1930年1月に録音された音楽
1930年1月は、1929年の株価崩壊後の動揺が各国の政治、外交、社会に具体的に表れ始めた月でした。1月20日にはハーグで賠償問題の完全かつ最終的解決に関する協定(Agreement regarding the complete and final settlement of the question of reparations)が署名され、翌21日にはロンドン海軍会議(London Naval Conference)が開幕して、戦間期の国際秩序の調整が続きました。インドでは1月26日にインド国民会議(Indian National Congress)がプールナ・スワラージ決議(Purna Swaraj resolution)を公に掲げ、完全独立を正式目標に据えました。スペインでは1月28日にアルフォンソ13世(Alfonso XIII, 1886–1941)がミゲル・プリモ・デ・リベラ(Miguel Primo de Rivera, 1870–1930)を退陣させ、王政の動揺が明白になります。科学面では、ローウェル天文台(Lowell Observatory)で1月23日と29日に撮影された観測乾板が、翌月の冥王星発見につながりました。世界不況が深まる一方で、軍縮交渉、反植民地主義、政変、天文学上の前進が同時進行していた月だったといえます。
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1930年1月の録音に関する情報のまとめ
1930年1月の録音業界は、レコード単体の販売競争から、ラジオ受信機、電動蓄音機、ラジオ=フォノグラフ複合機、映画主題歌の販促を組み合わせる総合娯楽商品の競争へ重心を移していました。アールシーエー=ヴィクター社(RCA-Victor Co., Inc.)は価格安定と流通保護を前面に出し、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は放送連動盤とポータブル機、ラジオ接続型機器を押し出し、ブランズウィック=バルク=コレンダー社(The Brunswick-Balke-Collender Company)はトーキー出演者を軸にした販促を強めていました。オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corp.)は地域流通と周辺商材の供給で存在感を保ち、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)は名簿上なお活動を確認できる一方で再編圧力に直面していました。さらに、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)はラジオと蓄音機販売へ軸足を移し、ストロムバーグ=カールソン・テレフォン・マニュファクチャリング社(Stromberg-Carlson Telephone Manufacturing Company)、ペイセント・エレクトリック社(Pacent Electric Company)、バーグ・オート・トランク・アンド・スペシャルティーズ社(Berg Auto Trunk & Specialties Co.)、ディール・マニュファクチャリング社(Diehl Manufacturing Co.)のような周辺企業も、複合機、接続装置、ポータブル機、電動モーターで録音再生市場を押し広げていました。
ヴィクター
1930年1月のアールシーエー=ヴィクター社(RCA-Victor Co., Inc.)は、統合新会社としての安定性を強く打ち出していました。1月29日付の業界広告では、1930年の方針として、6月まで新しいヴィクター・ラジオまたはコンビネーション機を出さないこと、5月1日以前はヴィクター・ラジオまたはコンビネーション機の定価を変更しないこと、さらに R-32、R-52、RE-45、RE-75 の値下げが必要になった場合には卸売業者と小売業者をリベートで保護すること、という三つの約束が明示されました。同号では、ヴィクター・ラジオ=エレクトローラがレコード事業に新しい推進力を与え、放送普及以後で最大級のレコード販売を生んでいるとも訴えられています。また1月22日号では、ラジオで人気を集めていたアモス・ン・アンディ(Amos ‘n’ Andy)およびサム・ン・ヘンリー(Sam ‘n’ Henry)のレコードを、ラジオ人気に直結させる特別販売促進が行われていました。1930年1月のヴィクターは、新製品の頻繁な更新ではなく、価格安定、系列保護、放送人気のレコード化によって販売網を維持していたといえます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-22.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-29.pdf
コロムビア
1930年1月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は、放送番組連動盤とポータブル機、ラジオ接続型機器を一体で売り込んでいました。1月1日付広告では、日曜夜のラジオ番組「サンデー・イーブニング・アット・セス・パーカーズ(Sunday Evening at Seth Parker’s)」と連動したレコード 2031-D、2032-D、2033-D を販売しています。この番組は、フィリップス・H・ロード(Phillips H. Lord, 1902–1971)が演じた架空の田舎人物セス・パーカー(Seth Parker)を中心に、会話、宗教的な語り、歌を組み合わせた家庭向け放送で、広告では WEAF と 11 の提携局から東部標準時午後10時45分に放送されると案内されていました。1月15日号では、学生やアパート居住者向けにポータブル機を前面に出し、1月22日号ではベン・セルヴィン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Ben Selvin and His Orchestra)の新譜 2077-D を「ブロードウェイの人気曲」として売り込み、1月29日号ではラジオグラフとポータブル機の価格帯を示して、ラジオとレコードの接続需要を掘り起こしています。1930年1月のコロムビアは、ラジオ番組の聴取者をそのままレコード購買へ導きつつ、可搬型と接続型の再生機器を広く展開していたことが確認できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-01.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-15.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-22.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-29.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Broadcast-Weekly/1930/Broadcast-Weekly-1930-03-09.pdf
ブランズウィック
1930年1月のブランズウィック=バルク=コレンダー社(The Brunswick-Balke-Collender Company)は、特約店拡張と映画連動販促を同時に進めていました。1930年1月の業界誌では、ベンジャミン・E・ベンシンガー(Benjamin E. Bensinger, 1873–1948)が、1930年の利益を十分に得ようとする販売店にとって将来に値する商材としてブランズウィックを訴えていました。1月15日号の広告では、マリオン・ハリス(Marion Harris, 1896–1944)が出演する『デヴィル・メイ・ケア(Devil-May-Care)』、チャールズ・キング(Charles King, 1886–1944)が出演した『ブロードウェイ・メロディ(The Broadway Melody)』『ハリウッド・レヴュー・オブ・1929(The Hollywood Revue of 1929)』『チェイシング・レインボウズ(Chasing Rainbows)』など、映画出演歴を前面に出したレコード販促が行われていました。1月22日号でも、『アンテイムド(Untamed)』『デヴィル・メイ・ケア(Devil-May-Care)』『マリアンヌ(Marianne)』『ダイナマイト(Dynamite)』といった映画と連動した陳列・店頭販促の企画が確認できます。1930年1月のブランズウィックでは、映画館の観客をそのままレコード需要へつなぐ交差販促が企業活動の中心にありました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio-Retailing/30s/Radio-Retailing-1930-01.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-15.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-22.pdf
オーケー
1930年1月のオーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corp.)は、全国広告よりも流通現場と周辺商材で活動が確認できます。1月1日号の業界名簿には、同社がコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)、ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)と並んで蓄音機針関連商材の欄に掲載されていました。1月22日号では、同社が蓄音機針の回転式表示什器と箱入り針を広告し、製造元としてジェネラル・フォノグラフ・マニュファクチャリング社(General Phonograph Manufacturing Co.)の名が示されています。1930年1月のオーケーは、レコードそのものに加えて、再生消耗品の供給を通じて市場に残っていたと整理できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-01.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-22.pdf
ソノラ
1930年1月のソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co., Inc.)は、業界名簿ではなお活動が確認できます。1月1日号および1月15日号の業界名簿には、同社が蓄音機針関連商材の会社として掲載されていました。したがって1930年1月のソノラは、市場から完全に姿を消した段階ではなく、少なくとも商業名簿上では録音再生市場に残っていたことが確認できます。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-01.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-15.pdf
エジソン
1930年1月のトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、ラジオ販売を中心に市場に残っていました。1月22日号の広告では、同社製のエジソン・ライト=オ=マティック・ラジオ(Edison Light-O-Matic Radio)が、数量ではなく品質を重視して製造された1930年向けの主力商品として訴求されています。1月29日号でも、エジソン・ラジオの販売会社や流通関係者の動きが報じられており、1930年1月の同社が録音物の新製造よりもラジオと蓄音機販売の側で存在感を保っていたことがわかります。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-22.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-01-29.pdf
ストロムバーグ=カールソン
1930年1月のストロムバーグ=カールソン・テレフォン・マニュファクチャリング社(Stromberg-Carlson Telephone Manufacturing Company)は、ラジオ=フォノグラフ複合機によって録音再生の質を売りにしていました。1月22日号の広告では、新型 No.654 がラジオで実現していた音質をレコード再生にも持ち込み、その結果としてレコード販売にも弾みをつけると明言しています。広告は、この機種がレコードでもラジオでも説得力の高い実演販売を可能にするとし、静音電動モーター付きのフォノグラフ・ターンテーブルを備える点も強調していました。1930年1月の同社は、単なるラジオ会社ではなく、高音質再生を軸にレコード需要を取り込む複合機メーカーとして存在感を強めていました。
ペイセント
1930年1月のペイセント・エレクトリック社(Pacent Electric Company)は、既存ラジオをレコード再生へ接続する周辺機器で市場に食い込んでいました。1月15日号の広告では、フォノトロール・アダプターとスーパー・フォノヴォックス(Super Phonovox)を前面に出し、実演販売がそのまま売上につながる商品として訴求しています。広告では、ペイセント・エレクトリック社が「ラジオと電気再生の先駆者」であるとされており、1930年1月の同社は、既存受信機を録音再生へ接続する技術で録音市場の裾野を広げていたといえます。
アートーン
1930年1月のバーグ・オート・トランク・アンド・スペシャルティーズ社(Berg Auto Trunk & Specialties Co.)は、アートーン(Artone)ポータブル蓄音機の製造会社として活動していました。1月15日号では、同社の工場でアートーン・ポータブル蓄音機が生産されており、それがアメリカ合衆国内だけでなく23か国にも配給されていることが記されています。1930年1月時点でも、ポータブル蓄音機の市場が独立した商品分野として維持されていたことを示す事例です。
ディール
1930年1月のディール・マニュファクチャリング社(Diehl Manufacturing Co.)は、電動蓄音機モーターを前面に出していました。1月29日号の広告では、同社の電気蓄音機モーターが 78 回転だけでなく 33 回転にも対応し、重要なラジオ製造業者のあいだで受け入れが広がっていると述べています。静音性、均一回転、設置の容易さが強調されており、1930年1月の録音再生市場で、電動化が補助技術ではなく販売上の重要要素になっていたことがわかります。
