1930年2月に録音された音楽

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1930年2月に録音された音楽

1930年2月の世界は、軍縮交渉、植民地支配への抵抗、科学の前進、世界恐慌(Great Depression)の深まりが同時に進んだ月でした。ロンドンではロンドン海軍軍縮会議(London Naval Conference)が継続し、主要海軍国が補助艦の保有制限をめぐって協議を続けました。2月3日にはホー・チ・ミン(Ho Chi Minh, 1890–1969)が香港でインドシナ共産党(Indochinese Communist Party)の成立に中心的役割を果たし、その直後の2月9日夜にはフランス領インドシナでイエンバイ蜂起(Yen Bai uprising)が起こりました。2月18日にはクライド・トンボー(Clyde Tombaugh, 1906–1997)がローウェル天文台(Lowell Observatory)で冥王星を発見し、天文学史上の大きな節目を作りました。世界恐慌(Great Depression)はなお各国の雇用と消費を圧迫しており、1930年2月の国際社会には不安定さが濃く残っていました。

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1930年2月の録音に関する情報のまとめ

1930年2月の録音業界は、新譜そのものの話題よりも、ラジオ一体型機や自動式蓄音機の拡販、映画主題歌との連動販売、配給網の再編、店頭実演の強化が前面に出た月でした。業界紙では、レコードは依然として重要な継続収益源として扱われており、ポピュラー盤、映画タイアップ盤、クラシック系セット、自動蓄音機向けの入替需要が販売を支えていました。その一方で、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)のように整理局面に入った企業もあり、1930年初頭の不況下で各社の体力差もはっきり表れていました。

ブランズウィック

1930年2月のブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Company)は、配給網の組み替えとコンビネーション機の拡販が確認できます。2月5日付の業界紙では、サンフォード・ラジオ社(Sanford Radio Corp.)がニューヨークで同社のラジオおよびレコード製品の配給を担当することになり、直ちに販売運動を始めると報じられました。同じ号では、ベック&コービット社(Beck & Corbitt Co.)がセントルイス地区でブランズウィックのラジオ、ラジオ=フォノグラフ・コンビネーション、レコードの配給を担うことになり、新しいコンビネーション機の導入後に販売増が見られると紹介されています。さらに2月19日号の広告では、ブランズウィックのコンビネーション機が、その後の継続的な電気録音盤販売によって長期利益を生むと明確に打ち出されており、同社が機械とレコードを一体の商売として押し出していたことがわかります。

コロムビア

1930年2月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は、映画主題歌需要とクラシック系セット販売の両方を伸ばしていました。2月26日付の業界紙では、ボルティモアのコロムビア・ホールセーラーズ社(The Columbia Wholesalers, Inc.)が、1月のコロムビア盤販売は堅調だったと報告しており、販売店では『サニー・サイド・アップ』(Sunny Side Up)や『ラヴ・パレード』(The Love Parade)に結びついた主題歌盤がよく動いていました。同じ記事では、コロムビア・マスターワークス(Columbia Masterworks)の販売増も紹介され、劇場ロビーでのコロムビア=コルスター電気蓄音機の使用や、公立学校での大型コロムビア・ラジオ=フォノグラフ導入も報じられています。2月19日号ではポータブル機の広告も大きく出ており、この月のコロムビアは据置機、携帯機、レコードの三方向で売場を維持していました。

オーケー

1930年2月のオーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)は、広告面で有力ポピュラー盤を前面に押し出していました。2月の業界紙では、「Ain’t Misbehavin’」「(What Did I Do To Be So) Black and Blue」「St. James Infirmary」「Save It, Pretty Mamma」といった盤が並び、都市的なポピュラー盤、ブルース、ジャズ寄りの録音を積極的に訴求していました。1930年2月のオーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)は、配給網再編の記事よりも、まず売るべき盤を強く前に出す販促で動いていたといえます。

RCAヴィクター

1930年2月のアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)では、レコード販売を支えるコンビネーション機の普及と、学校向け販路の拡大が目立ちました。2月26日付の業界紙では、ヴィクター・ラジオ=エレクトローラ(Victor Radio-Electrola)がレコード商売に大きな追い風を与え、放送普及後としては最も強い水準のレコード需要を生み出していると宣伝されています。また同号では、人口2,000人未満の町でも学校がヴィクターのコンビネーション機を購入していることが紹介され、教育機関が新しい販路になっていたこともわかります。2月19日号でもヴィクターを中心に商売を組み立てる方針が強く押し出されており、同社は1930年2月に機械販売とレコード販売を一体で伸ばそうとしていました。

ケープハート

1930年2月のケープハート社(Capehart Corp.)は、自動式蓄音機の成長企業として明確に存在感を示していました。2月26日付の業界紙では、同社がフォートウェインで第2回全国販売大会を開催し、オーケストロープ(Orchestrope)の発達史を示す展示を用意していたことが報じられています。同じ記事では、自動蓄音機が一日200回に達する再生を行う設置先があり、そこから継続的なレコード需要が生まれることが強調されていました。さらに同号では、オランダの販売業者デュワー&ナエッセンス社(Duwaer & Naessens)が工場を訪れて講習を受け、オランダ市場でも自動式蓄音機が安定して売れていると伝えています。1930年2月のケープハート社(Capehart Corp.)は、機械そのものだけでなく、その後のレコード交換需要まで含めた商売を広げていました。

ソノラ

1930年2月のソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)は、成長局面ではなく整理局面の企業として確認できます。2月5日付の業界紙では、アーヴィング・トラスト社(Irving Trust Co.)がソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)およびソノラ・プロダクツ社(Sonora Products Co.)の受託者として、事業をさらに2か月継続する認可を連邦裁判所から受けたと報じられました。これは、再建の可能性を残しつつ、在庫整理と売掛金回収を進めるための措置でした。1930年2月のソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)は、新機種攻勢よりも事業処理が前面に出ていた会社でした。

トーマス・A・エジソン

1930年2月のトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)では、ラジオ=フォノグラフ部門の価格政策と広告戦略が確認できます。2月26日付の業界紙では、2月1日に実施された価格改定が北西部市場に強い安定効果を与え、値上げ前の駆け込み需要でエジソンのラジオ在庫が売り切れるほどだったことが紹介されています。また同号では、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)がライト=オー=マティック・チューニング(Light-O-Matic Tuning)を前面に出した独自の広告様式を採用し、その広告掲載のたびに販売店へ見込み客と問い合わせが流れ込んでいると報じられました。1930年2月の同社は、機械そのものの大規模新展開よりも、価格と広告の両面から販売を押し上げていました。

マジェスティック

1930年2月のグリグスビー=グラノウ社(Grigsby-Grunow Company)のマジェスティック(Majestic)は、電気蓄音機付きラジオ=フォノグラフ機の拡販と販売教育の強化が目立ちました。2月5日号の広告では、マジェスティックの電気蓄音機付きモデル102とラジオ=フォノグラフのモデル103が具体的な価格とともに押し出されており、ラジオ単体ではなく蓄音機付き機種を明確に主力へ組み込んでいたことがわかります。2月19日号では、マジェスティック販売学校が映画『フーピー』(Whoopee)の出演者を招くなど、娯楽との結び付きを使った販売教育を行っていました。さらに2月26日号では、クリーブランドの販売会社が学校向け演奏会活動に成功し、コンビネーション機を伴奏に使った放送活動まで進めていたと報じられています。1930年2月のマジェスティックは、機械販売、教育販路、販売訓練を一体で進めていました。