1929年10月に録音された音楽

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1929年10月に録音された音楽

1929年10月は、政治、社会、文化、経済が同時に大きく動いた月でした。10月3日にはドイツ外交を支えたグスタフ・シュトレーゼマン(Gustav Stresemann, 1878–1929)が死去し、同日にはアレクサンダー1世(Alexander I, 1888–1934)のもとでユーゴスラビア王国(Kingdom of Yugoslavia)が正式に成立しました。10月4日–10日にはラムゼー・マクドナルド(Ramsay MacDonald, 1866–1937)がアメリカ合衆国を訪問し、英米協調と海軍軍縮が国際政治の焦点となりました。10月12日にはオーストラリア連邦総選挙が行われ、ジェームズ・ヘンリー・スカリン(James Henry Scullin, 1876–1953)の労働党政権成立につながりました。10月18日にはエドワーズ対カナダ司法長官事件(Edwards v. Attorney-General for Canada)で女性が上院議員任命の対象となる「persons」であることが確認され、同月にはフィラデルフィア・アスレチックス(Philadelphia Athletics)がワールドシリーズ(World Series)を制しました。その一方で、10月24日のブラック・サーズデー(Black Thursday)と10月29日のブラック・チューズデー(Black Tuesday)は、ニューヨーク証券取引所(New York Stock Exchange)の急落を通じて世界経済を不況局面へ押し込みました。

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1929年10月の録音に関する情報のまとめ

1929年10月の録音業界は、レコードそのものの新譜供給を続けながらも、販売の中心が急速にラジオ一体型機、電気式再生機、携帯型機へ移っていたことを確認できます。ヴィクター系ではアールシーエー=ヴィクター社(RCA-Victor Company, Inc.)への再編と Victor Radio-Electrola の訴求が前面に出ており、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)では Brunswick Panatrope の価格訴求が強まっていました。コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co.)は Columbia Records と Columbia Viva-Tonal の両面で広告を継続し、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では10月中にレコード事業整理の方針が固まり、月末には商業レコード生産停止が正式に通知されました。1929年10月は、録音産業がなお活発に動いていた一方で、事業の重心が「レコード会社」から「総合家庭娯楽機器企業」へ移りつつあった月として位置づけられます。

ヴィクター

1929年10月のヴィクター系最大の出来事は、ヴィクター・トーキング・マシン社(Victor Talking Machine Company)を核とする事業が、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)、ゼネラル・エレクトリック社(General Electric Company)、ウェスティングハウス・エレクトリック・アンド・マニュファクチャリング社(Westinghouse Electric & Manufacturing Company)の再編の中で、新しいアールシーエー=ヴィクター社(RCA-Victor Company, Inc.)体制へ向かったことでした。1930年1月1日付の業界紙には、すでにヴィクター・トーキング・マシン部門(Victor Talking Machine Division)を掲げるアールシーエー=ヴィクター社(RCA-Victor Company, Inc.)の広告が現れており、その主力商品は Victor Radio-Electrola RE-75、Victor Radio with Electrola RE-45 などの電気式複合機でした。10月3日付の新聞広告でも Victor Radio Electrola が「radio」と「record music」を結合した最新機として前面に出ており、1929年10月のヴィクター系事業が、蓄音機専業時代を終えて総合電気音響機器の販売段階へ入っていたことは明白です。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)については、1929年10月14日付と10月22日付の広告で Brunswick Panatrope の販売攻勢が確認できます。10月14日付広告では Royal Show で披露した電気式機種として Brunswick Panatrope が訴求され、10月22日付広告では同じ系統の人気機種が「new low price」で再提示されていました。ここで重要なのは、広告の中心が個別レコードではなく電気再生機そのものである点です。1929年10月のブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)は、録音物の販売を支える機械側の商品力を前面に押し出し、レコード会社であると同時に電気式家庭娯楽機器の供給企業として振る舞っていました。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co.)では、1929年10月の広告に Columbia Records と Columbia Viva-Tonal の両方が現れています。10月19日付広告では “Just Listen to These. Columbia Records.” の見出しで当時の Columbia Records が列挙され、同社が依然としてレコード販売を積極的に続けていたことがわかります。さらに10月31日付広告では Columbia Viva-Tonal Model 127 が、木製キャビネット入りの据置機として訴求されていました。加えて、10月の別広告では Columbia Portable の販促も確認でき、同月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co.)が、据置型の Columbia Viva-Tonal と携帯型の Columbia Portable を併走させながら、レコードと機械を一体で売る方針を維持していたことが読み取れます。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、1929年10月がレコード事業終結の決定月でした。10月5日付の広告では、ニュー・エジソン・ポータブル・フォノグラフ・ニードル・タイプ(New Edison Portable Phonograph, Needle Type)が販売されており、同月の時点でもニードル式の横振幅式レコード商品を前面に出していたことが確認できます。一方、1929年10月12日付の社内文書「レコード事業廃止の件(Subject: Discontinuing the Record Business)」では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)のレコード事業が長年赤字であり、1929年9月の販売実績はエジソン・ラテラル・カット・レコード(Edison Lateral Cut Record)が29,766枚、エジソン・ヒル・アンド・デール・レコード(Edison Hill and Dale Record)が8,479枚だったと整理されています。同文書では、ラジオ=フォノグラフ複合機の販売維持、旧来の所有者への責任、会社の威信といった継続理由も挙げられていましたが、重い損失、ポータブル機の不利、録音費と宣伝費の増大、安価な競争品の存在、そしてレコード事業を衰退事業とみなす判断が、廃止理由として列挙されていました。

さらに、同月の別文書では、ブルー・アンベロール(Blue Amberol)の販売を10月26日で全面停止する案が示されています。そして10月29日付の業者向け通知「商業用レコード生産中止について(To the Trade — Re: Discontinuance of Commercial Record Production)」では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)が11月1日をもって商業用蓄音機レコードの生産を停止し、同日付でラジオ=フォノグラフ部門(Radio-Phonograph Division)をラジオ部門(Radio Division)へ改称すると正式に通告しました。続く11月13日付の文書では、在庫のエジソン・ヒル・アンド・デール・レコード(Edison Hill and Dale Record)とラテラル・カット・ニードル・レコード(Lateral Cut Needle Record)が処分販売に回されており、1929年10月が、販売継続と事業終結決定とが同時進行した最後の月だったことが確認できます。