1931年1月に録音された音楽

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1931年1月に録音された音楽

1931年1月の世界は、政治制度の再編と大衆文化の更新が同時に進んだ月でした。イギリスでは1月1日、1930年道路交通法(Road Traffic Act 1930)に基づく追加施行が始まり、道路交通の法的枠組みが新段階に入りました。パナマでは1月2日にクーデターが起こり、フロレンシオ・ハルモディオ・アロセメナ(Florencio Harmodio Arosemena, 1872–1945)政権が崩れました。ロンドンでは第一次円卓会議(First Round Table Conference)の第1会期が1月19日に終了し、インド統治問題は次の交渉段階へ進みました。オーストラリアでは1月22日、アイザック・アルフレッド・アイザックス(Isaac Alfred Isaacs, 1855–1948)が初のオーストラリア生まれの総督として就任しました。1月26日にはモーハンダース・カラムチャンド・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi, 1869–1948)が釈放され、同日ニューヨークでは『グリーン・グロウ・ザ・ライラックス』(Green Grow the Lilacs)が開幕しました。さらに1月30日にはチャールズ・チャップリン(Charles Chaplin, 1889–1977)の『街の灯』(City Lights)がロサンゼルスで初公開され、トーキー時代のただ中でも無声映画がなお強い文化的存在感を持っていたことを示しました。

この月の確認されている録音:0曲

1931年1月の録音に関する情報のまとめ

1931年1月の録音関連産業は、レコード単体の販売だけでなく、ラジオとフォノグラフを組み合わせた家庭用コンビネーション機、自動レコード交換装置、低価格盤の拡充を軸に動いていました。同月の業界誌では、コロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)、ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)、アールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)、ケープハート社(The Capehart Corporation)がそれぞれ異なる形で市場に関与していたことが確認できます。盤の側では、『ザ・ピーナッツ・ヴェンダー』(The Peanut Vendor)、『ユア・ドライヴィング・ミー・クレイジー』(You’re Driving Me Crazy)、『チアフル・リトル・イヤフル』(Cheerful Little Earful)、『スリー・リトル・ワーズ』(Three Little Words)などが繰り返し挙げられ、恐慌下でも新譜回転を維持する商品群として扱われていました。

コロムビア

1931年1月のコロムビア・フォノグラフ社(Columbia Phonograph Company, Inc.)は、テレフォーカル・ラジオと電気再生式フォノグラフを一体化したコンビネーション機を前面に出していました。1月号広告では、モデル991を自動レコード交換式、モデル939を通常型のラジオ・フォノグラフ・コンビネーションとして掲げ、991では10インチ盤と12インチ盤を自動で交換しながら30分から45分程度の連続再生ができることを売りにしています。同月の新譜欄では、『ユア・ドライヴィング・ミー・クレイジー』(You’re Driving Me Crazy)、『サムデイ・スウィートハート』(Someday Sweetheart)、『ザ・ピーナッツ・ヴェンダー』(The Peanut Vendor)、『アイ・ガット・リズム』(I Got Rhythm)、『チアフル・リトル・イヤフル』(Cheerful Little Earful)などが並び、同社が機械販売と新譜販売を一体で押し出していたことがわかります。

コロムビア・マスターワークス

1931年1月には、コロムビア・マスターワークス(Columbia Masterworks)のシリーズも動いています。同月の業界誌は、コロムビア・マスターワークス148として『町人貴族』(Le Bourgeois gentilhomme)組曲を取り上げ、リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864–1949)作品のアルバム販売を訴求していました。ポピュラー盤だけでなく、高級クラシック盤のアルバムも同時に押し出していたことが確認できます。

ブランズウィック

1931年1月のブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)は、自社をラジオ、パナトロープ、レコードの製造会社として示し、機械と盤の両輪で販売していました。同月の新譜欄には、『ユア・ドライヴィング・ミー・クレイジー』(You’re Driving Me Crazy)、『ザ・ピーナッツ・ヴェンダー』(The Peanut Vendor)、『シボネイ』(Siboney)、『ボディ・アンド・ソウル』(Body and Soul)、『チアフル・リトル・イヤフル』(Cheerful Little Earful)などが並びます。加えて、同月の別誌では、ブランズウィックの直流用受信機やコンソール機も紹介されており、1931年初頭の同社がレコード販売と家庭用機器販売を並行して進めていたことがわかります。

ブランズウィック・スパニッシュ・レコード

1931年1月の同時代誌では、ブランズウィック・スパニッシュ・レコード(Brunswick Spanish Records)も独立したまとまりとして扱われています。誌面には『ミ・メディア・ナランハ』(Mi Media Naranja)、『セレ・トゥ・エスクラボ』(Seré tu Esclavo)、『シボネイ』(Siboney)、『バジェ・デル・コロラド』(Valle del Colorado)、『コン・ラ・ボカ・エス・ウン・マメイ』(Con la Boca es un Mamey)などが並び、スペイン語圏向け盤の流通が継続していたことが確認できます。英語盤の売れ筋とは別に、外国語盤が独立した商品帯として維持されていた点が重要です。

メロトーン

1931年1月には、ブランズウィック・ラジオ社(Brunswick Radio Corporation)の廉価盤メロトーン(Melotone)が新製品として紹介されています。記事では、メロトーンを25セント盤とし、既存系列を置き換えるのではなく、低価格帯に両面とも人気曲を入れる商品として説明しています。廉価盤市場では片面だけを売りにする盤が多かったなかで、両面の内容を売りにする方針を明示したことは、この月の重要な追加要素です。

ヴィクター

1931年1月のアールシーエー・ヴィクター社(RCA Victor Company, Inc.)では、新譜販売の継続と販売体制の再編が同時に確認できます。同月の業界誌は、アーサー・A・ブラント(Arthur A. Brandt, 生没年不明)がヴィクター販売責任者となり、ハリー・C・グラブズ(Harry C. Grubbs, 生没年不明)がヴィクター部門とラディオラ部門を含む全販売業務を統轄すると報じています。新譜欄では、『ザ・ピーナッツ・ヴェンダー』(The Peanut Vendor)、『イット・マスト・ビー・トゥルー』(It Must Be True)、『ザ・リトル・シングズ・イン・ライフ』(The Little Things in Life)、『スリー・リトル・ワーズ』(Three Little Words)などが並び、販売機構の整理と売れ筋盤の維持が並行して進んでいました。

ヴィクター・マスターピース

1931年1月の高級盤では、ヴィクター・マスターピース(Victor Masterpiece)のアルバム販売も明確に確認できます。同月の業界誌は、ヴィクター・マスターピース M-83 として『ジークフリート』(Siegfried)抜粋アルバムを取り上げ、リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner, 1813–1883)愛好家向けの重要商品として位置づけています。1931年1月のヴィクターが、ダンス音楽の流行盤だけでなく、大型アルバム商品も同時に押し出していたことを示す例です。

ケープハート

1931年1月のケープハート社(The Capehart Corporation)は、録音制作会社ではありませんが、自動レコード交換装置の販売と、それに適した盤の推奨を通じて録音産業の周辺市場を支えていました。広告では同社を自動レコード交換装置の先駆者かつ指導者として位置づけ、同月の業界誌記事では、自動機向けに試聴済みレコードの bulletin を発行し始めたと報じています。これは、機械メーカーがどの盤を自動交換機向け商品として推すかまで管理し始めていたことを示します。