1931年4月に録音された音楽

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1931年4月に録音された音楽

1931年4月は、政治体制の転換、司法をめぐる衝突、企業設立、災害という異なる分野の出来事が同時に進んだ月でした。スペインでは4月12日の地方選挙で共和派と社会主義者が主要都市で優勢となり、4月14日にアルフォンソ13世(Alfonso XIII, 1886–1941)が退去して第二スペイン共和国(Second Spanish Republic)が成立しました。日本では同じ4月14日に若槻禮次郎(1866–1949)が再び内閣総理大臣に就任しました。アメリカ合衆国ではスコッツボロ事件(Scottsboro case)の最初の裁判が進み、4月9日に被告のうち年少者を除く8人へ死刑判決が出されて大きな社会問題となりました。ドイツでは4月25日にフェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche, 1875–1951)がシュトゥットガルトでドクトル・インジニア・エフ・ポルシェ有限会社(Dr. Ing. h. c. F. Porsche GmbH)を設立しました。さらに4月27日にはザンゲズール地震(1931 Zangezur earthquake)が発生し、南カフカスの広い範囲に大きな被害を与えました。

この月の確認されている録音:0曲

1931年4月の録音に関する情報のまとめ

1931年4月の録音業界は、単にレコードを売るだけの段階を越え、放送用の電気式転写盤、家庭用録音装置、ラジオと蓄音機の複合機を同時に市場へ出していたことが確認できます。業界誌では、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)、レコード・オー・キャスト社(Record-O-Cast, Inc.)、ラジオ・トランスクリプションズ社(Radio Transcriptions, Inc.)、スタンレー・レコーディング・カンパニー・オブ・アメリカ社(The Stanley Recording Company of America, Inc.)が放送広告向け転写盤を訴求し、ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)とアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)はレコードと再生機器を一体で売り、プレスト社(Presto Corporation of America)とペーセント・エレクトリック社(Pacent Electric Co., Inc.)は家庭録音を商品化していました。1931年4月は、録音物の生産、流通、再生、個人録音が同じ月の資料上で並行して見える月です。

コロムビア

コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)は、1931年4月号で電気式転写盤番組を前面に出し、ラジオ計画、番組案、台本、出演者、制作、録音、プレスまでを一体で扱う体制を示していました。本文では、ニューヨークとシカゴに録音スタジオを持ち、主要都市に代表者を置くことも掲げており、同社が当月の時点でレコード会社にとどまらず、放送広告向け録音制作会社としても営業していたことが確認できます。同じ1931年4月号の小売業誌では、コロムビア盤 Columbia 2423-D や輸出盤 4424-X が具体的な販売対象として紹介されており、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Co., Inc.)が放送用転写盤と市販レコードの両方を同時に動かしていたことも読み取れます。

レコード・オー・キャスト

レコード・オー・キャスト社(Record-O-Cast, Inc.)は、1931年4月号で「guaranteed recordings」を掲げ、電気式転写盤による放送の利点として、低コスト、各時間帯の選択、地域ディーラーとの連動を打ち出していました。さらに、クラフト=フェニックス・チーズ社(Kraft-Phenix Cheese Corporation)がアメリカ合衆国南東部向け広告に同社の電気式転写盤を使っていることを明示しており、当月の段階で実際のスポンサー案件を伴う営業活動が行われていたことがわかります。この広告では、企画、台本、出演者、録音までを提供するとしており、レコード・オー・キャスト社(Record-O-Cast, Inc.)が単なる盤製造ではなく、放送広告の制作請負会社として機能していたことも確認できます。

ラジオ・トランスクリプションズ

ラジオ・トランスクリプションズ社(Radio Transcriptions, Inc.)は、1931年4月号で新たにニューヨークに組織された会社として紹介されています。記事では、同社が放送広告主向けに電気式転写盤を制作するために設立されたとされ、ルディ・ヴィードーフト(Rudy Wiedoeft, 1893–1940)が音楽監督になることも記されています。これは、1931年4月の時点で転写盤事業が既存大手だけでなく、新規参入企業を呼び込む分野になっていたことを示します。当月の業界資料上で新会社設立が報じられている以上、録音関連企業の増加そのものがこの月の動きの一つでした。

スタンレー・レコーディング

スタンレー・レコーディング・カンパニー・オブ・アメリカ社(The Stanley Recording Company of America, Inc.)は、1931年4月号で、広告会社と協力してラジオ計画、番組、制作、放送設備調達まで扱い、78回転盤と33 1/3回転盤の両方でスポット放送用プログラムを制作すると示していました。ここでは、単なる録音サービスではなく、広告会社との共同制作体制そのものが商品として提示されています。同社の記述からは、1931年4月の転写盤業界が速度規格の異なる盤を併用しながら、番組制作と販促を結びつける方向へ進んでいたことがわかります。これは同月の録音業界を考えるうえで重要な要素です。

ブランズウィック

ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)は、1931年4月号の表紙広告で、自社をラジオ、パナトロープ、ブランズウィック・レコードの製造者として掲げていました。つまり当月の同社は、受信機、蓄音機、レコードを一体のブランド体系として販売していたことが確認できます。また同号の小売記事では、ベン・バーニー・アンド・ヒズ・オーケストラの Brunswick 6063 や、ハル・ケンプ・アンド・ヒズ・オーケストラの Brunswick 6055 が春の実演販売向けレコードとして紹介されていました。ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)は、再生機器の広告と個別レコードの現場販売を同月に並行して進めていたことになります。

アールシーエー・ヴィクター

アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は、1931年4月号で新型受信機「Superette」を市場へ出し、同誌広告でも販売店に対して早期展示を促していました。これは、同社が当月もラジオ受信機の量販を重視していたことを示しますが、同時に同号の小売記事では Victor 22627、Victor 22642、Victor 22634、Victor 22483 などが売れ筋盤として具体的に挙げられています。つまりアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)は、1931年4月の段階で新型ラジオ販売とレコード販売を分離せずに進めていました。モーリス・シュヴァリエ(Maurice Chevalier, 1888–1972)の盤や「The Peanut Vendor」の継続的売れ行きが同月誌面で紹介されていることは、レコード部門がなお販路の重要な柱であったことを示しています。

プレスト

プレスト社(Presto Corporation of America)は、1931年4月号で家庭用録音機を掲載し、溝のない平滑盤に自ら溝を刻む方式を採っていると説明していました。6、8、10、12インチ盤が使えること、正確で長持ちする記録が得られること、さらに交流式ラジオ受信機へ即時接続できることが訴求されていました。別の広告では、同社の機器が標準レコードの再生も可能で、家庭のラジオをラジオ・フォノグラフ化できると説明されています。プレスト社(Presto Corporation of America)は、1931年4月に家庭録音機を単独商品として売るだけでなく、家庭の既存受信機を録音再生機へ変える装置として市場化していたことが確認できます。

ペーセント

ペーセント・エレクトリック社(Pacent Electric Co., Inc.)は、1931年4月号で「Pacent Recordovox」を広告し、家庭でプロ並みの結果を得られる録音装置として販売していました。広告文では、家族や友人の声、残しておきたいラジオ番組を永久保存できるとされ、家庭内での私的録音が商品価値として明確に言語化されています。さらに、この装置は安価に入手できる既成の溝付き盤を用いる方式で、劇場用音響設備を2,000館以上に供給してきたメーカーの製品であることも強調されていました。ペーセント・エレクトリック社(Pacent Electric Co., Inc.)は、1931年4月に劇場用音響技術の信用を家庭録音市場へ転用していたことになります。

ストロームバーグ=カールソン

ストロームバーグ=カールソン電話製造社(Stromberg-Carlson Telephone Mfg. Co.)は、1931年4月号で「Multi-Record Radio」を自動式の電気ラジオ・フォノグラフ複合機として掲げていました。価格は645ドルとされ、当月の誌面では受信機だけでなく自動レコード再生機能を備えた高級複合機が、依然として上位市場の商品であったことがわかります。同じ広告では、楽器店や音楽商を含む有力販売店の名前も並べられており、ストロームバーグ=カールソン電話製造社(Stromberg-Carlson Telephone Mfg. Co.)が録音再生機器を既存の音楽商流通網に載せて販売していたことも確認できます。1931年4月の録音関連市場は、放送用転写盤と家庭録音だけでなく、高級複合機の販路もなお維持されていました。