1930年6月に録音された音楽
1930年6月は、世界恐慌の圧力が政治、経済、科学技術、文化の各分野へ同時に広がった月でした。インドでは6月1日にグレート・インディアン・ペニンシュラ鉄道(Great Indian Peninsula Railway)のデカン・クイーン(Deccan Queen)が運転を開始し、電気機関車による長距離急行の時代を印象づけました。ブリュッセルでは6月6日に国際映画批評家連盟(Fédération Internationale de la Presse Cinématographique)が発足し、映画批評の国際的な結び付きが制度化されます。ルーマニアではカロル2世(Carol II, 1893–1953)が6月8日に即位し、政局は大きく動きました。6月12日にはバチスフィア(Bathysphere)による深海潜航が話題を集め、同時代の科学技術への期待を強めます。アメリカ合衆国では6月17日にスムート=ホーリー関税法(Smoot-Hawley Tariff Act)が成立し、国際貿易の縮小をさらに深めました。ロンドンでは6月25日にセント・ポール大聖堂(St Paul’s Cathedral)の大規模修復完了を祝う礼拝が行われ、放送時代の宗教儀礼としても注目されます。さらに6月30日にはヤング案(Young Plan)に基づいてラインラント(Rhineland)から連合国軍の撤兵が完了し、第一次世界大戦後の占領体制は大きな節目を迎えました。
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1930年6月の録音に関する情報のまとめ
1930年6月の録音に関する情報のまとめ
1930年6月の録音業界では、レコード単体の新譜訴求だけでなく、ポータブル蓄音機、ラジオ一体型機、レコード自動交換装置を含む家庭娯楽商品としての売り方がいっそう前面に出ていました。外国語盤の継続供給、夏季需要を見込んだ携帯型機の販促、下取り制度を使った販売刺激、販売会議による次季方針の共有、さらに企業資産の取得を伴う再編までが同月に並行しています。録音物は単独商品ではなく、家庭内の音楽消費全体を動かす中心商品として扱われていました。
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は、1930年6月18日号で外国語盤を大きく広告し、30の民族・国民に向けた商品線として、各民族の専門家が選曲と録音指揮に関与していること、新譜を毎月初め直前に出すことを前面に出していました。下旬には携帯型のコロムビア・ポータブルを夏の旅行、キャンプ、バンガロー向け商品として強く売り込み、50ドル機に加えて35ドル、25ドル、17.50ドルの各機種まで明示していました。1930年6月の同社は、外国語盤の継続投入とポータブル蓄音機の季節販促を同時に進めていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-06-18.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-06-25.pdf
アールシーエー・ヴィクター
アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)では、組合せ機に対する76ドルの下取り優遇が6月1日–7月1日に延長され、販売の主力として使われていました。6月18日号では、クリーブランドの販売現場でその下取り策の反響により機械在庫がかなり薄くなり、レコードではジーン・アンド・グレン(Gene and Glenn)の盤がよく動き、休暇期の開始に伴ってポータブル蓄音機の需要も強まっていると報じられています。さらに周辺商品では、ブルックリンのファインドレー・メタル・プロダクツ社(Findlay Metal Products Corp.)がヴィクター・ポータブル用の金属製コンソールを発売し、ヴィクター卸を通じて配給されていました。1930年6月の同社周辺では、レコード、機械、本体周辺家具までを含めた販売体制が広がっていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-06-04.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-06-18.pdf
ブランズウィック
ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corp.)は、6月の全国ディストリビューター会議をダビュークとマスキーゴンで行い、出席者に工場見学と次季商品の説明を実施していました。6月4日号では、同社が南部山間部へ音楽探査員を送り、携帯録音機を積んだ自動車で現地へ入り込み、いわゆるディキシー盤を原地で収集・制作していることを大きく訴えています。下旬の広告では、ラジオ受信とパナトロープ(Panatrope)再生を組み合わせ、20枚のレコードを自動でかけ替える機構を備えた新型組合せ機を前面に出し、大規模広告展開も予告していました。1930年6月の同社は、地方色の強い録音レパートリーの開拓と、家庭用総合娯楽機の拡販を同時に進めていました。
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-06-04.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-06-18.pdf
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Talking-Machine-Radio-Weekly/TMRW1930-06-25.pdf
ソノラ
ソノラ・フォノグラフ社(Sonora Phonograph Co.)では、1930年6月25日号で、シカゴのルイ・フランケル(Louis Frankel, 生没年不明)を長とするシンジケートが同社資産を取得したことが報じられました。取得対象には不動産、商号と営業権、売掛金、特許が含まれており、かつて「Clear as a Bell」の標語で知られた同社が、この時点では新譜販促よりも企業再建そのものを大きな課題としていたことがわかります。前年にフェデラル・ラジオ社(Federal Radio Corp.)と進めた統合ののちも、1930年6月にはなお再編の過程にありました。
