1930年4月に録音された音楽
1930年4月は、世界恐慌下の停滞が社会の各層に広がる一方で、政治運動、軍縮交渉、航空技術の象徴的な出来事が重なった月でした。4月1日には第十五回アメリカ合衆国国勢調査(Fifteenth Census of the United States)の基準日が置かれ、社会と産業の実態把握が進められます。インドではマハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi, 1869–1948)が率いた塩の行進(Salt March)が4月6日にダンディーへ達し、塩税法への不服従が大衆運動として可視化されました。4月18日にはスーリヤ・セン(Surya Sen, 1894–1934)らによるチッタゴン武器庫襲撃(Chittagong Armoury Raid)が起こり、同じ月の反英運動をさらに先鋭化させます。4月22日には海軍軍備の制限及び縮小に関する条約(Treaty for the Limitation and Reduction of Naval Armament)が調印され、列強はなお軍縮体制の維持を模索していました。さらに4月20日にはチャールズ・オーガスタス・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh, 1902–1974)とアン・スペンサー・モロー・リンドバーグ(Anne Spencer Morrow Lindbergh, 1906–2001)がロッキード・シリウス機でアメリカ大陸横断速度記録を樹立し、航空時代の速度感覚をいっそう押し広げました。
この月の確認されている録音:0曲
1930年4月の録音に関する情報のまとめ
1930年4月の録音業界では、当月の録音日そのものを細かく公表する資料よりも、映画との連動、月次販売制度、外国盤強化、配給網再編、価格改定といった商業活動が前面に出ていました。4月の同時代業界紙では、ラジオ・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)、ブランズウィック・バルク・コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)、オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)の動きがとくに明瞭です。全社横断の「1930年4月録音日一覧」はこの月の業界紙では見当たりませんが、4月という月に直接ひもづく企業活動は相当量確認できます。
ラジオ・ヴィクター
1930年4月のラジオ・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は、映画連動と定期販売の両方を強めていました。4月9日号では、フィラデルフィアのヴィクター卸が『プッティン・オン・ザ・リッツ』(Puttin’ on the Ritz)、『ソング・オブ・ザ・ウェスト』(Song of the West)、『ソング・オブ・マイ・ハート』(Song o’ My Heart)、『ザ・ローグ・ソング』(The Rogue Song)、『ザ・リトル・ショウ』(The Little Show)、『フォロー・スルー』(Follow Through)、『ビター・スウィート』(Bitter Sweet)と録音物を結びつけた販促を行っていたことが報じられています。同じ4月9日号では、グリフィス・ヴィクター・ディストリビューティング社(Griffith Victor Distributing Corp.)が販売店に対し、ヴィクターの「レコード・オブ・ザ・マンス・クラブ」を組織して、毎月一定量のディスク需要を確保するよう促していました。4月23日号では、4月25日補遺に合わせてルドルフ・フリムル(Rudolf Friml, 1879–1972)作品集アルバムが売り場の好機と位置づけられ、ナサニエル・シルクレット(Nathaniel Shilkret, 1889–1982)の指揮と、作曲者自身によるピアノ独奏入りの構成が強調されています。4月30日号でもグリフィス・ヴィクター・ディストリビューティング社(Griffith Victor Distributing Corp.)は、ヴィクター集中販売を訴える全面広告を出しており、1930年4月のラジオ・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は、映画主題歌、新アルバム、月次クラブ制度を組み合わせて販売を下支えしていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-09.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-23.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-30.pdf
ブランズウィック
ブランズウィック・バルク・コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)は、1930年4月に再編、価格改定、映画連動、配給網組み替えが同時進行していました。4月9日号では、ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ社(Warner Bros. Pictures, Inc.)との提携観測が大きく報じられ、同時に紫盤・金盤の価格引き上げも伝えられています。4月16日号では、同社のラジオ、パナトロープ、レコード部門がワーナー・ブラザース・ピクチャーズ社(Warner Bros. Pictures, Inc.)へ正式に売却されたことが確認され、新会社名は未定ながらもブランズウィック商標を強く残す方針で、現行幹部が引き続き運営にあたるとされました。4月23日号では、この再編によってワーナー系の音楽出版社群と映画スター資源がブランズウィック側へ流入し、新ラインがすでにアトランティックシティの展示会へ向けて生産段階に入っていると報じられています。4月9日号と4月23日号の広告では、アル・ジョルソン(Al Jolson, 1886–1950)の『マミー』(Mammy)関連盤、ハリー・リッチマン(Harry Richman, 1895–1972)の『プッティン・オン・ザ・リッツ』(Puttin’ on the Ritz)関連盤、さらにベン・バーニー(Ben Bernie, 1891–1943)らによる映画連動盤が強く押し出されていました。加えて4月9日号ではテキサス地域の配給がスコールコフ社(Schoellkopf Co.)へ移され、4月23日号ではスー・フォールズ・ペイント・アンド・グラス社(Sioux Falls Paint & Glass Co.)の新規起用も伝えられており、1930年4月のブランズウィック・バルク・コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)は、企業構造そのものが変わる月でした。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-09.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-16.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-23.pdf
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は、1930年4月に外国盤強化、映画連動、アーティスト補強を同時に進めていました。4月2日号と4月30日号の広告では、毎月初めに新しい外国盤を投入する方針が繰り返し示され、三十種以上の言語・民族向けレパートリーを備えることが販売上の強みとして打ち出されています。4月2日号ではポール・トレメイン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Paul Tremaine and His Orchestra)による Columbia 2130-D が「Hand Me Down My Walkin’ Cane」「She’ll Be Comin’ Around the Mountain」を収めた話題盤として大きく広告されました。4月16日号では、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(Radio Corporation of America)がコロムビアを買収するという噂が、ジェームズ・G・ハーボード(James G. Harbord, 1866–1947)とヘンリー・C・コックス(Henry C. Cox, 生没年不明)の名で否定されています。4月23日号では、ロバート・シモンズ(Robert Simmons, 生没年不明)が新しいコロムビア専属盤歌手として紹介され、ジョン・マコーマック(John McCormack, 1884–1945)の映画『ソング・オブ・マイ・ハート』(Song o’ My Heart)から二曲を収めた初盤が5月15日に出ると告知されました。さらに4月30日号では、ポール・ホワイトマン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Paul Whiteman and His Orchestra)による Columbia 2163-D と Columbia 2164-D が、『キング・オブ・ジャズ』(The King of Jazz)からの盤として全面広告され、4月という月の店頭需要を映画公開前に取り込もうとしていました。1930年4月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は、民族市場、映画市場、放送歌手市場の三方向へ同時に広がっていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-02.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-16.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-23.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-30.pdf
オーケー
オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)は、1930年4月に分類補遺と個別話題盤を組み合わせる販売を明確にしていました。4月16日号の広告では、「Popular」「Old Time Tune」「Race」の三種の補遺を前面に出し、自社の分類の細かさそのものを販路拡大の武器としていました。これは都市部の大衆歌曲、地方色の強い旧来曲、アフリカ系アメリカ人向け市場を並列に扱う方針が、1930年4月時点で広告文言にまで定着していたことを示します。4月30日号では、ゴッサム・コレジアンズ(The Gotham Collegians)による Okeh 41402「Stein Song / The More I’m in Love With You」が広告され、同月の市場でラジオ・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)のルディ・ヴァリー盤と並行して「Stein Song」が競われていたことも読み取れます。1930年4月のオーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)は、大規模再編の記事こそ目立ちませんが、細分化された補遺と機動的な単盤広告で市場を取りにいく会社として現れています。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-16.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-04-30.pdf
