1930年5月に録音された音楽

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1930年5月に録音された音楽

1930年5月は、科学、反植民地運動、都市文化、航空輸送、長距離飛行の各分野で転換点が重なった月でした。5月1日には新天体の名称として冥王星(Pluto)が公表され、5月2日にはアイオワ州デモインで常設照明下の最初のプロ野球ナイトゲームが行われました。インドでは塩の行進(Salt March)後の不服従運動が広がるなか、5月上旬にモハンダス・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi, 1869–1948)が拘束されました。5月15日にはエレン・チャーチ(Ellen Church, 1904–1965)が定期航空便に乗務し、客室乗務の職能が制度化へ向かう象徴的な一歩となりました。5月24日にはエイミー・ジョンソン(Amy Johnson, 1903–1941)が単独でイングランドからオーストラリアへ到達し、5月27日にはクライスラー・ビルディング(Chrysler Building)が正式開業して超高層建築時代の象徴となりました。

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1930年5月の録音に関する情報のまとめ

1930年5月の同時代業界資料では、春の商況を立て直す手段として、単純な値下げよりも、旧機種下取り、レコード交換、携帯型蓄音機の価格帯拡充、映画音楽との連動販促、自動蓄音機の強化、そして6月の無線製造業者協会(Radio Manufacturers’ Association)見本市に向けた新製品告知が重視されていました。アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)のヴィクター部門(Victor Division)は既存客の買い替えとレコード需要の再活性化を狙い、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)はヒット盤、映画連動盤、携帯型蓄音機を並行して押し出し、オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)は広告面で多ジャンルを一括訴求しました。ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)はワーナー・ブラザース社(Warner Bros.)との結び付きを前面化させ、ケープハート社(Capehart Corp.)は自動蓄音機とラジオ組合せ機の販売会を連続開催し、トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は見本市参加と販路強化を進めていました。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)のヴィクター部門(Victor Division)は、5月12日–5月31日の公開レコード交換期間に合わせて、電話勧誘、新聞広告、ポストカード、店頭の樽を使った旧盤回収、店頭展示、レコード・オブ・ザ・マンス・クラブ(Record-of-the-Month Club)との連動まで含む具体策を販売店へ提示していました。さらに5月21日号では、旧型ヴィクトローラ(Victrola)への76ドル下取りを前面に出し、ヴィクター・ラジオ・エレクトローラ(Victor Radio-Electrola)型の組合せ機を既存顧客へ移行させる動きが各地で反響を呼んでいたことが確認できます。フィラデルフィアでも、この下取り施策を軸に電話営業まで動員した販売促進が行われていました。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company)は、5月7日号でガイ・ロンバード・アンド・ヒズ・ロイヤル・カナディアンズ(Guy Lombardo and His Royal Canadians)による Columbia 2156-D「A COTTAGE FOR SALE / WITHOUT YOU EMALINE」を大きく押し出し、即売性の高いダンス盤を前面に出していました。同じ月には、ポール・ホワイトマン(Paul Whiteman, 1890–1967)を中心にした映画『キング・オブ・ジャズ』(King of Jazz)との連動広告も確認でき、映画公開とレコード販売を連結する販促が進められていました。5月14日号では、6月の無線製造業者協会(Radio Manufacturers’ Association)見本市で新型ラジオ製品と9枚掛けの新型自動蓄音機を公開すると予告し、5月21日号では50ドル級だけでなく35ドル、25ドル、17.50ドル級までの携帯型蓄音機を並べて、小額予算層を取り込む方針を明確にしていました。

オーケー

オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)は、5月14日号の「Best Sellers」広告で、ユージン・オーマンディズ・サロン・オーケストラ(Dr. Eugene Ormandy’s Salon Orchestra)、カロライナ・クラブ・オーケストラ(Carolina Club Orchestra)、ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・オーケストラ(Louis Armstrong and His Orchestra)、シルヴァー・リーフ・カルテット・オブ・ノーフォーク(Silver Leaf Quartet of Norfolk)を同一面に並べ、映画歌曲、ダンス音楽、ジャズ、宗教唱歌を一括して訴求していました。1930年5月のオーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corporation)は、単一ジャンルに依存せず、異なる購買層を一枚の広告面で同時に取り込もうとしていたことが、同時代資料から明瞭に確認できます。

ブランズウィック

ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)は、5月7日号で東部販売会を通じてワーナー・ブラザース社(Warner Bros.)参加後の新体制を業界に印象づけ、同号広告ではアル・ジョルソン(Al Jolson, 1886–1950)、ハリー・リッチマン(Harry Richman, 1895–1972)、ベン・バーニー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Ben Bernie and His Orchestra)らの盤を映画楽曲と結び付けて販売していました。5月14日号では、1930年型四管式スクリーン・グリッドのラジオ組合せ機を185ドルへ値下げし、同時にワーナー・ブラザース社(Warner Bros.)のスター写真を景品とする販促策を提示していました。さらに5月21日号では、5月24日–29日にデュビューク、マスケゴン、アトランティックシティを巡る全国配給業者大会を開き、ラジオ、パナトロープ(Panatrope)、レコードを一体として販売・広告計画を進める方針を打ち出していました。

エジソン

トーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、5月14日号で価格競争に疲れた販売店へ向けて、値崩れではなく信頼と利益率を訴える広告を展開し、同時に6月見本市のエジソン展示へ来場を促していました。5月7日号では、ストーナー・ピアノ社(Stoner Piano Co.)をアイオワ地域の新たな配給会社に指名し、州内の販売・サービス体制を集中的に拡張する方針が報じられています。1930年5月のトーマス・A・エジソン社(Thomas A. Edison, Inc.)は、当月の資料上では新譜攻勢よりも、見本市参加と販路再編を優先していたと整理できます。

ケープハート

ケープハート社(Capehart Corp.)は、5月14日号で、自動オーケストロープ(Orchestrope)とアンペリオン(Amperion)の製造会社として、ニューアーク、フィラデルフィア、プロヴィデンス、ボストン、アルバニー、シラキュース、バッファロー、クリーブランドを巡回する販売会を実施していました。会合ではヘンリー・E・ケープハート(H. E. Capehart)が前月出荷が社史上最高であったことを述べ、商業用機と家庭用機の双方、自動蓄音機とラジオ組合せ機の双方に販売機会があることを強調していました。自動蓄音機分野を含む録音関連機器の販売活動として、1930年5月に明確に確認できる動きです。