1930年10月に録音された音楽
1930年10月は、政治・経済・文化・技術の各分野で、戦間期の不安定さがいっそう鮮明になった月でした。ブラジルでは10月3日に革命が始まり、10月24日にワシントン・ルイス政権が倒れて旧共和国体制が終わり、ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス(Getúlio Dornelles Vargas, 1882–1954)を中心とする新体制への移行が進みました。10月5日には航空船R101がフランスで墜落し、大型飛行船による帝国航空構想に大きな打撃を与えました。アメリカ合衆国では世界恐慌の深刻化を受けて、ハーバート・フーヴァー(Herbert Hoover, 1874–1964)が10月に大統領緊急雇用委員会(President’s Emergency Committee for Employment)を設け、民間主導の雇用対策を進めようとしました。文化面では10月14日にブロードウェイで『ガール・クレイジー(Girl Crazy)』が開幕し、10月17日にはトーマス・マン(Thomas Mann, 1875–1955)がベルリンのベートーヴェン・ザール(Beethovensaal)で『ドイツへの呼びかけ(Deutsche Ansprache. Ein Appell an die Vernunft)』を行いました。さらに10月27日にはロンドン海軍軍縮条約(London Naval Treaty)の批准文書交換がロンドンで行われ、第一次世界大戦後の軍縮秩序を維持しようとする国際協調も続いていました。
この月の確認されている録音:0曲
1930年10月の録音に関する情報のまとめ
1930年10月の録音業界は、恐慌下でも制作・販売・機器展開・企業再編が並行して進んでいたことが確認できます。コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)では当月の録音活動と新型ラジオの販売訴求が同時に見え、アール・シー・エー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)では1930–1931年向け新機種と家庭録音機能が前面に出されました。ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)はラジオ兼用機とヨーロッパ録音盤を秋季商戦向けに打ち出し、アメリカン・レコード・コーポレーション(American Record Corporation)では10月1日に資本再編の条件が確定しました。したがってこの月は、単なる新譜供給の継続だけでなく、録音企業が販売戦略と企業構造の両面で次の局面に入っていた月として位置づけられます。
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)では、原マトリクス・カードを転写した録音日付資料が公開されており、1930年10月のニューヨーク録音を追跡できる状態にあります。加えて、1930年10月号の『フォノグラフ・マンスリー・レビュー(Phonograph Monthly Review)』には、同社のダンス盤・歌唱盤の広告に加えて、新しいテレ・フォーカル・ラジオ(Tele-focal Radio)の広告が掲載され、C20とC21の2機種が示されています。このため当月の同社は、録音制作の継続と、家庭用受信機の新型投入とを同時に進めていた会社として整理できます。
- https://mainspringpress.org/2024/09/12/free-download-columbia-master-recording-dates-1925-1934-from-original-columbia-documentation/
- https://archive.org/details/PMR_5_1
- https://archive.org/stream/PMR_5_1/5_1_djvu.txt
アール・シー・エー・ヴィクター
アール・シー・エー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)については、1930年10月号の『フォノグラフ・マンスリー・レビュー(Phonograph Monthly Review)』が、ヴィクター部門(Victor Division)のR-35、R-39、RE-57を1930–1931年の新型機として詳しく紹介しています。そこでは、ラジオ・エレクトローラ(Radio-Electrola)RE-57に家庭用録音装置が組み込まれていることも強調されていました。また同月の業界誌『ラジオ(Radio)』では、同社がニュージャージー州カムデンで生産を増やし、17,000人超の雇用を支えていると報じられています。1930年10月の同社は、録音再生機の高級化と家庭録音機能の実装を進めながら、量産体制も維持していた企業でした。
- https://archive.org/details/PMR_5_1
- https://archive.org/stream/PMR_5_1/5_1_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio/30s/Radio-1930-10.pdf
ブランズウィック
ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)は、1930年10月の広告資料で、ワーナー・ブラザーズ・ピクチャーズ社(Warner Bros. Pictures, Inc.)の子会社としてラジオ、パナトロープ(Panatrope)、レコードを扱う体制を明示していました。『フォノグラフ・マンスリー・レビュー(Phonograph Monthly Review)』同月号では、同社が「ヨーロッパで録音された」高価格アルバム群を売り出しており、同時に『ラジオ(Radio)』10月号ではフューチュラ・シリーズ(Futura Series)やラジオ・パナトロープ複合機を前面に出した広告を展開しています。したがって1930年10月の同社は、クラシック輸入盤の訴求と、ラジオ一体型機器の販売強化を同時に進めていたことが確認できます。
- https://archive.org/details/PMR_5_1
- https://archive.org/stream/PMR_5_1/5_1_djvu.txt
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Radio/30s/Radio-1930-10.pdf
アメリカン・レコード・コーポレーション
アメリカン・レコード・コーポレーション(American Record Corporation)では、コンソリデーテッド・フィルム・インダストリーズ社(Consolidated Film Industries)による買収交渉が1930年6月に始まり、買収条件は10月1日に確定しました。同社はすでに1930年中にドミノ(Domino)とカメオ(Cameo)を整理し、ロメオ(Romeo)やパーフェクト(Perfect)などの低価格帯を残す方向へ進んでいました。資料上、この月に録音現場の急変までは確認できませんが、10月1日に資本再編の骨格が固まり、翌年以降の運営方針に直結する転機を迎えていたことは明確です。
