diamond Disc)の新譜一覧が掲載されており、少なくとも販売・供給活動は継続していました。録音現場の動きが確認できる他社群とは性格が異なりますが、1929年8月の市場でエジソン製品がなお流通していたこと自体は一次資料上で確認できます。