1930年9月に録音された音楽
1930年9月は、世界恐慌(Great Depression)の影響が各国社会に深く及ぶなか、政治的不安定と新しい消費文化の拡大が同時に進んだ月でした。9月6日にはジョゼ・フェリクス・ウリブル(José Félix Uriburu, 1868–1932)が主導した1930年アルゼンチン・クーデター(1930 Argentine coup d’état)でイポリト・イリゴジェン(Hipólito Yrigoyen, 1852–1933)政権が倒れ、9月14日のドイツ国会選挙では国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)が大きく議席を伸ばし、ヴァイマル共和国(Weimar Republic)の動揺が強まりました。9月3日にはサン・セノン・ハリケーン(San Zenón hurricane)がサント・ドミンゴに壊滅的被害を与え、9月にはミネソタ鉱業製造社(Minnesota Mining and Manufacturing Company)がスコッチ・セルロース・テープ(Scotch Cellophane Tape)を発売し、修理と包装の日用品文化を大きく変えました。9月20日にはシロ=マランカラ・カトリック教会(Syro-Malankara Catholic Church)が成立し、9月27日にはボビー・ジョーンズ(Bobby Jones, 1902–1971)が全米アマチュア選手権(U.S. Amateur Championship)を制して年間グランドスラムを達成しました。
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1930年9月の録音に関する情報のまとめ
1930年9月の同時代業界資料を見ると、不況の進行下でも主要各社は新譜供給を止めず、一般向けダンス盤、高級アルバム、外国語盤、宗教暦や祝祭日に合わせた盤、さらに蓄音機・ラジオ複合機の販促を同時に動かしていました。とくに当月は、放送で知られた楽団の新譜、ユダヤ教新年祭と贖罪日に合わせた宗教盤、メキシコ独立記念日向け盤、フランス系カナダ向け補充盤、フィリピン向け盤などが並行して扱われ、録音産業が単一市場ではなく複数の需要を細かく拾っていたことが確認できます。
アールシーエー・ヴィクター
アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)は、1930年9月の人気盤として、ナサニエル・シルクレット(Nathaniel Shilkret, 1889–1982)指揮のサロン・オーケストラ盤 Victor 22466 と、フレッド・ウォーリング(Fred Waring, 1900–1984)率いるフレッド・ウォーリングズ・ペンシルヴェニアンズ(Fred Waring’s Pennsylvanians)による当月の主力ダンス盤 Victor 22486 を動かしていました。これに加えて、フランス系カナダ向け補充盤、ユダヤ教新年祭と贖罪日向けの宗教盤、さらに9月15日のメキシコ独立記念日に合わせたメキシコ国旗ラベル盤まで用意しており、1930年9月のアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Co., Inc.)は、一般市場と地域・宗教市場を同時に押さえる販売構成を取っていました。
- https://archive.org/stream/PMR_4_12/4_12_djvu.txt
- https://archive.org/details/PMR_4_12/page/mode/2up
コロムビア
コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)は、バート・ラウン・アンド・ヒズ・ホテル・ビルトモア・オーケストラ(Bert Lown and His Hotel Biltmore Orchestra)の Columbia 2258-D、ガイ・ロンバード・アンド・ヒズ・ロイヤル・カナディアンズ(Guy Lombardo and His Royal Canadians)の Columbia 2259-D など、放送で知られたダンス盤を9月の有力商品として動かしていました。その一方で、フランス系カナダ向けのバンジョー独奏とアコーディオン独奏、ユダヤ系宗教盤、フィリピン向けのイロカノ語歌曲、イタリア語盤も並行して供給していました。さらに『ウェスタン・ミュージック・アンド・ラジオ・トレーズ・ジャーナル(Western Music & Radio Trades Journal)』1930年9月号では、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)の直近3組のマスター・ワークス・アルバム(Masterworks albums)として、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840–1893)の《変ロ短調ピアノ協奏曲 作品23》(Concerto in B Flat Minor, Op. 23)、ロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810–1856)の《ダヴィッド同盟舞曲集》(Davidsbündlertänze)、フレデリック・ショパン(Frédéric Chopin, 1810–1849)の《ピアノ協奏曲第2番ヘ短調》(Concerto No. 2 in F Minor)が紹介されており、大衆盤と高級アルバムを同時に押し出していたことがわかります。
- https://archive.org/stream/PMR_4_12/4_12_djvu.txt
- https://archive.org/details/PMR_4_12/page/mode/2up
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Western-Music-Radio/Western-Music-And-Radio-Trades-1930-09.pdf
ブランズウィック
ブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)は、リー・シムズ(Lee Sims, 1898–1966)の Brunswick 4780、イシャム・ジョーンズ(Isham Jones, 1894–1956)の Brunswick 4856、ベン・バーニー(Ben Bernie, 1891–1943)の Brunswick 4850 などを当月のポピュラー盤として動かしていました。さらに外国語盤では、イタリア系市場向けに Brunswick 58231 や Brunswick 58328 を含む一連の盤が挙げられており、英語圏外需要にも力を入れていました。加えて『ウェスタン・ミュージック・アンド・ラジオ・トレーズ・ジャーナル(Western Music & Radio Trades Journal)』1930年9月号では、ビヴァリー・ヒル・ビリーズ(Beverly Hill Billies)がブランズウィック・スタジオで最初の録音を行い、その出来上がりを新型オートマティック・ブランズウィック・コンビネーション(Automatic Brunswick Combination)で試聴したことが報じられており、1930年9月のブランズウィック=バルク=コレンダー社(Brunswick-Balke-Collender Co.)が、新録音の制作と新型再生機の販促を結びつけていたことが確認できます。
- https://archive.org/stream/PMR_4_12/4_12_djvu.txt
- https://archive.org/details/PMR_4_12/page/mode/2up
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Western-Music-Radio/Western-Music-And-Radio-Trades-1930-09.pdf
オーケー
オーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corp.)は、フランキー・トランバウアー(Frankie Trumbauer, 1901–1956)による Okeh 41437 を当月の有力盤として扱い、さらに Okeh 8808 と Okeh 8811 などのホット盤によって「ホット・ディスク」の評価を保っていました。同時に、スペイン語・メキシコ向け市場ではマタモロス・トリオ(Trío Matamoros)の Okeh 16711 と Okeh 6707 などが取り上げられており、1930年9月のオーケー・フォノグラフ社(Okeh Phonograph Corp.)は、英語圏のジャズ・ダンス盤とスペイン語圏向け盤の両方で存在感を示していました。
- https://archive.org/stream/PMR_4_12/4_12_djvu.txt
- https://archive.org/details/PMR_4_12/page/mode/2up
エジソン
エジソン・フォノグラフ社(Edison Phonograph Company)は、1930–1931年型のフォノ・ラジオ複合機市場の一角に依然として名を連ねており、同時代誌では Edison が複合機を出す一社として挙げられています。加えて『ウェスタン・ミュージック・アンド・ラジオ・トレーズ・ジャーナル(Western Music & Radio Trades Journal)』1930年9月号では、ノース・コースト・エレクトリック社(North Coast Electric Co.)がシアトルとポートランドでエジソン製品の北西部代理店となったこと、さらに北カリフォルニアではエイチ・オー・ハリソン社(H. O. Harrison Company)が新たな流通を担うことが報じられていました。1930年9月のエジソン・フォノグラフ社(Edison Phonograph Company)は、録音物そのものの話題よりも、複合機市場への関与と西部販売網の整備というかたちで存在が確認できます。
- https://archive.org/stream/PMR_4_12/4_12_djvu.txt
- https://archive.org/details/PMR_4_12/page/mode/2up
- https://www.worldradiohistory.com/Archive-Western-Music-Radio/Western-Music-And-Radio-Trades-1930-09.pdf
